第36話 オリジナルの模写

 れいはさらに続けた。

よこやまゆうのところから名画が消えた日と、セビルあおいさんが名画を描きあげたと主張する日が一致しています。それだけを見れば、いかにもセビル葵さんが横山佑子のところからあの絵を奪ってきたと見ても矛盾はないのです」

「本当か、地井」

 はままつ刑事が続きを聞きたがった。


「はい。セビル葵さんはその間、絵を描いていた形跡はありませんでした。毎日多くの男性と外食を楽しんでおり、絵を描けるとしたら日中の短い時間だけです」

「ということだそうですが、セビル葵さん、この絵はいつ描いたんですか?」

「いつ頃から描き始めたのかは正確には憶えておりません。ただ完成までに半年はかかったはずですわね」


「本当でしょうか?」

 地井玲香が目つきを険しくする。

「信じる信じないはその人におまかせ致します。私は私の主張をするだけですわ」

 浜松刑事が身を乗り出した。

「それでは、この絵の指紋を採取させてください。横山佑子の指紋が出るかどうか。指紋を確認すれば、横山佑子の作品なのか、セビル葵さんが描いたものなのかはっきりするはずです」


「お断り致します」

 木屋輝美は即断した。


「私が自分で描いたと申しているのです。その絵が怪盗に狙われているのですよ。それなのに私を疑うとは。見当違いも甚だしいわね」

「指紋を鑑定されると困ったことになるのですか?」

「いいえ。ただ、すでに額装した絵は開封するとその瞬間から風化していくものなのですわ。私は一日でも長く皆様に見ていただきたいだけです」


 まあキャンバスや額装の内部には木屋輝美の指紋はひとつも存在するはずがない。横山佑子の指紋もあるはずがない。そして描いた俺自身も、額装を作った水田も手袋をして作業している。額装の中からは誰の指紋も出るはずがないのだ。

 だがそれを知っている者はほとんどいない。警察や地井玲香は横山佑子の指紋が出るはずだと踏んでいても、誰の指紋も出てこない。きわめて不自然な名画が存在するだけである。


 そもそも、あの額装は箱根細工のような絡繰り仕掛けとなっており、開けられるのは作った水田と中に入れた俺だけだ。たとえ今から木屋輝美が指紋を付けようとしても開けられるはずもない。

 誰にもわからない仕掛けは、木屋輝美の主張を強化することになりかねない。しかし、確認されてもなにも出てこない。

 もしかしたら俺の指紋が出てくるのではないか、と地井玲香は思っているかもしれないが、そのくらいの配慮ができずに怪盗など務まらない。万一にもミスは犯していない。


 俺が平然としているからか、地井玲香は強硬に指紋鑑定を主張しなかった。それにより浜松刑事も諦めざるをえなくなる。地井玲香が俺を怪盗だと見ているのであれば、だからこそ読み違いを起こすのだと気づいていないのだ。

よしむねくん、他になにかヒントになりそうなことはないかしら?」

「探偵が体育教師に推理のヒントを聞くなんて、ありえないですわね」

「彼、こう見えて頭の回転が人一倍すぐれています。専門外だからこそ気づけるものがあれば、彼ほど聞くにふさわしい人物はおりませんわ」


 地井玲香はあくまでも俺が怪盗であると疑っているのだろう。

 だからこそ、当事者しか知りえない情報が引き出せると踏んでいるようだ。思惑に乗るのはしゃくだが、なにも話さないとかえって疑念を深めてしまうはずだ。


「そうですね……。たとえば、どこかにあるはずの怪盗が描いたオリジナルを先に見つけ出す、というのはどうでしょう」

 またもや視線を集めた。

「それだ! オリジナルが警察の手に渡れば、模写よりも先に盗みに来るはず。警視庁の庁舎内に隠しておけば、“とんぶり野郎”も警視庁に潜入せざるをえない。やつを捕まえる絶好のチャンスになる!」

「コキアもまさか自分の絵が警察に奪われるとは思ってもいないはず。であれば、うまく先回りしてオリジナルを確保できれば、警察が圧倒的に有利な立場を得ますね!」


 本当に怪盗の手からなる“オリジナル”が存在するならば、の話である。

 その意味では怪盗の手からなる“模写”が、今目の前に存在しているのだが。まあ知らない人にはわからない話だ。


「セビル葵さんは“オリジナル”の所在地にお心当たりはありませんか? 模写した場所とか」

「まったく憶えておりませんわね」

 木屋輝美は明らかに非協力的な態度である。

 まあ無理もない。自らの“傑作”がいつの間にか“怪盗の作品の模写”にされているのだから。しかし横山佑子が“怪盗の作品の模写”をして生み出した可能性もあるので、下手な言い訳は破綻を招くだけである。


「これも横山佑子から事情を伺いましょうよ、おやっさん。うまく“オリジナル”が手に入れば、攻守所を変えますからね」

「ああ、今までさんざん振り回されたが、これで“とんぶり野郎”を待ち伏せできるってもんだ」


 今でも個展で待ち伏せている状況になんら変化はないはずなのだが。“オリジナル”が手に入れば、最も厳重な警視庁の庁舎で監視できるのだから、その意味では最高の待ち伏せが可能となる。


「できればセビル葵さんも所在地を思い出してはいただけませんかね。これほどの名画です。オリジナルを見た場所も鮮明に憶えているものじゃありませんか?」

「私にとってはさして名画だとは思わなかったもので。模写で本物よりも味わい深い作品に仕上がったということではないでしょうか。であれば噂の怪盗さんも私に感謝していただきたいくらいですわね」

 ここにいる者のうち、浜松刑事と駿河するがは怪盗が描いた作品の模写説を推しているが、地井玲香は横山佑子の作品を木屋輝美が盗んだと思っているはずだ。

 とくにパトロンとして横山佑子を支援しようとしているのであれば、なおのこと横山佑子の立場をよくしたいはずだからだ。


「横山佑子から話を聞けば、なにがしか手がかりがつかめるかもしれませんわね。うまくすれば“オリジナル”を手中に収めることができるかもしれないし」

「でも、いくら相手が怪盗だからといって、オリジナルをなんの根拠もなく押収できるものなのかな、駿河、地井さん?」


「そうか。民間人の財産を、法的な根拠なく押収することはできないんだった。たとえ怪盗であっても、日本国民であれば財産権は保護されるはずだからね。しかも自ら描いたものなら、なおのこと警察が奪い取るのは怪盗がやっていることとなんら変わりがないんだ。となれば“オリジナル”を押収するのは不可能ってことになるけど」


「まあ上層部や検察に、“とんぶり野郎”を捕まえる餌にします、とでも言えばなんとかなるだろう。仮に法的に認められなくても、一時的にでも押収できれば返還請求するやつなんかいないんだからな」


「あ、そうか。もし“オリジナル”を返せと裁判沙汰になったら、自分が怪盗であることを証明しなければならなくなるんだ。ということは武器になる!」


 そういう結論にたどり着いたとして、取らぬ狸の皮算用にならなければよいのだが。



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