第五章 絵になる男

第33話 ひと息

 セビルあおいことてる、探偵のれいと三人で美術館のホールでパーテーションに飾られた絵を見てまわった。


 やはりあの名画以外、実にたいしたことのない絵である。

 これらが十数万円で売れていくのだからボロ儲けもいいところだ。費用対効果としては実に効率がよい。

 あまりに退屈だったのか、地井玲香が口を開いた。


「わたくしは名画の前に残って、あの絵の特徴をしっかりと記憶したいと思います。もし誰かがあの絵を奪ったとしても、同じ絵を持っている人物を特定したとき、本物なのか模写なのかの区別くらいはつくはずです。もしもに備えて、これで写真を撮っておきますわ」

 彼女の発言にはフォローが必要だろう。


「地井さんは記憶力と洞察力が抜群なんです。一度見たものは細かな部分まで記憶します。その精度は写真よりも上との噂が高校時代にはありました。だからまかせておいて安心ですよ」

「まあ、よしむねさんがおっしゃるのでしたら、そのとおりなのでしょうけれど……」

「警察や彼女が複製を作れというのも、怪盗が予告状を出したからですよね。そして複製を作らなければ盗まれる可能性が高い。実は彼女が持っているカメラは“フィルムカメラ”なんです」


「フィルムカメラ、ですか?」

「はい、デジタルカメラは引き伸ばすのに限界がありますが、フィルムカメラならどれだけ引き伸ばしても細かな部分まで見極められます。データをコンピュータで比較すれば、ものの数分で同一作品かどうかがわかります」

「なるほど、盗まれること前提での警備、というわけですか」

「そこが難しいところですね。複製を飾れば、盗まれてもたかが複製ですからダメージは最小限に抑えられる。でも木屋さんは本物を飾りたいという思いが強い。だからなるべく盗まれないように警備はしますが、人間のすることです、百パーセントはありえません。盗まれたとしても、追跡できるようにしておく必要があります」


「追跡ができるようにする……。たとえばどのような対策があるのでしょうか」

「よく知られたものでいうと発信器ですね。GPS発信器なら地球上どこにいようと見つけ出せます。まあ海底とか地下室とかだと電波を拾えなくはなりますが。逆に言えばGPS発信器の信号が受け取れなければ、海の底か地下室にあるとも考えられます」

「なるほど、それなら安心して監視できますね」


「また盗品は裏社会でオークションにかけられることがあります。その際コンピュータに絵のデータが残っていれば、作品を押収したとき真贋を確認できます。つまり模造品で荒稼ぎをするような連中を捕まえられるわけです。そして模造品があるということは本物がその近くにあるだろう、とも考えられます」

「だから写真でデータをコンピュータに残そうってことですね」

「そうなります。地井さんは記憶力・洞察力にすぐれていますので、彼女自身がスーパーコンピュータといえます。ですが自分の能力だけを過信せず、AIコンピュータでも判断できるように写真に残すわけですね」

「女性の探偵さんだから、頼りないと思っていたのですが……」

「おそらく警察のどの人間よりも優秀ですよ。犯人が彼女から逃れるのは不可能に近いはず」

「最も頼れる女探偵。なにか絵になる人物像ですね」


「本当に絵に描きたい場合は交渉してくださいね。彼女、かなりのやり手ですから、モデル代が想像以上になると思いますが」

「でしたら、発想だけいただいて絵にしてみますわ。それならモデル代も不要でしょうし」


 仮面の下の怪盗は、この状況をただ笑って見つめていた。“本物”を飾ろうとする画家に、“本物”を守ろうとしている警察や探偵、“本物”を見に来るお客さん。


 そのすべてが想像もしていない出来事が土曜日に起こるのだ。その場をできるだけ多くの人に見せることで、作品はいったん死ぬ。そして横山佑子の知名度が高まったときに復活する。そのときになって始めて、人々は怪盗がなにをしたのか推察できるのだ。


