第40話 見せるバク転 (第五章最終話)

 さらにれいへ尋ねた。


「それじゃあ、てめさんの目の前で絵を処分してしまったらどうですか?」

「処分って具体的には?」

「たとえば“燃やす”とか」


「その場合は財産を侵害しているから、器物損壊罪になるわね。仮に本来の持ち主が『あの絵を燃やしてください』と言っていたとしても、盗品を所有している人の財産を侵害したことには変わりないから。って、もしかしてあの絵も燃やされる可能性があるのかしら、よしむねくん?」


「そんなつもりで言ったんじゃないですよ。ただ興味があって聞いたまでです。今回の状況を考えると、本来の持ち主はよこやま先生であることはほぼ間違いないですよね。おそらく木屋さんは否定するでしょうけど」

「そうなるわね、当然」

「で、本来の持ち主である横山先生が『あの絵を燃やして』と依頼したのなら。もし怪盗が本当に燃やしてしまったら、横山先生も罪に問われるのかな、と思いまして」


 地井玲香は胸の下で腕を組んで、こめかみを指で叩いている。

「明らかに横山佑子の作品であると認められていても、現在の所有者はセビル葵なのよね。たとえ違法な手段で手に入れたとしても。であれば、やはり器物損壊の教唆ってことになるわね。セビル葵の財産を壊したのですから」

「じゃあ横山先生が『燃やしてほしい』と頼んでいなければ罪には問われない、と」

「そうね。たとえ作者であっても燃やされるのを知らなかったのなら、セビル葵の財産を壊したのは怪盗コキアの独断ということになりますから」


 法的にもやはり知らせないことがベストのようだ。いちおうこちらも法律を調べて動いてはいたからな。


「でも待って。それだと本来の持ち主の財産も壊したわけだから、著作物の損壊に当たるかも。怪盗の罪が重くなるかもしれないわね」

「まあ怪盗コキアが絵を燃やすとも思えませんよね。奪い取る腕前はあるわけですから。きっちり奪って、本来の画家である横山先生に実物が航るだけでいい。あれ、これだとふりだしに戻ってしまうか」

 考え込んでいた地井玲香がふっと笑い出した。


「義統くんは捜査についてド素人だから仕方ないけど、本来ならもう少し手前で気づくものよ」

「そうなんですね。やはり警察や探偵は頭の出来が違うなあ。スポーツなら自信があるんだけど」

「推理はスポーツのようにはいかないわね。仮に義統くんが怪盗コキアなら、今のように迷っている間に捕まるわね。本物はもっと抜け目がないようだし」

「抜け目がない、か。僕がその域に達するまで、どのくらい時間がかかることやら」


「とにかく迷わず即断即決。それでいて不合理な点がいっさいない。そのくらい固い信念があるように思えるのよね。過去の犯行を鑑みると」

「過去の事件をチェックしたんですか?」

「当たり前でしょう。誰を相手にしているのかわからなければ戦いようがないんだから」


 高校時代からテスト対策をみっちりしていた地井玲香に変わりはなかったか。どんなことでも万全に情報を収集して、確度の高い結論を導き出す。

 やはり敵に回すとやっかいな存在だ。


「地井さんは横山先生の側から事件に迫っているんですよね? であれば戦う必要はないと思いますが」

「その横山佑子が、現在の所有者であるセビル葵からどのようにして自分の権利を取り戻すのか。その手伝いはできますけど、まさか探偵が盗むわけにもいかないでしょう? とくに私が彼女のパトロンになるのであれば、彼女の著作物を正当に取り戻すための交渉にも携わらなければなりませんし」


「それならあの絵の取り扱いは地井さんにおまかせしますよ。僕は木屋さんの様子をチェックしますから」

 地井玲香の様子に変わりはない。やはり疑われているようだな。

「僕はこれで帰ります。明朝、生徒にバク転を教えないといけないので」

「義統くんのあのバク転を教えるわけ? あれはただものじゃないわよね。女子が釘付けになっていたから」

「そんなことはいっさいないですよ。全員呆れていたじゃないですか。僕は今まで一度もモテた試しがないんだから」

「知らぬが仏ってことね」

 地井玲香が小さなしぐさで笑っていた。




 翌金曜の朝、先枚高校の体操場でたつみたかあきやまが揃った。


「それじゃあ今日はバク転だね。ちなみにバク宙の成功率はどのくらいかな?」

「だいたい八割ですね」

「もっと高められるはずだよ。試行錯誤せず、確実にできる型をしっかりと身につけてから、タイミングを少しずつずらしていくと、成功率を高めたまま応用も身につくからね」

「わかりました。これからの課題にしてみます」

「そういうことは昨日教えたときに伝えてくれたらよかったのに」

「僕も忘れていたからね。まああれこれ試したい生徒のようだから、最初は試行錯誤させてもいいかなと考えてもいたしね」


 三人でマットの上に移動した。

「巽くんもあれこれ試したのならわかると思うけど、バク転はバク宙よりも低く跳ばないといけないんだ。だからバク宙のような余裕は作れない。でもジャンプする角度が変わるくらいで、あとは身体をきちんと締めればスムーズに回転できるからね」

 マットの端に立って背を向けた。

「じゃあバク転の三連続をするよ」


 両手を前で止め、下から後ろに回し、膝を曲げて体重を落としつつ腕を下から前へと振り出すとともにハッと声を出した。強く床を蹴ると身体が低空で後方へと飛び上がり、上体を反らせてマットに着手する。そこで身体を締めて全身のバネを使って両足を振り、勢いを利用して両手を突き放して両足をマットに着ける。それを三回繰り返した。


「これがバク転の参考だね。どうだい、僕の見ていたものはしっかりと見えたかい?」

「ばっちり見えました。床を蹴るときに声を出してくれたのでタイミングもとりやすかったです。あとは身体を締めるポイントですよね」

「着手して両腕に体重を乗せた瞬間だよ」

「そうですね」


 秋山さんはこの様子を唖然と見ていた。

「義統くん、バク転三回で普通そこまで跳ばないわよ」

「まあそうでしょうね。これだけ跳んじゃうとすぐ床からはみ出してしまうでしょうからね。でも巽くんが学びたいのは、敵の攻撃を避けるためのバク転だから、一回でしっかり距離をとらないと。ヒーローショーなんかに出たいなら、演技する場に合わせた距離の調整もできるようになればいいからね。だから実戦重視のバク転を教えたいわけ」

 こういう実戦向きのバク転やバク宙は体操部では教えられないものだ。


「でも、実戦なんてやったことのない義統くんが、実戦向きの技をよく憶えたわね」

「僕も巽くん同様、あれこれ試したほうだからね。とくにバク転とバク宙はビデオにとって何回も研究したから」

 それが怪盗として役立っているわけだけどね。まあそれは口が裂けても言えないが。

 とくに浜松刑事の娘である秋山理恵には知られるわけにいかなかった。




(最終第六章へ続きます)

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