第43話 電源をお切りください

 隣に立っていたてるはままつ刑事のそばへ歩み出た。おそらく予告時間前になにか演説を打つつもりなのだろうか。


 れいに小声で、木屋輝美がよこやまゆうから名画を奪い取ったことを証明できるのか尋ねてみた。

 彼女は軽く口の端を持ち上げて応えた。ということは、なにか証拠を掴んだということだろうか。そうであれば、目の前で名画が消えても、先に木屋輝美が盗んでいたことを立証できるはずだ。


 問題はどうやって奪い去るかだ。集まった群衆はさまざまな手段を思い浮かべているのだろう。しかし実際にこれから目の前で起こることは、その想像を遥かに超えているはずだ。

 本来の作者であり所有者である横山佑子がこの場に来たこと自体がそれを物語っている。


 まさか目の前に飾られている名画が「がんさく」であるなどとは警察も地井玲香も夢にも思うまい。

 捜査関係者の中でとくに地井玲香のように記憶力・洞察力にすぐれた者がいないともかぎらない。あらかじめ「贋作」とすり替えておいて、最初から「贋作」を見せ続けていたのだから、いかに地井玲香であっても見抜けようはずもなかった。

 高い記憶力と洞察力がかえって彼女の判断を乱れさせる。


 本物はすでに横山佑子へ返還してある。だからこそ「贋作」に対してどのような手段もとりうるのだ。

 そのための仕掛けはミスターが特製の額装に施してあった。

 今回の怪盗の仕事は、仕掛けを発動するスイッチを押すだけなのである。

 そうしてから、探偵の地井玲香が木屋輝美の悪行を暴くことになる。


 わざわざ警察にも木屋輝美の裏をとらせたのは、彼女自身の捜査をカモフラージュするためだった。

 そもそも日本では探偵に捜査権がない。そのため、地井玲香が木屋輝美の裏をとろうとすれば、警察を動かす以外ないのである。

 もし単独で捜査を始めたら、違法なことだから誰も協力してくれない。警察を動かして、その隙間に警察のふりをして接触して情報を聞き出すのである。

 また、彼女の探偵事務所には高性能の量子型AIコンピュータが設置されているらしい。さまざまな動画や写真から顔認証システムにより一発で人物を特定できるのである。

 もし俺が地井玲香の標的になったら、おそらく怪盗コキアであることが一瞬にしてバレるだろう。だから先手を打って地井玲香に横山佑子の面倒を見させることでこちらに協力させ、捜査を封じたのである。

 おそらく地井玲香もそのことに気づいているはずだ。それでも非合法同士、相通ずるのである。


 地井玲香は非合法で推理をする探偵であり、この俺、よしむねしのぶは非合法で盗品を奪い返す怪盗なのだ。


「木屋輝美の元にあの絵が渡った時期はわかっているのかな?」

 地井玲香に探りを入れる。横山佑子から絵が消えた時期は聞いてあるので、あくまでも答え合わせだ。

「老舗デパートの七階特設ブースで開かれた個展の一か月前ね。今からだとだいたい二か月前になるわね」

「二か月前ね。売る絵を仕込むにはじゅうぶんな時間か」


「ええ。おそらくあの作品を餌にして販売する絵を一か月で急いで描いて、デパートの個展に投入したのね。それでおいしい思いをしたから、今回の美術館展も緊急で予約したんだろうけど。目の前の作品と比べたら、他の作品なんて話にならないわね。あれだけのものが描けるんだから、多少拙くても先物買いで売れていくのでしょうね。そういう意味なら小さなパトロンがいっぱいいるようなものね」


 そう。絵画を買うのは「その絵を飾って楽しみたい」と純粋に思っている人よりも、「将来有名になる人の作品を安いうちに先物買いしたい」投資目的の人が圧倒的に多い。

 だが、その将来性を担保するはずの絵が盗品だった。それが世間にバレればもはや画家としての将来を断たれるも同然である。


 しかし相手は木屋輝美だ。どのような手段をもって現在の立場を維持するか、予想するのは至難の業。おそらくしたたかに生き抜いていくだろう。それが織り込めるから、遠慮なくあの絵を奪えるのである。


 あとは、これから始まるであろう怪盗の手腕にかかっている。

 すでに仕込んである仕掛けがどれだけセンセーショナルに世間へ広まるかだ。


「今日どれだけ華麗に怪盗が奪い取っていくのか。わたくしがそれを阻止できなかったら、横山さんのパトロンになってもよくてよ」

「じゃあ僕は怪盗の肩を持とうかな。横山先生ほどの才能があれば、地井さんも大儲けできるはずだからね。横山先生と地井さん、ふたりの将来が明るくなるんだから」

 思わず頬が緩んできた。

「どうやら怪盗は自信を持っているみたいね。その自信はどこから来るのかしら」


「地井さん、僕は怪盗じゃないからね。もし怪盗ならこんなところで見ていないで、今頃どこかに隠れてスキをうかがっているはずだよ」

「さあ、それはどうかしら。絵の前に陣取って警備の状況をつぶさに監視し、直前にトイレに行くなどでこの場を離れれば、いつでも怪盗は登場できると思うのだけど?」


「僕が怪盗なら、それもできなくはないだろうね。ただあいにくとトイレは催していないから。スマートフォンも電源を落としているし」

「スマートフォンの電源を落としているのは、誰かから着信があったら怪盗があなただとバレるからじゃなくて?」

 その言葉に思わず吹き出してしまった。


「地井さん、美術館の入り口やパンフレットをよく見ていないのかな? ここって撮影禁止でスマートフォンや携帯電話の電源を切らないといけないんですよ。知りませんでした?」

 地井さんがタイトスーツと同色のローズレッドのショルダーバッグから美術館のパンフレットを取り出して、ページをめくっていく。


 パンフレットの裏にしっかりと「カメラや携帯電話の電源をお切りください」と書いてあった。


「あら、本当だわ」

「まあ、美術館は携帯電波をジャミングしているから、中に入ったら通じなくなるんだけどね。それでもカメラ機能は使えるから、電源を切ってくれってわけ」


「体育教師の割に、美術館に詳しいのね」

「母が画家でしたからね」

「そうだったわね。つらいことを思い出させてしまったかしら」

「いえ、懐かしい顔を思い浮かべられましたよ。絵に向かってる母の凛々しい顔をね」

 思わず後ろ頭に手を当ててしまった。



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