第30話 映えるバク宙
体操場に着くと全日本選抜の
「弓香、お疲れさま。あとは
「はい、
高村弓香はマットから降りた。
「あ、それなら高村さん、手頃な棒を持ってきてください」
「棒、ですか?」
「剣の代わりになるものがいいんだけど」
「義統先生、わかりました。少々お待ちください」
高村弓香は体操場の倉庫へと駆けていく。
「じゃあ巽くん、まずは僕の実施を見ていてください。できれば自分がやっているつもりで見ていると練習がラクになるからね」
マットの端まで歩いて後ろ向きに立った。
「まずはバク宙から」
「バク宙から!? ちょっと義統くん、いきなりバク宙は無理よ」
「いや、彼の跳躍力ならバク転をさせるほうが遥かに危険だから」
「どういうこと?」
まあ確かに常識では回転が少ないバク転を先にこなしてから勢いをつけたバク宙に移行するものだろう。しかし、巽くんのロンダートからの高さは群を抜いている。
「彼くらいの跳躍力で形式どおりバク転から入ると、回りすぎるおそれがあるんだ。それではきちんとしたバク転にはならないし、危険度も高くなる。まずは身体が後ろ向きに回転している感覚を身につけさせようってこと」
秋山さんはあまり納得していないようだが、とりあえずやってみせればわかるだろう。
「じゃあ試技するからよく見ていてね」
巽くんと秋山さんが食い入るように見ている。
「回転力に自信がないうちは腕の反動を利用するんだ。まず両手を伸ばして正面に構える。そして下から後ろへまわすと同時に膝を曲げていく。そして──」
両手を素早く下、前を通過させて上まで振り上げるとともに、素早くそして強く両足で地面を蹴った。
「高い!」
秋山さんの声が聞こえるが、かまわずすぐに身体を丸め、頭が真下から上向いてくるところで身体を伸ばしてゆったりと両足で着地する。
「嘘でしょう」
巽孝哉に向かってかるく微笑んだ。
「これが僕のバク宙だ。君に教えるのもこれだからね。きちんと両足で身体を浮かせられたら成功したも同然だからね。じゃあ僕が補助をするから、巽くんチャンレンジしてみようか」
巽孝哉は生唾を飲み込んでいる。自分にこれができるのか、いささか心配になっているのだろう。そのとき高村弓香が倉庫から鉤棒を持ってきた。
「君も砂場常連組だよね? 実は僕もそうだったからさ。だから僕にできることは君にもできる。おそらく君の跳躍力は僕以上、というよりおそらく体操をやったことのある人でも君以上はまずいない。だから成功して当たり前。補助もしっかりするから失敗を恐れず、ジャンプに集中すればいい」
巽孝哉はマットの端に後ろ向きで立つと、その場で何度か弾んでいる。これは緊張がすぎるな。今のままで成功させるのは困難だ。
「巽くん、まずは補助の練習をしよう。僕が腰と背中を支えるから、意を決してジャンプするんだ」
「わかりました」
両手を前で揃え、下から後ろへ、そして下から前へと通過するに会わせて両膝を曲げていく。
「ジャンプ!」
とタイミングを伝えると巽孝哉は一気に両足を伸ばしてジャンプする。俺は背中に回した手を軸に、腰を上へと押し上げる。すると身体が大きく回転して頭が真下を向いた。
「リラックス!」
と叫ぶと巽孝哉は身体を解いてゆったりと降りてくる。そして両足でしっかりと着地した。
「で、できた……」
巽孝哉は感動に震えているようだ。
「すごいバク宙」
高村弓香も唖然としている。
「やっぱりあまり補助は要らなかったね。じゃあここから補助を減らしていくから、今のタイミングを次に活かすようにやってみようか」
「はい!」
一度成功しているから、二度目もすんなりバク宙ができた。三回目は背中に手を添えて軸を作るだけにして、あとは巽孝哉の力に委ねる。これだけ跳べたらもうだいじょうぶだろう。
「じゃあ、最後に補助なしのバク宙を練習しますか。やり方はまったく同じ。背中の真ん中、胸のあたりに回転の軸があるイメージを持って、両足でしっかり床を蹴る。そうすると大きくて見栄えのする宙返りになるからね」
「じゃあいきます!」
巽くんにひとりで実施させると、どこも崩れることなく、大きくゆったりとしたバク宙を完成させた。
「で、できました! できましたよ!」
大きくうなずいてみせた。
「君の場合、頭から落ちたくなくて高さを出そうとしすぎた結果、回転の軸が作れていなかったんだ。だから軸を決めるだけで、きちんとまわれるようになる。バク宙はこれで完成。今日は一日中バク宙を反復練習するといい」
高村弓香が鉤棒を渡してきた。これでちょっとした演技を見せておくか。
「秋山さん、僕に向かってこれを横薙ぎしてくれないかな。それを回避するバク宙を彼に見せるからさ」
「今バク宙ができるようになったばかりの子に、かなり難しい演技も見せるわけ?」
「今のよりも難しいものを見れば、普通のバク宙なんて余裕を感じるはずだからね。とにかく演技してみようか」
忍はマットの端に立つと、秋山
「タイミングは秋山さんにまかせるから、いつでもそれを横薙ぎしてください」
「いいのね、本当に」
「いつでもOK」
秋山理恵がゆっくり鉤棒を振りかぶるのを見てバク宙を開始した。鉤棒が一気に横薙ぎされると同時に後方へと大きくジャンプしてバク宙をしながら着地する。そこからさらに秋山さんとの距離を詰めて右足での回し蹴りを寸止めする。
「どうかな。これができるようになれば、実戦で使えると思わない?」
「驚いたわ。まるで軽業師のような身のこなしね」
秋山理恵は素直な感想を述べた。高村弓香も巽孝哉も唖然としていた。
「巽くんには今の演技ができるレベルまで教えるから心配は無用。きちんと一から教えるからね」
「弓香はどうする? 今のレベルの演技を教えてもらいたい? 私はチャレンジしてもいいと思ったんだけど」
高村弓香はじっくりと考えているようだ。まあ今までのバク宙とはレベルが異なるから、いくら日本女子体操のエースでもそう簡単に真似のできる芸当ではない。
「そうですね。挑戦してみたいと思います。今のままじゃ世界と戦うには物足りないと思っていたんです。今の義統先生の技を見て、なにが足りないのか、
「わかったわ。義統くん、巽くんの練習だけをお願いしていたけど、できれば弓香にも教えてもらえないかしら?」
「それはかまわないけど、宙返りのコツが体操部とはちょっと異なっていると思うから、違和感を覚えたらすぐに練習をやめさせること。だから秋山さんも練習に参加してください。高村さんも教えさせるならそれが条件です」
「それでいいわ。それじゃあ放課後になったらさっそく始めましょうか」
「いや、今週は予定が立て込んでいてね。朝練には付き合えるけど放課後はちょっと無理だね。来週からは放課後も付き合えるんだけど」
「それでかまわないわ。じゃあ巽くん、弓香、今週は朝練になるけどしっかり習いましょうか」
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