第四章 個展と疑念

第25話 試技

 水曜日の朝、あきやまに呼び出されて都立先枚高校の体操場にやってきた。

 彼女からの依頼はおそらくふたつ。


 駿河するががふたりの関係をいつ父親の浜松刑事に伝えてくれるのか。

 たつみたか|くんにバク転とバク宙を教えてほしい。


 これ以外で呼ばれる理由はない。

とものりに伝えてくれない? いいかげん父に話さないと私にも我慢の限度があるって」

「そういうことは直接電話で伝えたほうがいいよ。僕が駿河と接触しにいかなければ、すれ違うんだから」

「それならよしむねくんが電話で伝えてよ。男同士ならこういう相談もしているんでしょう?」

 ちょっと勘違いしているような。


「男の友情は、確かに決めきれない友の尻を叩く面もあるけど、黙って成り行きを見守る関係のほうが多いんだよ」

「あら、そうなの? 女性の友達は恋バナで沸くものだけど」

「男は照れくさいのかもね。誰かと付き合っているなんて気にしないで、それこそ突然の結婚報告で知ることが多いから」

「男友達って案外面倒なのね。ドラマだとなにかと世話を焼くシーンが多いけど」

「あんなの嘘っぱち。脚本家にとって都合がいいからやらせているだけだよ」

「じゃあ友徳と義統くんもそんな感じなの?」

 あまり頓着しないで口にしてみるか。


「まああいつも刑事をやっているから、こちらから頻繁に連絡を入れるわけにもいかないしね。もし内偵なんかしていて電話がいつ鳴ってもおかしくない状態だと、命にかかわるだろう?」

「うーん、言われてみれば……。じゃあコンビを組んでいるからって、父とそれほど親しいわけでもないのかしら?」

「いや、『おやっさん』って言っているくらいだから、親しくしているとは思うけどね」


「それなら『おやっさん、お嬢さんとお付き合いしていました。以後も変わらずよろしくお願いします』とか言えそうなものじゃない?」

「仕事と平時とでは付き合いも違うんだろうね。まあ焦らなくても、そのうち伝えるチャンスも出てくるはずだよ」

「でも今は怪盗が絵を狙っているのよね? ずっと仕事モードのままなのかなあ……」

「まあ怪盗が狙っている絵が飾られる個展は今週末だから、予告日次第ではすぐに終わるかもね」


 そういえば、予告状の情報は流れているけど、予告日時については触れられていなかったな。意図的に情報を制限しているのか。

 もしかしたら地井玲香の入れ知恵かもしれないな。

 情報に差をつけて、怪盗を絞り込もうとしているのではないか。


 木屋輝美に対しても情報格差をつけているのかもしれない。

 今の木屋輝美が実は怪盗本人だった、という線もまったくない話ではないのだから。


「そういえば、巽くんの話はどうなったんだい? もうバク転とバク宙を教えてあるのかな?」

「男子の松本コーチにお願いしているんだけど、『大会が近い』という理由で見てもらえないのよね。義統くんにお願いできるかしら」

「いいのかい? 僕のも我流なんだけど」

「他に教えられそうな人が見つからないのよ。うちのたかむらにやらせてもいいんだけど、年齢が近いといろいろと面倒なことになりそうだから……」

 高校生が先輩女子から手ほどきを受けたとなると、確かに早耳連中が耳ざとく食いついてきそうだな。


「じゃあ巽くんからいつ習いたいのか聞いておいてくれないかな。都合がつけばその日の放課後に教えてあげられるから」

「助かるわ。もちろんあなたが巽くんに指導しているときは私がフォローに入るから。巽くんの同級生の仁科にしなくんは捕まえやすいから、彼から意向を聞いてみるわね」

「わかった。とりあえずはいつでもかまわないからね。あ、そういえば体操部って確か大会が近かったよね?」


「よく憶えているわね。来週の土日に地区大会があるのよ。だからそこは避けてくれると助かるんだけど」

 まあとりわけ急ぐ用事でもないし、教えるのはすぐにできるのだからいつでもいいだろう。

「現役の体育教師には愚問だろうけど、いちおうどれだけのバク転とバク宙ができるか、確認だけはしておきたいんだけど。義統くんにまかせるとしても、どの実施レベルなのかは知っておきたいじゃない」

