第21話 家庭訪問

 翌日月曜の午後、体育の授業が終わって書類の整理をしていると、駿河するがから電話がかかってきた。どうやられいの捜査によって容疑者が浮かんだらしい。


よしむね、お前の知り合いってよこやまゆうで間違いないか?〕

「ああ、その人の絵画教室に通っているからね」

〔お前が絵を描いているのか? 今から美術教師にでもなるつもりか?〕

「体が資本の僕が絵を描くのがそんなに不釣り合いかな?」

〔まあいい。とりあえず先方のアポをとりたいんだ。義統から今すぐ会えるように計らってほしい〕

「僕もちょうど仕事が終わったところだから、横山先生の自宅前で待っていてもらえるかな?」

〔名前がわかっていても住所はまだなんだ。どこか指定してくれると助かるんだけど〕

 地井玲香の捜査能力はすぐれているのか抜けているのか。ちょっとわからないな。横山佑子が浮かんできたのはさすがと思えたが、住んでいるところがわからないとは。いや、わからないはずがないか。


「どうやら駿河たちは地井玲香さんに試されているみたいだね」

〔試されている? どうして?〕

「安心して仕事を請け負える依頼人か、確認したいんだろうな」

〔じゃあどうすればいい?〕

「警察のデータベースを使って確認すればいい。運転免許なりなんなりを調べればわかるはずだろ。きちんと自分の頭を使って見つけるんだ。僕はこのまま横山先生の教室に向かうから、じきに追いつけばいいさ」

 電話を切って、教職員質から職員玄関に向かった。そこから近くの駐車場で愛車に乗って横山佑子宅へ滑り出していく。




「ということで、警察はちょっと後れて到着しますから」

 絵画教室で横山佑子が出迎えてくれた。そして絵を一枚持ってきた。

「これ、今描いているんですけど、義統さんからみてどう思いますか?」

「そうですね。やはり迷いがとれています。大事なものが戻ってきたから、安心して集中できているようだ」

「ええ。自分の中でもいろいろと抱え込んでいたのだと思います。憂いがなくなればこんなにも絵を描くのが楽しくなるんですね」

「今何作品くらい描きためているのかな?」

「あれを抜きにするとまだ八枚ですね。これからペースを上げられたらいいのですけど」

 個展を開くなら二十枚は欲しいところだ。美大に通いながらだからそう簡単にはたまらないとは思うのだが、毎日しっかりと絵が描ける状態でいることのほうが遥かに重要だ。

「あまり焦らなくても、在学中にプロデビューできれば、というつもりで描き続けてくださいね」

「ありがとうございます」

 ピンポーンと門に取り付けてあるチャイムが鳴った。セキュリティーの画面を見ると、駿河とはままつ|刑事、それと見慣れない女性がいた。あれが今の地井玲香か。周囲を抜け目なく観察しているようだ。


「家探しをするには家宅捜索の令状が必要だ。そんなものはとっていないから緊張せずに応対してください。向こうにもやり手がひとりいるようですが、気づかれないと思いますから」

 横山佑子が玄関を出て門を開けると、三人が中へと入ってきた。

「義統くん、どうして君がここにいるんだ」

 浜松刑事が驚いている。

「彼女の住所を教えてもらおうとしたら『自分で探せ』って突き放されたんですよ」

「駿河さん、あなた部外者に捜査状況を教えたんですか、不用心な……」

 メリハリの利いた身体のラインをローズレッドのタイトスーツが描き出している。

「地井玲香さんですよね。高校ぶりです。同級生だった義統しのぶです」

「お久しぶりです。あなたが絵画教室って、お母様の影響かしら?」

「よく憶えていますね。高校在学中に一度だけですよ、そういう話になったのは」

 駿河が怪訝な顔をする。

「お前は忘れてるよな、当然。高校のときに一度だけうちの内情を話したことがあるんだよ」

 駿河は腕組みをして首を傾げていた。

「ぜんっ然、憶えてないな」

「義統くん、どういうことかね?」

 浜松刑事には事情を説明しておいたほうがいいだろう。


「えっと、うちの母って売れない画家だったんですよ。父がパトロンで面倒を見ていてそのまま結婚したんです。本当、これって高校のときに一回しか話していないんだけどなあ」

「それだけ地井さんの記憶力がずば抜けているということか」

「いえ、たまたま憶えていただけですので」

 派手な服を着ているものの、中身はけっこう切れるようだ。見た目に騙されてはならないな。

ないとうさんいや横山佑子さんか、あなたがセビルあおいさんと揉め事を起こしたと聞いて伺ったのですが、本当でしょうか?」

「はい、私の作品を盗んだと口論になりました」

「それがこの絵だとお聞きしたのですが?」

 駿河に渡してあったパンフレットを地井玲香が取り出して横山佑子に見せる。

「はい、この絵です。間違いありません」

「そこであなたは盗品専門の怪盗に回収を依頼したのですか?」

「まさか。ありえません。連絡手段も知りませんから。それに、このくらいの作品なら、もう一枚描けばよいだけですので。ちょっと待ってくださいね」

 横山佑子はアトリエに入って、二枚の絵を持ってきた。一枚は俺が描いた急ごしらえの偽物、もう一枚が横山佑子が本物を見ながら描いた模写だろう。


「描いている途中で申し訳ないんですけど、このように、いつでも描けますので」

 二枚を見比べてパンフレットの表紙とも見合わせる。

「確かに同じ絵ですわね」

 地井玲香は納得したようだ。まあ、まさかいずれも本物を見ながら描いたとはなかなか思わないはずだ。

「ですので、もしその怪盗とやらが聞いていたら、セビル葵さんの手元にある作品を処分してくれればいいな、とは思っています。あなた方にお伝えすれば怪盗の耳に入りますよね?」

 なかなかにしたたかな女性だ。依頼を請け負っていた頃は、線の細さを感じさせる頼りない女性に見えたが、今はどっしりと構えている。

「私は探偵ですから怪盗には伝えられませんが、警察で盗難などを担当しているこのふたりの刑事に話せば、確かに怪盗コキアにも伝わるでしょうね」

「でしたら、セビル葵さんのところにある一枚は処分してもらえるのですね。これでひと安心して個展に向けて絵が描けます」

 その屈託のない笑顔を見ていると、俄然頼もしく見えてくる。


 その反応を見ているとどうやら地井玲香はなにかに気づいたようだが、口にしなかった。ということはすべて読み切ったうえでそれが最もよい解決策だと考えたのだろう。

 わずかな情報から全貌を読み取る能力は、刑事だった頃の名残りなのかもしれないな。



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