第22話 指導試験

「えっ? 昨日さんと会ったの? あの資産家令嬢の地井れいさんよね? 私も会いたかったなあ」


 翌火曜日、高校の昼休みにあきやまと雑談していた。彼女も高校の同級生だから、久しぶりに級友と再会できるチャンスは逃したくなかったらしい。

とものりも一緒だったのよね? 絶対会わせてもらわなきゃ」

駿河するがの浮気が気になるのかな? まあ感じのよいお嬢様って感じだったな。今は探偵をしているらしい」

「探偵? 警察に就職したと聞いていたけど」

「以前は警視庁の刑事だったらしいけど、資産家の父親が死んで遺産を受け継いだときに、副業をするわけにもいかないから警察を辞めたらしい」

 本当にそれだけが警察を辞めた理由とも思えなかったが、他人の思惑をせんさくしてもしょうがない。


「それじゃあ今度暇なときにでも、彼女に会わせてくれないかしら。探偵事務所の場所は知っているんでしょう?」

「それが警視庁の目と鼻の先なんだよ。警視庁捜査一課を得意先にしているらしい。今回は三課の手伝いをしているらしいけど」

「一課、三課?」

 ああそうか。普通はそこまで詳しくはないよな。

「ざっくり言うと、凶悪犯が一課、盗難・窃盗が三課と考えればいいかな」

「それならわかりやすいわね」

 まあこれくらいざっくりすると、確かにわかりやすくはなるんだよな。実際は他の細かい事件も担当するんだけど。

「それで、玲香といつ頃会わせてくれそう?」

「僕に聞くより駿河に聞けばいいよ。まさか彼氏でもない男とふたりで探偵事務所を訪れるなんていう、誤解を招きそうな状況は勘弁してもらいたいからさ」

「同級生に会いに行くのよ。誰と行こうが関係ないんじゃない? 問題なのは赤の他人と一緒に行くくらい。よしむねくんも同級生じゃない。なにをはばかる必要があるのよ」


 まさか怪盗が探偵と仲良くするわけにもいかないしなあ。地井玲香に取り入るつもりならそれでもいいのだが、不用意に近づくとこちらの素性がバレかねない。

「ともかく、まずは駿河に相談してみなよ。連れて行ってくれるのならそれでいいし。もし断られたら、そのときは代わりに同行してもかまわないからさ。用もないのに秋山さんと一緒に行動するのはまずいからね」

「わかったわ。友徳と相談してみる」


 あとは木屋輝美の個展開催まで手伝いをすることになっている。午後の仕事が終わったら美術館へ直行だな。


「代わりと言ったらなんだけど、たつみくんのことで協力してもらいたいんだけど」

「巽くんって、あのバク転とバク宙だけを教えてくれって子だよね?」

「そう。男子の松本コーチにそれだけ教えて追い返せとは伝えてあるんだけど、話が進んでいないようなのよ」

「なんなら僕が指導してもいいんだけど。教員免許の取得のときにバク転とバク宙は憶えたからさ」

「そうか、体育教師だものね。でも、体操部で教えるレベルに達しているとはかぎらないのよね」

「人に教えられるから教員免許を取得できたとは思うんだけどね。念のためもう一度練習しておいたほうがいいかな」


「私も義統くんがどれほどできて免許をとったのか、チェックしてみたいわね」

「専門家と比較するのだけはやめてほしいけどね。あくまでも体育教師としてのレベルの確認にとどめてくれれば」

「はいはい、わかりました。あなたの実施の後に他人に教えられるレベルかチェックするわよ。名選手は名監督にあらずっていうじゃない」

「高校教師になっても試験を受けなきゃいけないのか」

 あからさまに両肩を落としてみせた。

「まあ、どちらも基準以上だから教員免許をもらえたのだと思いたいわね」

 理恵はにやにやしながら横目でこちらを見つめている。

 知り合いをからかいたいんだろうな。まあそこそこの動きでも上出来だろう。わざわざ本気を出して怪盗の尻尾をつかませても意味がないし。




 授業が終わったあとで体操場へ赴いた。適当に技をさばけば問題もないだろう。

 男女の体操部員が見つめる中で、連続バク転とバク宙を実施した。軽くさばいてみたのだが、大きな反響を呼んだようだ。


「義統くんやるじゃない。今から全日本で世界を目指さない?」

 秋山理恵が称賛した。それに女子部員が沸いている。

「あのくらいなら俺たちでもできるよな」

 男子部員はあまり面白くなさそうな反応だな。まあ確かにこの程度なら現役の体操部員でもできるはずだ。


「秋山さん、これは巽くんにも言えることなんだけど。床一本で世界を獲れるのなら考えないこともない。だけど実際世界選手権やオリンピックの代表に選ばれるには、複数の種目がこなせなければ難しいだろ?」

 とても簡単なことだ。

「それもそうなのよね。女子は四種目だから床一本でもいけるんだけど」

「男子は六種目。団体に出場するのは四人程度だからひとり複数種目やってもらわないと、団体の得点が伸びないからね」

「そう言われると納得なのよね。床で世界レベルのいい宙返りができるからって、他の種目も憶えてもらわないと」

 秋山理恵は腕を組んで考え込んだようだ。


「巽くんもそのくらいのことはわかっていると思うんだよね。だから体操部入りを拒んでいるんだろうから」

「あれだけの才能があれば、跳馬を憶えてくれればいけるはずなんだけど」

「だから、彼の目標はオリンピックや世界選手権じゃなく、ヒーローなんだろうね」

「そんなにヒーローって男子の目指す場所なの?」

 ずいぶんと不思議そうな顔をしていた。


「僕はスタントマンになりたかったから、巽くんの気持ちもわからないではないんだ」

「あれ? 義統くんってスタントマン志望だったんだ。意外だなあ」

「じゃあなにが僕に合っているのさ」

 腕組みしたまま首をひねっている。

「なにが似合っているかって、イメージがまったく湧かないのよねえ」

「だったら体育教師でいいんじゃないかな」

「それもそうか」

 秋山理恵が笑ったので、僕も釣られた。


「あとは指導のほうをチェックさせてね。うちの新入部員にバク転とバク宙を教えてほしいんだけど」

「そちらはあまり自信はないんだけどね。まあやるだけやってみようか」

「弓香! ちょっとこっちに来て」

 秋山理恵がひとりの選手を呼び寄せた。音も立てずに素早く近寄ってくる。


「秋山コーチ、ご用でしょうか?」

「新入部員で、まだバク転とバク宙を教えていない子をひとり連れてきてほしいんだけど」

「わかりました。少々お待ちください」

 来たとき同様、音も立てずに走り出していく。

「彼女は?」

「うちのキャプテンで、高村弓香よ。あれでもいちおう全日本の選抜選手なの」

「秋山さんの秘蔵っ子ってことか」

「そういうことね。彼女が連れてくる素人にバク転とバク宙を教えてみて。今日中にできなくてもかまわないから。教え方が正しいかのチェックよ」


 まあ初対面かつ一時間ほどでバク転とバク宙を教えられたら世話はない。

 俺が全日本コーチでもかまわないってことになってしまうからな。



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