第24話 化かしあい (第三章最終話)

 てるれい。ふたりの美女と話をしていると、はままつ刑事と駿河するがが訪ねてきた。

「あら、刑事さん方、今宵はいかなご用でして?」

 木屋輝美はこともなげに応対している。


「怪盗に狙われている絵の展示を取りやめていただきたいのですが……」

「どうしてですの? 皆があの絵を見るために来場されるのですよ」

 浜松刑事はハンカチで汗を拭いている。よほど慌てて到着したらしい。

よしむねくん、君からも口添えしてくれないか。“とんぶり野郎”の狙いがこの絵なのであれば、これを展示しないかぎりやつが現れる心配もないんだからな」


 そうなんだよな。この絵が衆人にさらされている状態でなければ処分しても誰にも気づかれない。

 となれば、依頼人である横山佑子の願いである、本物を処分したとしても、誰にも知られることなく、あの絵が逸失したことを大衆に周知するのも実現不可能となってしまうだろう。


「パンフレットの表紙にもなっているような絵です。これなくして個展は成功しえません。確かに展示しないかぎりは奪われる心配もないとは思いますが。作者を主張している木屋輝美さんが飾りたいと強い希望をお持ちでいらっしゃいますから、展示しないままでは個展を開催する意義もないのかもしれません」

「さすが義統さん。私の心をすべて見抜いていらっしゃるのね。美術品を見る本物の目、審美眼があれば絵の価値は言わずもがなですわね。探偵さんも刑事さんも、もう少し美術品に関心を持たれてはいかがでしょうか?」

 いかにもな嫌味を言われてはいるものの、窃盗・盗難を担当する警視庁捜査三課なら美術品を見る目にも長けているはずだ。そうでなければ守るべき本物と取るに足らない偽物との区別もつかないはずなのだから。


 ただのがんさくであれば、どこかに不自然な点が生まれるものだ。しかし、俺の作る偽物は制作意図を持って作成しているので、たとえ描いた本人でも真贋を見極めるのはきわめて困難だ。区別がつくのは偽物を作った自分だけというほどの精巧さである。

 いかに記憶力・分析力にすぐれた地井玲香をもってしても、最初から偽物を見せられているのだから、判断に誤りも生じるはずだ。

「浜松さん、わたくしにひとつ策がございます。ただ時間がありませんから、決断はこの場でお願い致したいのですが」

「どのような策ですかな?」

 地井玲香がこちらに目を転じた。

「ここにいる義統くんに今から偽物を作ってもらいます。もし怪盗コキアが美術品を見る目があるのなら、その偽物を見ればすぐに興味を失って引き返すはずです。そうしてから本物に飾り直すのです」

「なるほど……。“とんぶり野郎”が諦めて帰ったのを確認してから本物を出す……と……」

 しかしこの策には問題点もある。


「だが、義統くんは都立高の体育教師だから、今から偽物作りを始めさせても土曜までには間に合うまい。それに、彼の腕前もまったくわからん。そもそも体育教師だぞ。偽物なんて作れるのかね? 本職の美術教師でもあるまいし」

 なにやら思惑を秘めた地井玲香の眼差しが注がれているようだ。

「もし高校時代から腕前が落ちていないのであれば、彼ほど偽物づくりに長けた人はおりませんわ。美術の授業中にモネやゴッホ、ダ・ヴィンチなど著名な画家の模写をして先生や生徒たちが驚いたほどですから。ねえ、駿河くん?」

「そういえば……。確かにそんな騒ぎが何度か起こっていたなあ。模写だけでなく似顔絵なんかもうまかった記憶があるし」

「地井さんも駿河もずいぶんと昔のことをよく憶えていますね。僕はあれからまったく絵を描いていませんよ。最近横山佑子さんの看板の絵を見て、もう一回基礎から習おうか思って生徒になったくらいですからね」

 やはり地井玲香は危険だ。昔のことをこれほど細部までよく憶えていられるな。


「……で、義統くん、手伝っていただけるかしら?」

 ここは木屋輝美に助けてもらうべきだろう。視線を彼女に向けた。

「義統さんがいかに偽物づくりに長けていたとして、来場者は本物を目当てに見に来るのです。とくに初日の開場直後に来る熱心な方々は、それだけ期待していらっしゃるのですわ。そのような方々をたばかるような真似まねはできません」

 やはり木屋輝美はプライドが高いな。だが高校時代のままなら、地井玲香も相当プライドが高かったはずだが。刑事を経験して探偵に転身したような柔軟性を身につけているのであれば、多少は柔らかな対応が期待できるかもしれないけれども。


 地井玲香は大げさに首を左右に振ると、髪を直した。

「肝心の作者から了解が取り付けられないのであれば、この策を入れる余地はありませんわね。わたくしは探偵ですから、絵画の警護は致しかねます。本物の作品を警護するのは美術館の警備員と捜査三課におまかせしてくださいませ」

 厳しい視線を投げてくる地井玲香に苦笑いを浮かべた。

「義統くん、あなたかなり意地が悪くなったみたいね」

「いえ、まだ絵を習いたてなのでお力添えできないだけです」

「あなたの才能は錆びついていないと思っていたのだけど?」

「お思いになるのは自由ですが、僕の能力は自分がいちばん理解しています。今の僕のレベルではこの作品の偽物は描けませんよ。それほどの名画です」

「本当、これほどの名画はなかなか見当たらないわね。すべての絵がこのレベルであれば、きっと画壇に名が残るでしょう。個展の成功をお祈りしておきますわ。では本日はここで失礼致します。夜ふかしはしない主義ですので」

 これで当日まで邪魔は入らないだろう。地井玲香に張りつかれたら、気づかぬうちにボロを出しかねないからな。

「義統くん、あなた明日も高校でしょう。そろそろお暇しないと」

「そうですね。それでは木屋さん、僕もここで失礼致します。時間の都合がつくかぎり毎日来る予定ですから、なにか用がございましたらいつでもメッセージを送ってください」

「わかりました。義統さんの審美眼に期待しております。できれば明日以降もいらしてくださいね」

 木屋輝美と浜松刑事、駿河に一礼して美術館をあとにした。


 表では地井玲香が真っ赤なポルシェ・タイカンの前で俺を待っていた。

「どうして偽物を描かないのかしら? あれほどの名画なら模写のし甲斐があると思うのだけど」

「高校以来、絵を描いていませんでしたからね。あのときのクオリティーを維持していないと地井さんのご期待には添えませんので」

「本当にそうなのかしら?」

 地井玲香は疑いの目を注いでくる。

「見たでしょう、あの名画を。あのレベルの偽物を描くのにプラスして、昔のコツを思い出して描きあげるのにどれだけ時間がかかるとお思いですか? それに木屋輝美さんが偽物を固辞しています。偽物を書いても彼女には受け入れられませんよ」

「まあいいわ。それより、あの名画、本当に木屋輝美の作なの? どう見ても他人の作に見えるんだけど。それこそ、横山佑子のアトリエで見せてもらった作品のほうが似ているのよね」

「だからあれは盗品である、と?」

「可能性は高いわね。まあ、どういう経緯であの絵が木屋輝美に渡ったのか。こちらでも調べてみましょう。それで尻尾がつかめるかもしれないわね」


 思わぬ協力者を得たな。

 それだけ木屋輝美に不信感を抱いたのかもしれないが。




(第四章へ続きます)

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