第31話 玲香の疑念

 授業が終わると、すぐに美術館へ車を滑らせた。おそらくれいが来ているはずである。

 彼女が今なにを考えているのか。少しでも知れれば今後の対応に差異が生じる。

 美術館裏の関係者駐車場にbZ4Xを入れた。隣には真っ赤なポルシェ・タイカンが停まっている。やはり先に到着していたようだ。

 車から降りると、タイカンのドアが開いた。


「あら、今頃お出でなのね、ずいぶんと早いんじゃないかしら、よしむねくん」

 ローズレッドのタイトスーツを身にまとった地井玲香が嫌味を述べながら出てきた。

「地井さんこんばんは。その様子だと、てるさんの裏はとれたんですか?」

「ええ。そのくらいのことはすぐに調べがつきます」

「では、あの“傑作”の本当の作者も判明した、と?」

 地井玲香は胸の下で腕を組んでいる。


「あの作品が発表されたのは二回前の個展でした。その頃によこやまゆうがセビル葵に接触して絵の帰属について口論していたという情報を得ました」

「それだと横山先生が描いたとは証明できませんね。木屋さんに難癖をつけにいったようにも見えてしまう」

「問題はそこね。以前セビル葵から許可を得て、あの作品の写真を撮ってAI分析したところ、絵のタッチや筆遣いは木屋輝美のものではなかったと判明したわ」

「では横山先生のタッチや筆遣いとは比較されたんですか?」

 腕を組んだまま地井玲香はまぶたを閉じて左手で目頭を押さえる。

「いいえ。横山佑子の絵はまだ鑑定していないの。でも見た目の印象だけなら、あの作品は横山佑子の絵だと思うわ」

「地井さんの記憶力・洞察力を持ってすれば、鑑定するまでもない、と」

「記憶なんてあてになりはしないわね。客観的な証拠を集めないかぎり、推理の粋を出ないのよ」


「推理の粋を出ない?」

 探偵なんだから、推理してなんぼではないのだろうか。

「客観的な証拠を集めて相手に突きつけないかぎり、相手は真相を話してくれないわ」

「ということは、地井さんはすでに木屋さんと話している、ということですか」

「あなたと話がしたくてね。帰るのを先延ばしにしていたってわけ」

 普通なら美女とお近づきになるのは大歓迎なのだが、地井玲香の興味が俺に向かうと素性を明らかにしかねない。じゅうぶん距離をとるべきだろう。


「どんな話でしょうか? 美人の頼みは断れませんが……」

「横山佑子を私の事務所に越させたのは義統くんよね?」

「いえ、地井さんの話はしましたが、会いに行けとは言っていませんよ」

「素性のわからない神父とおっしゃる方とふたりで私の元へやってきました。なんでも芸術品のプロデュースをされている方で、芸術家のパトロン探しをなさっているとか」

「へえ。パトロン探しですか。で、なぜ神父さんがそんな用で地井さんのところへ行ったのでしょうか?」

 地井玲香は胸元を左手で押さえている。

「私の亡くなった父がパトロンをしていたそうなのよ。で、父の代わりに私がパトロンをしてほしいって。それで横山佑子を連れてきたってわけ。謎の神父はいくつ副業を持っているのかしらね」


「ああ、それなら水田かもしれないな。彼は個展を斡旋するプロデューサーなんですよ。僕の親しい友人で、横山先生を彼に紹介しました。でもおかしいな。彼に地井さんを紹介していないんだけどな?」

「試しに父の素行を調べてみたら、やっていたのよね、パトロンを」

「ではまんざら嘘を吹き込まれているわけではなさそうですね。個展のプロデュースをしているから、芸術家の日常生活も面倒を見ているのかもしれないですね。そこまでの活動はお互いしていませんから」

「本当にあなたの紹介じゃないんでしょうね?」

「ええ。さすがにパトロン探しまでやっていた、なんて話は聞いたこともありませんので。おそらく横山先生の作品を見て、水田が『売れる』と判断したのかもしれないですね。作品が売れるか売れないかを見る目には長けている男ですから」

「私も横山佑子の絵はセビルあおいのものよりも芸術的な価値は上だと思います。そういう意味では彼女に投資しても惜しくはない、とは思います」

「ということは、横山先生のパトロンを引き受けるのですか?」

 彼女はまた目頭を押さえている。集中するときのポーズのひとつなのかな。


「とりあえず、三回の個展の開催費用くらいは貸し付けようかと考えているんだけど。生徒である義統くんの印象を聞きたくてね。彼女の絵の実力、あなたの目から見てどれほどなのかしら?」

「そうですね。動物を生き生きと描く才能は天才的と言っていいでしょう。無機質な背景などに若干課題はあるでしょうけど、数を描けば改善する可能性が高い。今はとにかく枚数を描いて経験値を溜める時期です」

「つまり発展途上ということね」

「先行投資をするならオススメできる物件ですよ。自信さえつけばきっと大化けするでしょうからね」

「大化け、ね。じゃあ今の彼女のレベルで個展を成功させるだけの実力はないのかしら?」

 どうやら投資話として話がしたかったようだな。


「看板になる作品がありさえすれば、それだけで集客力は爆発的に向上します。地井さんが彼女の絵から『これなら投資しても回収できそう』と判断できるかどうか、ですね」

「それがあなたの亡くなったお父様のスタンスなのかしら?」


「本当、昔のことをよく憶えていますよね。こんな話、高校当時は一回しか口にしたことがないはずなのに」

「意外だったのよね。私の父が義統くんのお父様と同じくパトロンをしていたと知ったから」

「であれば、パトロンの息子としての感想を聞きたいのですか?」

「そうね。今日のところは」

「今日のところは、ですか。なにか別の思惑もありそうですね。地井さんは洞察力にすぐれていますから」

「まあ、あなたが怪盗コキアじゃないか、くらいは考えているわね。私の周りであなたほど芸術の才能がある人はいないもの。もし私の関係者の中に怪盗コキアがいるのだとしたら、あなた以外に考えられないわ」


「僕は怪盗ではありませんよ。それに地井さんの周りに怪盗コキアがいるとは限らないんだし」

「じゃあなぜ私の元に怪盗コキアの話題が出てきたのか。そこが謎なのよね。まったく面識のない人が関わっているとは考えづらいのよ」

「それで僕に目星をつけた、というわけですか」

「あなた以上の画才がある人物がいない限りは、ね」


「神父の水田はどうなんですか? 地井さんに近づいてきたし、横山先生のことを頼んだりしていたんですよね」

「そこなのよね、問題は」




(次話が第四章の最終回です)

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