第39話 親の事業をすへて継ぐ必要はない

 そろそろ帰ったほうがよさそうだな。これ以上ここにいても誰のためにもならない。


「唐突なんですけど、よしむねくんだったら、どうやったらあの絵を盗品だと世に訴えられると思う?」

 この場を離れたがったそぶりがさんの心に触れたみたいだな。


「ずいぶんと唐突な話ですね。どうやって盗品だと世に訴えられるか、か……」


 怪盗としてはすでに仕込みはじゅうぶんなのだが、それを今暴露するわけにもいかない。でもそれなりに考えられる案を出さないのもおかしな話ではある。言い分を考えないといけないけど。

「そうですね……。たとえば怪盗が盗んだあとで、よこやま先生のところに絵が届けられたとしますよね。その一部始終をマスコミに報道させる、というのはどうですか?」


「マスコミを使う、か……。それだと横山ゆうに迷惑がかからないかしら? とくにセビルあおいがそれを知ったら、横山佑子を相手に訴訟を起こすかも。少なくともセビル葵が引き下がるとは思えないのですが……」


「でも、絵のタッチや筆遣いは横山先生のものなんですよね? であれば法廷闘争でも勝てると思いますが」

「そう。戦えば勝てるでしょうけど、一介の美大生が訴訟に耐えられるだけの財力なんてないわね」

「地井さんが後ろ盾になれば戦えるでしょう」

「それを見越して怪盗コキアは横山佑子のパトロンになれってことなのかしら?」


「パトロンになるのであれば、訴訟リスクも考えておかないと。お抱えにする以上、画家の作品すべてに責任も出てきますから」

「父がパトロンだったからといって、娘も続ける必要はないのよね。確かに横山佑子の才能を目の当たりにすると、投資妙味はあるんでしょうけど」

 投資するならリスクを恐れないこと。

 地井さんはまだ投資家として未熟な部分が多い。

 横山佑子をまかせるには不安な面もある。しかし、地井玲香をこちら側に引き込むには横山佑子のパトロンを引き受けさせるのが最善だ。

「僕の父もパトロンだったけど、僕は継いでいないしね。また母は画家だったけど、僕は体育教師だからね。しょせん親は親、子は子だよ。何事も自分で判断しないと。親がどうだったかなんて関係ないよ」


「経験者は語る、か。でも義統くんの場合は、高校時代にご両親を亡くしているから、パトロンを継ぐというのは実質不可能だったわけよね。私は社会人になってから父の財産を継いだから、パトロンを引き継ぐのも不可能ではないのよ」

「だったら、横山先生のパトロンもけっして悪い話ではないと思うんだけど」


「そうなのよね。絵はそんなに詳しくないのですけど、あれだけ人の心を動かせる絵が描ける画家なんてそうはいないと思うの。だから横山佑子を抱えてもかまわないとも考えているわ。でもそれと今回の怪盗の件はイコールではないはずよ」


「そう、イコールじゃない。絵が横山先生のものかすらわかっていない。そして横山先生の絵を取り戻すために怪盗コキアが動いているのかもわかっていない。怪盗コキアは横山先生と契約を結んでいるのか。結んでいるのならどういう内容なのか。それらもまったくわかっていない。わかっているのはただ『怪盗コキアがあの絵を奪いに来る』ことだけ」


「だから私たちは振り回されているのよね。わかってないことが多すぎるのよ、今回の件は……」

「そもそも怪盗はどうしてあの絵を奪おうとしているのか。それだけでもわかれば、手の打ちようはあるんでしょうけどね」

 あえてそれを警察や探偵に悟られないようにこちらも行動しているわけだが。


「怪盗の気まぐれだったら、いくら調べてもなにも出てこないはずよね。もしかしたら、本当に気まぐれなのかも……。そうだったら必死で関係を調べている私たちはきっと滑稽に映っているわよね」

「そうでしょうか。僕は体育教師だから捜査のことはよくわからないけど。少なくとも名画が誰のものなのか。それを考えることはけっして無駄ではないと思いますよ。怪盗が絵を狙う理由にもつながるでしょうしね」

「あとは横山佑子に経緯を聞くしかないかしら。セビル葵から攻めても難しいでしょうから」


「でも『盗んでほしい』『取り返してほしい』と頼んだか、なんて普通聞かれても答えませんよ。言ったことがわかっただけでも窃盗の教唆でしょうし」

「そう。窃盗の共犯扱いになるわね。だから聞かれても言わないはず。でも盗まれたものを奪い返しただけなら、正当な財産の保全行為だから、この場合は窃盗とは言えないわね」


「そうなんですか。じゃあ怪盗が盗品を奪っていくのは、正当な財産の保全行為に当たるのかな? なんか違うような気もするんだけど」

 すっとぼけてみた。


「義統くんが考えたとおり。自分の財産を盗まれたから、他人に頼んで奪い返したとしても、単なる財産の保全行為とはみなされないの。頼まれた他人は自分の財産ではないものを奪うわけだから、これ自体窃盗であることに変わりはないわ。それを本来の持ち主に返したのであれば、本来の持ち主は財産の保全をしたまでだけど、赤の他人の手を借りたら、それは窃盗の教唆になるわね。自分の財産であっても、他人に奪い返してもらうのは間違いよ」


「法律は難しいですね。じゃあ奪われた本人から依頼がないのに、怪盗が盗品を奪い返して本来の持ち主に返した場合はどうなりますか?」

「そうね。その場合は本来の持ち主は事件とは無関係となって罪には問われないわ。怪盗は自分の財産でもないものを奪ったわけだから窃盗であることに変わりはないけど」

「そうなると、怪盗なんてまったく割に合わないですね。失敗したら自分だけが捕まるんですから」


 そう。怪盗などと世間に持て囃されても、誰もが犯罪者であることを理解している。義賊だとしても捕まればただのコソ泥扱いになる。

 ねずみ小僧だってそうだった。貧しい未収のために金持ちの蔵から千両箱を盗んで、庶民に配る。それで庶民は喜んだが、いざねずみ小僧が捕まると我関せずと見向きもしなかったのだという。


 そういうことがある以上、怪盗などという存在は、興味はあっても関わりたくないというのが実のところだろう。

 そのあたりを考えると、いつまでも怪盗を続けることはできないな。衰えたと思ったらすぐに引退しないと、晩節を汚しかねない。




(次話が第五章の最終回です)

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