第34話 誰が描いたのか
険悪になり始めた
「それより、刑事さん。頼んでおきましたものは持ってきていただけたのでしょうか」
「ええ、いちおう証拠品なので持ち出しは難しかったんですが」
なにを持ってこさせたのだろうか。
浜松刑事の手には怪盗の予告状が握られていた。
「これをなにに使うつもりなんですか?」
「なに、『これが怪盗から予告状の出ていた絵ですよ』と来館者にお知らせしたいだけですわ」
「ちょ、ちょっと待ってください。言いましたよね。これは証拠品なんです。コキアにつながる可能性があります。それを公に展示するだなんて──」
「個展の邪魔をしに来るわけですから、私が個展に活かそうと考えてもかまわないではありませんか。怪盗に萎縮してあの作品を飾らないなんてことになったら、相手の思うツボですわ」
「お気持ちはわからないでもないのですが、怪盗の狙いはあの絵です。やはり展示は取りやめたほうがよろしいのでは?」
駿河は木屋輝美のプライドの高さを知らない。
彼女は自らの評価を低めるものは極力排除する。逆に高めるのであればどんな手を使ってでも利用する。そういう女性だ。
怪盗の予告状は客を呼ぶ格好の餌となりうる。
しかし警察もバカではない。
客が大勢呼べるとしても、その中に怪盗が紛れ込んでいる可能性は排除できない。これ以上話題づくりに拍車をかけるのは、かえって警備が行き届かなくなることを見越していた。
木屋輝美と警察とのやりとりはまさに狐と狸の化かし合いのようである。
双方とも腹に一物を抱えているのだ。ともにそれを表に出さず、腹の探り合いに終始している。
「探偵として、ですけど、わたくしも怪盗を煽るようなやり方はオススメ致しかねます。逆上した怪盗が絵を毀損するかもしれません。
「何度も言わせないでください。この絵は私が描いたもので、盗品などではございませんわ。その横山さんとやらが評価と作品を掠め取ろうとしているに決まっています。警察も探偵さんも、横山さんの身上を確認されてはいかがですか?」
さすがの地井玲香もカチンと来たようだ。
「わたくしは美術品を見る目も少なからず持っているつもりです。この絵はデッサンのバランス、タッチ、筆遣いに至るまで、木屋さん、あなたの絵とは一致しません。横山さんの絵を見ましたが、彼女の筆によるものであることは疑いようもございませんが?」
「そんなはずはありません。それに美術品は先に発表したほうが本物なのです。たとえ盗品であろうとも、展覧会や個展で先にお披露目したほうが所有権を主張できるのです。絵に詳しいという割には、脇が甘いですわね」
「その物言いは、この作品が盗品であることを暗に認めるものと言わざるをえませんが?」
「何度も申しているとおり、本作は私が描いたものです。そう主張して絵を展示しているのですから、世間や画壇からは私の作に間違いないと評価されておりますわ」
これで作品が盗品であり、盗んだのは木屋輝美かそれに連なる者ということになるわけだが。そうなると双方につながりのある俺が最も疑われる立場ではあるのだが……。
「木屋さんとしては、ご自身の作であると主張するわけですし、横山佑子さんは模写を二枚所有しているわけです。どちらがオリジナルを描いたのか。それはどうでもよいことなのかもしれませんね」
浜松刑事が慌てている。
「いやいや、もしかするとこの作品自体が盗品であるのだとすれば、どうでもいいというわけにはまいりませんな。捜査三課としてはオリジナルを盗んだおそれがあるのであれば、なおさら展示は中止して、プロの鑑定士に評価を下してもらわなければ──」
「私が描いたと申しているのですから、鑑定士だろうと捜査三課だろうと誰の介入も受けません。怪盗の予告状とともに展示するまでですわ」
やはり気の強さに関しては木屋輝美に軍配が上がるな。盗品を疑われているのに展示を強行しようとする芸術家はまずいない。厚顔無恥もここまでくるといっそ清々しい。
「では、この絵は盗品であり、あなたの描いたものではないと主張するのですか?」
俺はゆったりとした口調で尋ねてみた。
「いえ、この絵は私が描いたオリジナルですわ。横山さんとやらが複製を二枚所有していることこそ、彼女がオリジナルを描いていない証左となりますわね」
「セビル
「プロは一枚の絵に魂を注いで描くのです。二枚も三枚も同じ絵を描くような無駄なことは致しません」
「ゴッホは『ひまわり』を七枚描いたそうです。オリジナルを描いて複製も作るのはなにも珍しいことではないのでは。それともゴッホは誰かが描いた『ひまわり』の絵に影響されて七枚も描いたと主張なさるおつもりですか?」
駿河は殊更に低姿勢で問いかけている。
「その可能性もないとはいえませんわね。ゴッホ本人に直接お話を伺えない以上は」
警察のふたりは堪えられず歯ぎしりするがごとき表情を浮かべている。
「まあ誰がこの絵を描いたのか、なんて取るに足らないことなのかもしれませんよ」
「
「もしかすると、別にオリジナルがあって、木屋さんも横山さんもそれを手本にして模写したのかもしれない。その場合、誰がオリジナルを描いたかなんてどうでもいいことですよね。オリジナルが未発表のもので、模写したものを最初に公開したのが木屋さんだった。というだけのことかもしれない」
「あ、そうだわね。確かにセビル葵さんか横山佑子さんか、どちらかがオリジナルを描いたとばかり思っていたけど。第三者がオリジナルを描いていて、それをふたりが模写した可能性は残されるわ。義統くん、あなたかなり頭が柔らかいわね」
切れ者探偵に「頭が柔らかい」と評されるのは恐縮するばかりだ。
だが、この絵が木屋輝美の作でも横山佑子の作でもないのは確かだ。
「となれば、この絵にはオリジナルが存在することになりますが、セビル葵さんはどこでオリジナルを見たのですか?」
「さあ、どこででしょうね。そんな昔のことは忘れましたわ」
「セビル葵さん! これは窃盗事件になるかならないかの重要な質問です。はぐらかさないでください!」
駿河はずいぶんと熱くなっているな。まあ無理もないか。
怪盗が狙っている絵には他にオリジナルがあったとすれば、なぜ横山佑子の絵ではなく木屋輝美の絵に予告状を出したのか。疑問が尽きないのだろう。
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