第23話 地井玲香の来訪

 あきやまにバク転とバク宙の指導法をチェックしてもらった帰り道、てるが待つ美術館へと立ち寄った。

「いいところへいらっしゃいました。ライティングの調整をしていたところなんですけど」

「ひとりでやるのは手間でしょう。僕が照明を動かしますから、よいポイントになるよう指示してください」

「本当、助かりますわ、よしむねさん」

 とりあえず照明をほぼちょうどよい角度に向けてから、木屋輝美の指示に従った。

 まあだいたいのライティングはパターンが決まっている。見せたい絵が映えるよう、詳細に書き込んでいる部分にスポットを当てて、ぼかしている部分を陰にする。

 その要領で展示する三十枚の調整を手早く済ませた。


「来ていただいて助かりました。ひとりでやっていたらどれほど時間がかかることか」

「目玉の絵のライティングがまだですけど」

「あれはまだいいんです。セキュリティーをかけているので、絵に振動を与えると警報器が鳴り響きますので」

「そうだったんですね。触らなくてよかったですよ」


 すると玄関の隙間から女性の声がする。

 木屋輝美が応答するべく入り口へと向かった。程なくしてひとりの女性を連れて戻ってくる。

「紹介します。こちら展示の手伝いをしてくれている義統さんです」

「こんばんは、れいさん」

「なぜあなたがここにいるのか、ひじょうに興味があるわね」

「世間は案外狭いものですよ」

「そのようね」

 一度目線を合わせると、なかなか外せない状況になった。彼女も逃げるつもりはないようだ。


「義統さん、こちらの女性をご存じなのですか?」

「高校時代の同級生なんですよ。とてもすぐれた探偵さんです」

 木屋輝美が地井玲香をあの絵の前に案内した。

「地井さん、こちらがお話のあった作品です」

「これですか。確かに同じものですね」

「同じもの、ですか?」

 ローズレッドのショルダーバッグから、個展のパンフレットを取り出した。

「こちらの表紙に描かれている絵とですわ」

「ええ、そうですが。よくパンフレットをお持ちですね」

「僕が以前彼女の事務所にお邪魔した際、一部お渡ししておきました。捜査の役に立てると思いましたので」

「そうでしたか。で、そのよこやまゆうさんでしたか。この絵が彼女の作品である、とおっしゃるのですか?」

 地井玲香は疑いの眼差しを向けている。これは僕にも飛び火してくるだろうな。

「はい。少なくともこれと同じ絵の模写を二枚所有しておりました」

「模写を持っているなんて、よっぽど私のファンなのでしょうね」

「そうでしょうか」

 木屋輝美のわずかな表情の変化も見逃すまいとしているようだ。


「だって、これが本物ですよ?」

「では横山佑子さんが描いている二枚の模写は、なにを元に描いているのでしょうか?」

「それは私にはわかりかねますわ。あなたがパンフレットを持っていたように、その方もパンフレットを持っていたのでしょう」

「ちなみに、この絵はどこの光景なのでしょうか?」

「忘れましたわ。そんな些細なことは」

「些細なこと……ですか」

 地井玲香が微妙な情報を手に入れたようだ。木屋輝美がついた嘘に感づいたのだろう。


「以前警察の方もお見えになりまたが、怪盗とやらはなぜこの絵を狙うのでしょう」

 威儀を正して木屋輝美に向き直る。

「怪盗コキアが盗品専門と噂されているのはご存知ですか?」

「それは存じ上げませんわ。では怪盗が狙っているこの絵が盗品だと、あなた方は言いたいわけね」

「では、本来の持ち主である横山佑子さんが、『この絵を処分してくれ』と怪盗に依頼したのはご存知ですか?」

 地井玲香の視線が一瞬こちらへ向いたが、すぐに木屋輝美を捉え直した。

「いえ、まったく。他人の絵を処分しろだなんて、その横山佑子という女性は私の才能に嫉妬しているのね」

「嫉妬、ですか……」

 どうやら発言を促されているように感じたので、一般論を述べた。


「しかし、衆人環視の中、この作品をどう処分すればいいのでしょうか。ナタで真っ二つ、銃で撃ち抜く、火をつけて燃やす。いずれも受付で所持品を確認すれば阻止できるものばかりですが?」

 地井玲香を注意深く観察した。彼女の才能なら、今言った方法を怪盗がとらないだろうことはわかりきっているはずだ。

「そうですわね。義統くんの言う方法はいずれも阻止可能なものばかり。手荷物検査を厳重に行なうことをオススメ致しますわ」

 木屋輝美はかるく吐息してからうっすらと笑っている。

「これが本物であるかぎり、盗品専門の怪盗は手が出せないのではなくて? 盗み返して本来の持ち主に戻すのが本来なのでは? だから怪盗は手も足も出ないはずよ」

 そう、確かにこれが本物であれば、怪盗としては処分をちゅうちょしてしまうだろう。本来の作者である横山佑子に返すのが筋だからだ。

 だからこそ、誰もがこの絵を本物だとみなしている状態で大勢の観客の前で処分するだけなのだが。

 顔の筋肉を微動だにせず、地井玲香の視線を確認した。


「これが本物であれば、ですか。実に興味深い話ですわ。義統くんはこれが本物に見えるのかしら?」

「少なくとも、僕が見たものと寸分違わぬ作品だと感じますが」

「描いた本人であるセビルあおいさんとしても、この絵は本物だと?」

「間違いございませんわ。このサインは私の筆跡です」

「サインが同じなら本物……」

 地井玲香もこちらの様子を視界の端で捉えているようだ。

「誰も、この作品が本物かどうかなんてわかりませんよ。描いた本人にしか見分けがつかない。絵画なんてそんなものです、地井さん」

「そうなのかもしれないわね。もし横山佑子さんが描いたのなら、この作品を見て本物と主張するかもしれません。ここに横山さんをお呼びしてもかまいませんか? 本物を描いたと主張している横山さんなら、この絵が本物かどうかわかるんじゃないかしら」

 この意見に木屋輝美が反発した。

「私が描いたのです。その私が本物だというのですから、他の誰が偽物だと言おうと本物に変わりないなのです」

「だといいのですが……」

 この議題は堂々巡りを続けるしかないのだ。


 横山佑子が本物を描き、木屋輝美が盗んだ。そして木屋輝美が本物だと言っているものを偽物だと言えるのは横山佑子だけ。

 しかしその横山佑子は作品を見もせず処分してほしいと言っている。彼女の元には二枚の模写が存在していた。

 つまり横山佑子は木屋輝美に盗まれたものがどうなろうと知ったことではない。横山佑子にはすでに本物を返しているからだ。

 この絵が本物としての価値を持つとすれば、処分して困るのは木屋輝美ただひとりである。木屋輝美が本物を盗んで得をし、偽物を処分されて損をする。すべて木屋輝美だけで完結しているのだ。


 どうやら地井玲香も気づいたようである。

 その洞察力と推理力は尊敬に値する。だからこそ、スキを見せるわけにはいかなかった。




(次話が第三章の最終回です)

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