「じゃあここでやってみせようか?」

「準備運動はきっちりやってからね」

「バク転とバク宙くらい、身体を温めなくてもだいじょうぶなんだけどなあ」

「それを生徒たちが見て、ストレッチを軽視されたくはないのよ」


 なるほど。僕じゃなくて選手の心配をしているのか。ならばすぐにストレッチに入ろう。

 今日も木屋輝美の個展が開かれる美術館へ行くつもりだからな。パッとやってササッと確認してもらえばいいだろう。


 秋山理恵はそばにいる高村ゆみに声をかけた。

「弓香、今から選手を全員呼んできて。これから体育の義統先生にバク転とバク宙の模範を見せてもらいますから」


 観客付きか。人に見せるほど自信があるわけじゃないんだけどな。

 とくに彼女たちは体操選手だ。厳しい評価にさらされそうだ。

「これでよし、と。じゃあバク転とバク宙をかるく流しておきますか。秋山さん、もういいかな?」

「ええ、全員揃ったわ。あなたにプレッシャーの中でどれほどの演技ができるのか。確認しておきたかったのよね」


 女子選手の好奇の目にさらされている。

 普通これだけ女性の目があると変に力が入る男性が多いけど、これでもいちおう怪盗だからな。ちょっと驚かせてやろうかなどと考えた。

 右手を高く上げた。

「バク転いきます!」

 立った状態から素早くバク転に移行した。連続でやらないとダメだろうな。三回連続でバク転して踏みとどまると、女子選手からどよめきと拍手が沸いた。


「驚いたわ。ただのバク転じゃないじゃない。高いし遠いし」

「巽くんに教えるなら、攻撃を避けるためのバク転だろうからね。瞬時に間合いをとるバク転のほうがより実践的だろう?」

「どうやらバク宙も期待できそうね」

「できればふたつやらせてもらえるかな?」

「バク宙をふたつ? 抱え込みと伸身とか?」

「いや、両方とも抱え込みで」

 どうやら秋山さんにはわからないかな。実際に見せたほうが早いだろう。


「じゃあバク宙いきます!」

 その場でできるかぎり高く跳び、身体を小さく抱え込んで宙返り、すぐに身体を伸ばして余裕を持って着地すると、重心を後ろに傾けて後方へ大きくバク転した要領で抱え込み宙返りを行なった。着地するとそこから前方へ素早く跳躍して右回し蹴りを放った。

 一連の技が終わると、場内が静まり返ってしまった。ちょっとやりすぎたかな。


「すごいわ義統くん! 体育教師の面目躍如ね。選手たちにも使えそうな演技だったわ」

「そうかな?」

「ええ、誰かと戦う演技で、迫力もじゅうぶんね」

 秋山さんが拍手すると、選手たちからも割れんばかりの拍手があがった。

「これなら巽くんをまかせてもだいじょうぶね。弓香、巽くんに『放課後だったら義統先生がバク転とバク宙を教えてくれる』って伝えておいてください」

「はい、コーチ」


「それじゃあ僕はこのへんで」

「義統くん、ありがとう。この子たちもいい刺激を受けたと思うわ」

「専門家に褒めていただいただけでも光栄ですよ。じゃあストレッチしながら帰りますので。選手の皆さん、地区大会も近いですから、しっかり悔いのない練習に励んでくださいね」

「はい! ありがとうござしました!」

 一同が起立して一礼した。

 それに右手で応えると、そのままストレッチをしながら体操場をあとにした。



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