第44話 オリジナル

 予告状に記された時間まで一時間を切り、警察が群衆を絵から遠ざけて規制線を張る。

 念のためパーテーションで区切られた場所にも等距離で規制線が張られて警官と警備員が常駐するのだ。もしこの人混みで“傑作”を盗まれたら、衆人に紛れ込まれるおそれがあり、絵を守っている警察と警備員が怪盗コキアを追跡するのに邪魔となる可能性に配慮したからだろう。


 ここまで警備が徹底されると、いかな怪盗でも盗むのは容易くない。それでも怪盗コキアは予告状を出してまでして絵を奪おうというのである。

 よほどの自信家か、単なる無謀か。捕まることをまったく考えていないのか。真意を知るのは当の怪盗の他にふたりしかいない。相棒のミスターと依頼人のよこやまゆうだ。

 どんなに切れ者の探偵であるれいであっても、どのようにして怪盗コキアが絵を奪っていくのかは見通せていないはずだ。まして警察は手の打ちようがない。標準的な絵画の警備体制をかざるをえなかった。


「観衆がこれだけ絵から引き離されると、怪盗が絵の前まで行ったら袋のネズミね。作者のセビルあおいさんがそばにいて、はままつ刑事と駿河するがくんが隣でガードしているから、これで盗めたらたいしたものだわ」

 地井玲香は専門外だった窃盗・盗難事件について感想を述べた。


「父はまだしも、とものりのガードじゃあね。そちら側から進入されたら、きちんと対応できるのかしら」

 都立先枚高校で女子体操部コーチを務めるあきやまは、交際している駿河が手柄を立てられるかを見守っている。

「まあセビル葵さんの裏はとれているから、たとえ怪盗に逃げられても手柄は確実ですわね」

「手柄は確実って、あの作者になにか裏があるってこと?」


「ええ。うちのエンジニアのかなもりくんが決定打を見つけていますわ。それを駿河くんに伝えてあるから、怪盗が動き終わったら追及されるでしょうね」

 地井玲香は自信に満ちた声で話している。


 駿河から聞いた噂では、AIを搭載した量子型のスーパーコンピュータが彼女の事務所に置かれているのだという。それが動画ファイルから自動で顔認証していき、瞬時に結果が表示される。犯人の追跡には欠かせない設備らしい。

 それでてるの動きを把握し、横山佑子のアトリエから“傑作”を盗み出した証拠をつかめたのだ。


「横山佑子さんから提供された防犯カメラの動画に、セビル葵さんの姿がばっちり写っていたわ。その前後の移動もすべて追跡済みよ。彼女にはもう逃げ道はないの」

 それならすぐにセビル葵を逮捕して、個展を開かせないという方法はとれなかったのだろうか?

「それならすぐに逮捕しちゃえばいいのに。個展を開かないと怪盗が捕まえられないのは確かでしょうけど、すでに判明している犯罪を放置してもいいものなの?」

 秋山理恵が疑問を代わりに述べている。


「警察としては、前科五犯の怪盗を捕まえるチャンスがあるのなら、初犯の逮捕は優先順位が下がりますわね」

「そんなものなのかしら。これで怪盗を捕まえられなければ、仮に友徳があの画家を捕まえたとしても差し引きゼロじゃない」


「義統くん、さっきから話に入ってこないけど、なにか考えごとでもしているのかしら?」

 地井玲香が隣から探るように顔を覗き込んでくる。なにかを知っているかのような顔つきだ。


「まあ女性同士でないと話せないことってあるだろうな、と思ってね。とくに駿河のことは秋山さんに気兼ねして口を挟めないんだよ」

「そういうことにしておきましょうか」

 両の口角を引き上げた表情をすると、再び正面に視線を送っている。


「横山先生、あの作品が先生の絵で間違いないんですよね?」

 視線を絵に向けたまま、横山佑子へ問いかける。

「はい。オリジナルを描いたのは私で間違いありません。うちにはあと二枚模写が残っていますけど、目の前の絵はそれらと引けを取りませんから」


「模写が二枚って、どういうこと? 盗まれそうだから予備を作っておいたの?」

 秋山さんは疑問に思っているようだ。

 まあ一般人なら“傑作”を描いたらそれをたいせつにしたいと思うのだろうけど。ただ、二枚の模写を作ったのも俺自身なのだが。

 横山佑子がそれを言わなかったのは、地井玲香のAIスーパーコンピュータで画像解析して、目の前の作品とその二枚の模写は同一の画家が描いたものに間違いない、という結果が出ているからだろう。

 もし地井玲香が横着していなければ、横山佑子の他の作品とその三枚を解析しているはずである。そうすれば目の前にある絵と二枚の模写は、横山佑子の作ではないことが判明したかもしれない。

 そこまで織り込んでいなければ、目の前の作品と模写二枚だけでもじゅうぶんと判断した可能性は高いし、それがあながち間違いだったともいえない。

 立件したければ、要は木屋輝美の作と違っていればよいのだから。


「オリジナルって言葉が気になるわね。目の前の絵がオリジナルなのよね、横山さん」

 さすがに切れ者の地井玲香だ。言葉の違いにも敏感らしい。

「はい、二枚の模写のオリジナルは間違いなく目の前の作品です」


 嘘は言っていない。

 ただ、指しているものが微妙に異なっているだけだ。

 耳がさといのならその違和感で焦れったくなるかもしれないが。


「ふたりとも、なにかちょうのような言葉遣いですわね。慎重に言葉を選んでいるように感じられるわ」

 地井玲香が胸の下で腕を組み、人差し指でこめかみを叩いている。

 いつものようにローズレッドのタイトスーツにピンヒール、ショルダーバッグが揃っている。


「地井さんそうかしら。私にはいたって普通の会話に聞こえるんだけど」

 秋山理恵が素人らしい言葉で地井玲香の思考を寸断した。

「まあ確かに、普通の会話なんですけどね」


「怪盗がどうやってあの絵を奪っていくのか。僕やその他大勢はそれを見届けようとしているわけだけど、秋山さんと地井さんは捕まるところが見たいわけだよね?」

「当たり前じゃない。怪盗コキアを捕まえないと友徳は交際宣言もできないんだし」

「私は怪盗の姿を見たいわね。誰に似ているのか、今から楽しみだわ」

 肩にかけていた大型の一眼レフカメラを叩いている。


「そのカメラってもしかしてフィルムカメラかな? 僕はデジタル一眼レフを使っているけど、捜査のプロってフィルムカメラなの?」

「そうよ。これならいくらでも引き伸ばせますからね。うちのAIで顔認証するにも、ピクセルで潰されていたらマッチングしづらくなるの」

「へえ、AIに捜査をやらせているのか。もしかしたら警察よりもすごくないかな?」


「科学捜査研究所ならあるんじゃないかしら。普通の捜査一課とか三課とかにはないでしょうね」

 地井玲香は勝ち誇ったような表情をしている。



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