 この計略を知っているのは俺と相棒のみず、そして本当の作者であるよこやまゆうの三名のみ。これ以上の人間は知る必要もない。たとえ捜査にあたる警察や探偵であろうとも。

 そもそも、どちらも始めから見せられている絵が“偽物”であることに気づいていない。作者を主張する木屋輝美すら気づいていないのだ。


 あとは土曜日を待てばいい。

 俺の考えた計略が発動したら、警備や捜査にあたっていたすべての人間は肝を冷やさざるをえないだろう。

 木屋輝美も“看板作品”を永久に失うこととなる。そうなっても木屋輝美は絵を売り続けるしかない。昔に名画を描いた画家として。

 横山佑子のプロデビューで面目を潰されるまでは。

 しょせん才能のない画家が見るには大きすぎた夢なのだ。身の程をわきまえない自尊心は、後ろ盾を失った途端に崩れ去る。それを見守るのも、依頼人・横山佑子の願いであった。


「義統さん、これから夕食をデリバリーしてもらおうと思っているのですが、なにが食べたいですか?」

 多くのお品書きを持った木屋輝美が近寄ってきた。

「おまかせ致します。私だけならコンビニ弁当でもファストフードでもだいじょうぶですから」

「あら、身体はがっしりしているのに意外と雑食なのですね。もっと食べるものに気を使っているのかと思っていましたが」

「ええ、ひとりで食べるときは栄養素を考えて食べますね。ですが出先でそこまでこだわるわけにもまいりませんから。“郷に入っては郷に従え”というじゃないですか」

「それじゃあ私が食べたいものでかまいませんか? 久しぶりにピザでも食べたかったんです」

「ピザですか。ボリュームと価格のバランスがいいですからね」

 木屋輝美は地井玲香に歩み寄った。

「探偵さんもピザをお食べになりますか?」

「そうですわね。久しぶりに食べてみたいかもしれません。お味はおまかせ致します」


 木屋輝美はイタリア料理店に電話して、ピザを三枚注文した。


「探偵さんも少し休みませんか? 頭を働かせてばかりだと身体がもちませんわよ」

「そうですわね。今日はこのくらいにしておきます。最後に写真を撮らせてくださいね」

「かまいませんわよ。それで贋作を作るわけでもないでしょうから」

 言葉にかるく嫌味が混じっているようだ。


 地井玲香は大きなフィルム一眼レフカメラを構えて、正面と角度を変えて十枚ほど撮影する。それが終わるとこちらへと戻ってきた。

 まるで意味のないことを大真面目にしているわけだが、それを知っているのはこの場でただひとり。我関せずの態度で興味深く聞いてみた。


「まあうちのコンピュータなら最新のAI技術が使えますから、仮に盗まれたとしても本物を選び出すのはわけありませんわ」

「それはなんとも頼もしい。ですが、最上は怪盗コキアを逮捕して作品を盗まれないことですわね。警察も探偵さんも、まずは怪盗逮捕と作品保全に努めていただきたいのですが」

「警備は美術館の警備員と警察が担当します。私はあくまでも怪盗の特定と逮捕を担います」

 すると正面の扉からはままつ刑事と駿河するがが現れた。


「おやっさんと僕が怪盗の特定と逮捕を担います。私立探偵の地井さんにおまかせする仕事ではありませんよ」

「駿河くん、あなたもいっぱしの刑事なら、肩書ではなく成果で示すべきよ。今までは肩書だけだったから怪盗に出遅れていたのではなくて?」

「地井さんもあいかわらず手厳しいですね。では地井さんは誰が怪盗だと思っているのですか?」


 ちょっと言葉を選んでいるようだ。

「そうね。警察と関係があるのは確かでしょう」

「内部犯とでも言いたいのかな、地井さん」

 浜松刑事が仏頂面で睨みをきかせている。



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