第六章 名画を奪う

第41話 個展初日

 土曜日、ひろやま美術館でセビルあおいことてるの個展が開幕する日となった。

 怪盗コキアの噂を聞きつけた人が大挙して来館し、入場前から大盛況である。

 怪盗コキアはマスコミにも予告状を出したため、テレビ各局も外からその様子を中継していた。これには浜松刑事もうんざりした。 


「まったく、なんで“とんぶり野郎”もこんなに人を集めるんだよ。持ち物検査だけでもえらい騒ぎじゃねえか」

「“木を隠すなら森”ってことですかね、おやっさん。これだけ人が集まると、誰がコキアかなんて見分けもつきませんよ」

 駿河するがも呆れるほどの人出だ。これだけの人が集まれば、所持品検査だけでも数時間待ちにならざるをえない。


 それが木屋輝美の気分をいささか害したようだ。

「これだけ人が入っても、絵が一枚も売れないなんて。皆さんなにしに来場されたのかしら」

「謎に包まれたコキアをひと目見る絶好のチャンスだと思っているのでしょうね」

「“とんぶり野郎”も計算違いだったな。これだけびっしり人が固まっていたら、動きようがない。絵を取り外して逃げようなんて思っても、それだけのスペースはないからな。逃げるには人の頭でも踏んづけてくより方法がない」

「私のお客様を足蹴にするなんて、そんなことをしたら絶対に許しませんわ」

 木屋輝美は憤然としている。

よしむねくん、駿河。これだけ人が入ってしまうと偽者を取り押さえる手は使えないぞ。観客がヒートアップしかねんからな」

「えー、せっかく変装道具も用意してきたのに、ですか?」

「お前はなんでノリノリなんだ。これだけ混雑したら、人を避けて逃走するなんて、いくら“とんぶり野郎”でも不可能だろうが。それなら始めから絵の護衛を増やしたほうがいいな」

 はままつ刑事のいうとおりだな。これだけ混雑していると逃げ場はなく、護衛を増やして取り押さえるほうが確実だろう。


「ねえ義統くん。この中に怪盗コキアはいると思う?」

 いつもどおりローズレッドのタイトスーツを着て大きな一眼レフカメラを抱えた探偵の地井玲香が話しかけてきた。まあいるんだけどね。


「これだけの人を集めたってことは、怪盗が紛れていないとは言えないね。問題は誰が怪盗かってこと。人が増えれば増えるほど、倍率が高まっていくからね」

「義統の言うとおりだ。無制限に人を入れてしまうと、コキアを特定するのが難しくなる。すでに僕たちの目の前にいるのかもしれないし、これから来るかもしれない」


「駿河くんには悪いんだけど、怪盗コキアはすでに入場していると思うわ。おそらく行列の初めのほうにいた可能性が高いわね」

「それではなぜ持ち物検査をパスしているんですの? すでに入場しているなら、なぜ捕まえないのですか?」

 木屋輝美がややヒステリックになっている。

 まあ無理もない。看板作品を怪盗に奪われたら、これからの個展で人の入りが悪くなるおそれがあるからな。


「“とんぶり野郎”は変装の名人です。さんに言われて初めの人たちにはボディー・チェックもしていますが、変装した人間もいなかったようです」


「姿の見えない怪盗に気を揉んでも意味がありません。この中の誰が怪盗かを考えるよりも、絵を奪われないことに集中するべきでしょう。姿を現したとして、絵が奪わなければ守っているこちらの勝ちなのですから」

 このくらいのことを言っておかないと、無用な怪盗探しに終始するおそれがある。

「義統くんの言うとおりだな。誰が“とんぶり野郎”かを詮索するより、誰にも盗まれないことを考えたほうが犯行の阻止に役立つし、警察としても姿を見せたところをとっ捕まえればいいんだからな」

「それに、警察には秘密兵器もあるからね」

 地井玲香が疑問を呈した。この状況でも役立つ秘密兵器とはどのようなものなのだろうか。


「私は反対したんです。熱で絵が変色しかねませんので」

「ということはサーチライトかしら? あれは強力な光源でもあり熱源にもなりますから。そういえば怪盗コキアは必ず電源を落とすのでしたわね。真っ暗な中で絵を持ち出すのですから、サーチライトで照らせば見逃さないというわけですね、浜松刑事」


「そういうこった。やつは必ず電源を落とすから、サーチライトも自家発電装置につないである。さすがの“とんぶり野郎”もこれで姿が拝めるってもんだ。駿河、そろそろ絵の隣に陣取るぞ」

「はい、おやっさん。それじゃあ義統、地井さん、セビル葵さん、僕たちは絵の警備に徹します。逃げ場もないところで絵に近づいてきたら、問答無用でとっ捕まえるからね。たとえ作者のセビル葵さんでも、近づいたら容赦なく逮捕致しますので」

「これほどの警備なら安心しておまかせできますわ」

 ふたりは絵の左右で、複数の警備員とともに立っている。これほど厳重に警備していれば、絵に近づいただけで捕まるだろう。


 近づいたら、の話だが。


 その頃、群れをなしている会場内で、人々を掻き分けて最前列までやってくる人たちがいた。

「すいません。ちょっと前へ行かせてくださいますか?」

 聞き慣れたその声に気づいて、俺は三人を最前列に引っ張り出した。

「義統くんありがとう」

「義統さんありがとうございます」

「義統先生、ありがとうございます」

 女子体操部コーチのあきやまと、本来の絵の作者であるよこやまゆう、それにたつみたかだ。万一に備えて、神父のみずは入場しない手はずになっていた。


とものり、本当にだいじょうぶなんでしょうね?」

「まあこれだけの人出と警備ですからね。絵に近づいた人を片っ端から捕まえる算段なら、怪盗が来てもきっと捕まえられますよ」

 巽くんが冷静に状況を見守っている。


 最前列にたどり着いた秋山理恵は、俺の隣に陣取っていた地井玲香に告げる。

「地井さん、言われたとおり横山佑子さんと一緒に入場したわよ。それにしてもすごい人出ね」

 絵の隣で立っている木屋輝美は横山佑子を見咎めている。だが、ここでひと悶着起こることはない。横山佑子はすでに希望が叶えられているし、もうひとつの希望はこれから目の前で繰り広げられるはずだからだ。


「友徳からも聞いたんだけど、探偵の地井さんは警察の助っ人でもあるって聞いていますけど」

「ええ、この絵を怪盗コキアから守る手助けをまかされていますわ」

 俺は話を横山佑子にも振ってみた。


「横山先生は今どんなお気持ちですか」

「そうですね。この絵がどうなるのか。行方を見守るつもりです。奪われたら諦めるしかないでしょうから」

 それまで横山佑子を見て驚いていた木屋輝美が気を取り直した。

「義統さん、よその人と気軽に話さないでください。あなたがこの絵が盗まれないように計らってくれたのは知っています。ですが、その泥棒猫と親しくしていると怪盗コキアの関係者に見えてきますわ」


 見えてくるどころではないのだが。まあ木屋輝美に本当のことは話せないが。


「警視庁捜査三課の精鋭と、稀代の名探偵が絵をガードしているのです。そう簡単に盗めるはずもありませんよ。木屋さんも僕も、あくまで事の成り行きを見守るのみです。いずれ時が経てば怪盗は捕まっているでしょうからね。呆気ないかもしれませんよ」

「そうだといいのですけど……」


 すでに早い段階から仕込みは終わっている。

 今日はあくまでもそれを完成させるためだけにここにいるといってよい。

 木屋輝美の絶望と、横山佑子の希望が目の前で繰り広げられるのだ。



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