第29話 パトロン

 探偵事務所を出て、そのまま教会へと足を運んだ。よこやまゆうの個展の段取りを整えるためである。

 前もってみずに連絡をしておいたので、大扉から中に入るとすでに待ち構えていた。


「横山佑子の個展に向いていそうな会場は見つかったかい、ミスター?」

「三つ候補を考えている。それにしても今回はずいぶんと思い入れが強いんじゃないのか、コキア?」

「まあ俺の絵の師匠だからな。なんとしてでも一流画家になってもらわなければ、習っている俺が困る」

「ふん、本音はどうなんだか」

 水田と見合って互いに笑みを浮かべる。


「それで三つの候補というのは具体的にどこなんだい?」

 水田は意地の悪い顔をしている。

「まずは都心にある老舗デパートの七階特設ブースだな」

「どこかで聞いた場所だな。で、ふたつ目は?」

「廣山美術館」

「おいおい、まさかてるに当てつけようって腹か」

 水田は手を打ち鳴らしている。

「ご名答」

 思わず嘆息してしまった。まあ水田の意地の悪さは筋金入りだが。


「わかった。じゃあもう一箇所も木屋輝美絡みってわけか。場所はミスターにまかせる。その代わり、パトロンとしてどうしても引き入れたい人物がいる。彼女と接触して出資を募ってほしい」

「ほう、コキアからパトロン候補が挙がるとはな」

「なんとしてでも彼女をこちら側に引き込んでおきたいからな。警視庁の近くに住んでいる。探偵事務所も同じところに構えているから、まずは仕事の依頼という形で接触してくれ」

 地井玲香の名を出すと、水田はかるくうなずいた。


「その女の亡き父親が業界では有名なパトロンでな。俺のネットワークにも当然入っていた。父親の葬式に顔を出しているから、憶えられている可能性が高いな」

「ああ、記憶力は抜群だからな。ひと目見ただけですべてを憶えるほどだ。一度会っているのなら話が早いだろう」

「わかった。明日、朝の礼拝が終わったら会いに行こう」

「必要であれば俺の名を出してもかまわない。その代わり確実にパトロンに引き入れてくれ」

「それほど敵に回したくない人物ってわけか」

「彼女に疑われたら、逃げられなくなるからな。それほど恐ろしい女だ」

「まあだいじょうぶだろう。父親と同様にパトロンとして出資してほしいと言えば、少しは感傷を起こすはずだ。ビルに住んでいるのも、父親の影響が強いのだろうからな」

「じゃあまかせたぞ、ミスター」




「というわけで横山さん、当日神父と探偵の地井さんが迎えに行くのでセビルあおいの個展へいらしてください。それで事の成り行きを見届けていただきたい」

 横山佑子へ電話をかけて、個展へ招待した。

〔わかりました。よしむねさんの力作がどのような姿になるのか。しっかり見届けさせていただきます〕

「それなりに自信作ではあるので、本物が手元にあってもいささか気分を害するかもしれません。見ていられなくなったらそのままホールを出てもかまいませんので」

〔ありがとうございます。これで因縁も晴らせるというものです。それよりいいんでしょうか。探偵の地井さんに私のパトロンをお願いしても……〕

「それなら問題ありませんよ。彼女の父親とのコネクションを神父が持っていましてね。それを活かしてあなたの支援をお願いする予定です。呆れるほどの財を有していますから、横山さんのパトロンとして申し分ない人ですよ」

〔ご紹介いただいてありがとうございます。できれば個展でホームランを打ちたいところなんですけど。個展デビューでいきなりかっ飛ばせるわけもありませんから。見知った方にパトロンをお願いできたら、私も安心して絵に専念できます〕


「まあその代わり、俺の正体を探られるかもしれませんが。適当にはぐらかしてください。どうせ窃盗は現行犯でなければ逮捕できませんからね」

〔そうですか。では間違ってよしむねさんがコキアだと口走ってしまっても、逮捕は難しいというわけですね〕

「おっしゃるとおりですが、できれば僕とコキアは別人だというつもりでいてください。同一人物だと思い込んでいるとつい口走りかねませんから。地井玲香は小さな変化に敏感ですからね」

〔ご自身の安全よりも私の将来を慮っていただけるなんて、なんと申し上げてよいのか……〕

「まあすべての謎が解けたとき、自分も怪盗のピースのひとつだと気づけば、こちらの詮索はできなくなりますからね」

〔うふふ。義統さんって相当意地が悪いのですね〕

「そうでなければ怪盗なんてやっていませんよ」

 彼女の失笑が聞こえてきた。


〔確かに。ではこれから個展用の作品の仕上げに入りますので失礼致します。当日は神父さんと地井さんが迎えに来られるんですよね。一緒に会場入りすると思いますので、よろしくお願い致しますね〕




 木曜の朝を迎え、学校に到着すると朝練を終えた女子体操部のあきやまコーチがやってきた。

「おはようございます、秋山さん」

「義統くんおはようございます。さっそくで悪いんだけど、たつみくんにバク転とバク宙を教えてもらえるかしら?」

「僕はかまわないけど、彼はもう到着しているの?」

「ええ、体操場で待たせているわ。ゆみがストレッチの手ほどきをしてね」

「全日本選抜のエースにそんなことをさせているのか」

 わざと呆れたふうを装ったが、朝礼まで時間に余裕があるわけでもない。今すぐ向かうべきだろう。

「それじゃあ、パパッと教えてきますか。秋山さんも見に来ますか?」

「そうね。素人が素人にどう教えるのか。今後の参考にさせてもらおうかしら」

 ふたりで話しながら体操場へと向かうことにした。


「そんなに難しいことじゃないからね。要はやる気と根性!」

「ずいぶん簡単に言うのね」

「簡単さ。とくに巽くんが噂どおりの跳躍力ならね。痛い思いをする根性があるかどうか。結局はそこに行き着くから」

「ということは、義統くんも根性で憶えたのかしら?」

 彼女に頭をさすってみせた。

「まあね。できるだけ見栄えのよいバク転とバク宙がやりたくて、あれこれ工夫しながらだったから」

「道理で綺麗なバク転とバク宙ができるわけね。見せるバク転・バク宙なんて、全日本選抜でもやれないことよ?」

「それならたかむらさんにも教えてみようか? もう完成された選手だから、手を入れないほうがいいとは思うけど……」

「そうね。あなたの教え方を見てから決めましょうか。スパルタ式なら手は出させないわよ。弓香を壊されたら日本体操界の大きな損失になりますからね」

「ってことは、僕はそれほど信頼されていないってことか」

「信用はしているけど、信頼まではね。あなたに体操の指導実績があれば別なんだけど、ね」



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