第35話 コキアの絵

「これ、もしかして、ですけど。オリジナルを描いた張本人が怪盗コキアだったってことはないですかね?」

 その場にいたすべての視線が俺に集中した。

「えっ? なにか変なこと言いましたか?」


「そうか! 自分の描いた絵が、許可なく複製され発表されたものだから、なかったことにしようとセビルあおいさんの絵を狙っている。それなら怪盗が予告状を出すのも納得がいくな!」

 はままつ刑事は合点がいったようだ。


「なるほどね。オリジナルを描いたのは怪盗コキア本人。つまりかなりの画才の持ち主ってわけか。私が知っている中でいちばん絵がうまかったのは、高校時代のよしむねくんなんですけどね」

「確かに高校時代の義統の絵って驚愕するほどのレベルだったなあ」

 れい駿河するがも、矛先をこちらに向けてきた。

「今度、義統さんの絵も拝見したいですわね。どれほどお上手なのか、見ておきたいところね」

「いえいえ、皆さんにお見せできるような代物ではないですよ。高校生の頃なんてパクリ絵しか描いたことないんですから」


「パクリ絵?」


「ゴーギャンとかルノアールとかシャガールとか、教科書に載っている作品を忠実に模写していたってくらいですね」

「まかり間違うと、がんさく画家になっていた可能性もあるわけか。それも三課の管轄なんだけどな」

「ですから、高校生の頃の話ですよ。あれから絵なんて描いていませんから、腕はすっかり落ちてしまっていますって」


 怪盗コキアが予告状を出した理由付けとしては、かなりのインパクトを残せたはずだ。

 警察も地井玲香も、おそらくオリジナルを描いたのはてるでもよこやまゆうでもなく怪盗コキアの方向で捜査を開始するだろう。

 まったくの見当違いに誘導されているとは気づきもしないで。


「ということは、セビル葵さんもそのオリジナルを見て描いたかもしれないんですよね?」

「そういうことになるのかしら?」

「他人の絵を模写して、自分のものとして発表することに抵抗はなかったのですか?」

「抵抗なんてないわね。この世界、先に発表した人が権利を有するんです。元の絵がどんなに素晴らしくても、たとえ模写であっても、先に発表した人のものよ」

 木屋輝美は涼しい顔をしている。

 まあこれくらいでなければ、横山佑子から盗んだ絵を自分のものとして大々的に発表などしないだろうが。


「ちなみにオリジナルはどこで見られたのですか? 場所をたどればコキアに行き着く重要な情報となるのですが」

「さあ、どこだったかしらねえ」

 しらばっくれているように見えるが、実際知らないのだからそう振る舞うしかない。だが警察も地井玲香も知っていて隠しているように映るはずだ。


「まあいいわ。もうひとり模写したらしい横山佑子に聞けば、場所がわかるかもしれませんからね」

「そうですわね。横山さんがなにか知っているかもしれませんわ」

 興味が自分から離れたので安堵した。

「わかりました。それではあとで横山佑子のところへ向かいましょう、おやっさん」

「ああ、そうだな。しかしセビル葵さん、この作品は展示しているだけで“とんぶり野郎”が寄ってきます。できれば今回の展示は見送っていただけませんか」


「それでは寄ってきたところを逮捕すればよいでしょうに。逮捕するきっかけを与えられるのですから、文句を言われる筋合いはございませんわね」

「まあ、そういう見方もできなくはないのですが……」

「仮に絵を失ってもかまわないとお考えですか?」

 地井玲香がいかにもいぶかった様子だ。

「絵を失うつもりはありませんわ。そのために美術館と警察に厳重な警備をおまかせするんじゃありませんか」


「警察はタダ働きをさせるためにいるのではありません。被害が発生する犯罪を抑止するために存在するのです。彼らに必要以上の負担をかけるわけにはいきませんわね」

 地井玲香は元刑事ゆえの気遣いを見せた。

「ですが、画家の経済活動は個展に依存します。もし個展を諦めてしまえば、私は収入を断たれるのです。それは一国民の損失につながりませんか?」

「必要以上に狙われなくする努力もしていただかんと、警察も警備のしようがありませんよ、セビル葵さん」

 はままつ刑事は過度な刺激を与えずに、名画の掲示を諦めさせようとしているようだ。


「私の個展には、あの絵を目当てに来る方が多いのです。目玉を掲示しなければパンフレットを用意した意味もありませんわ」

 手渡されたサイン入りのパンフレットの表紙とセンターに名画の写真が飾られている。それほど名画の存在意義が高いのである。

 仮に掲示を取りやめれば、来客者をがっかりさせかねない。その意味では彼女の言うように、リスクがあっても掲示する選択が最優先になるだろう。


 それに仮に怪盗に奪われても、また横山佑子の保管庫へ盗みに入ればいいとでも考えているおそれもある。そうならないよう、暗に注意を与えないといけないが。


「横山先生も同じ絵の模写を持っているということは、そのうち怪盗に狙われかねません。警備を強化しておくにしくはないかと」

「セビル葵さんのように個展に出せば“とんぶり野郎”に狙われる。彼女にも個展には展示しないよう注意を与えなければなりませんな」

「それは私がお伝え致します。私、彼女のパトロンになろうかと思っておりますので」


「パトロン!? 地井、いくら資産家だからといってデビューもしていない画家のパトロンをやるのか?」

「彼女が個展用に描きためている作品は、いずれも一見の価値ありですわ。誰かが彼女の後ろ盾にならなければ、あれだけの才能を腐らせてしまいかねません。すでに私は義統くんという才能を腐らせてしまっていますからね」

「だから、高校以来描いていないから、腐るというより消滅しただけだって。元々絵の才能はないに等しいんだから。それで横山先生に弟子入りしているだけですよ」

「それで昔の腕前が戻れば、見事な贋作画家が誕生するわけね」


「ずいぶん嫌味を言いますね。オリジナルが描けるくらい鍛えてもらいたいだけですよ。趣味で絵画を描く体育教師がいたっていいじゃないですか」

「まあピアノを繊細に弾くプロレスラーっていうのもいるわけだから、ない話ではないのでしょうね。とくに“絵画に造詣が深い体育教師”なら、怪盗コキアの第一候補に挙げられるわ」


「地井さんもしつこいですね。僕が怪盗だとしたら、先に横山先生と接触して、依頼を聞いてから木屋さんのところへ来ると思いませんか? いくらでも裏どりしてかまいませんから調べてみてください。僕は先に木屋さんの個展で名画に出会って知り合いになり、のちに横山先生の家の看板を見て絵画を習おうと押しかけたのですから」

「その裏はすでにとらせていただいていますわ。私としても知り合いが怪盗だったとしたら、見抜いて警告を発するのもその人のためだと思いますからね」



  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る