第15話 送り届け

 深紅に塗装し直したトヨタのbZ4Xによこやまゆうと二枚の絵を乗せて、まずは彼女の自宅へ向かって走り出した。

「でも、二枚の真贋ってどうやっているのですか? 模写していたよしむねさんも区別がつかなくなるんじゃ?」

「見ればすぐにわかりますよ。細かいところが微妙に違いますからね」

 交差点の赤信号で車を停める。


「私には自分がどちらを描いたのか、見分けられませんでした。絵を見る目が足りないんですね」

「そうでもないですよ。描いた本人さえ間違えるくらいの偽物を作らないと、今回は目標を達成できませんからね」

「いったい、なにをなさろうとしているんですか?」

 車道の信号が青に変わり、再び車を走らせた。

 電動車は加速がスムーズで揺れもほとんど感じない。繊細な絵画の運搬にはうってつけである。

「それはセビルあおいの絵画展の初日にいらしたらわかりますよ。タネがバレかねないので、今はこれしか言えませんが」

「世紀の怪盗も、案外臆病なんですね」

「怪盗ほど臆病になるんじゃないですかね。絶対に捕まるわけにはいかないし、盗み返した作品は人知れず持ち主に返さなければなりませんし」

「でも今回は予告状を出す前に本物を返していただけるんですね」

「すでにセビル葵と接触して信用されていますからね。まさか怪盗が予告状より前に本物と贋作をすり替えていたなんて思いもよらないでしょう。今回はそこが狙い目なんですけどね」

「でも今保管庫にある贋作もよく気づかれませんよね。それだけのクオリティーがあったのでしょうか」


「実は神父が個展で隠れて写真を撮っていたんですよ。それを引き伸ばして参考にして、横山先生のタッチを真似て大急ぎで描いたってわけです。それがここまでバレていないというのは、セビル葵が保管庫のセキュリティーを完全に信頼しているからかもしれませんね。そしてこれからさらに本物そっくりの偽物へすり替えに行く」

「まさか偽物から偽物にすり替えられたとは、誰も思いませんよね」

「セビル葵が恐れているのは“怪盗コキア”でしょう。彼は盗品専門の噂が流れていますから、“傑作”がまさか盗品だと自ら主張するわけにもいきませんからね。それでも警察に予告状を出しに行くんですけどね」

「それで世間は大騒ぎになるんですね。この作品が盗品ではないか、とセビル葵さんはマスコミから疑われる。たいの方々も、まさか盗品を高評価するわけにもいかないでしょうし」

 横山佑子はこらえきれずに破顔した。

「今まで落ち込む日が多かったですけど、これですっきりして前を向けそうです」

「ひとつ忠告しておこうかな」

「なんでしょう?」

 横山佑子に鋭い視線を投げつけた。

「なるべく早いうちにプロデビューするべきです」


「私はまだ美大生ですよ。学んでいる段階なのにプロデビューなんて畏れ多いです」

 ここは“怪盗”として答えるべきだろう。


「心配しなくていい。君の“傑作”を模写したし、他の作品も真似したから言うが、デッサン力が抜群で、色遣いも的確。絵の具を乗せるタッチも繊細だ。今からでもじゅうぶんプロとしてやっていけるだろう」

 口調の変化を察したのか、横山佑子からはためらいを感じた。

「それは怪盗からの忠告と受け止めればよいのでしょうか、義統さん?」

 今まで彼女に見せなかった“怪盗”としての真面目な表情をして、改めて彼女を見つめ返した。

「そうだ。これから先も“傑作”を盗まれないようにするには、同じタッチを持つ人物が画壇に現れるしかない。そうすれば画壇も『あの“傑作”はないとうの作に違いない。筆跡は間違いなく内藤登喜絵のものだ』となり、たとえセビル葵が所有権を主張しても誰も認めなくなる」

「美大生のままプロデビューするのは難しいと思いますけど……」

 “怪盗”にとっては至って簡単な話だ。

「それならまた神父に頼めばいい。やつは美術品のプロデューサーでもあるからな」


「ただものじゃないとは思っていましたけど、本当にただの神父さんじゃなかったんですね。とんだ聖職者だわ」

「そう。怪盗への取次だけでなく、怪盗が使うさまざまな装置を開発し、芸術家のプロデュースもする。芸術家で悩みがあるなら、あいつへ相談すればたいていのことは解決できるはずだ」

「ときには怪盗を使って盗品を奪い返す」

「それもオプションのひとつなのは確かだな」

 信号はずっと青が並んでおり、車を止めることなく道なりに進んでいく。

「ちなみに、今回の一件が片づいたら、もううちの教室には来られないんですか?」

「そうだな。任務は完遂しているから、もう近づく必要がない。元々依頼人を見極めるために潜入しただけだ」

「あなたの驚異的な絵のセンスがあれば、絵描きとしてもじゅうぶん成功すると思うんですけど──。あ、そういえばオリジナルが描けないっておっしゃっておられましたね」

 横山佑子は慌てて取り繕った。


「実際は描けなくもない。ただ、仕事としてがんさくを用意する必要があるから、あえて自分の画風を持たないようにしているだけだ」

「もし表舞台に立っていたら、きっと世界的な画家になっていたと思いますよ。怪盗なんてもったいなさすぎます。でも──」

 一息継いでいる。

「でも、だからこそ、私は自分の作品を取り戻すことができたんですよね。これはお礼のしようもありません」

 ようやく、彼女はあることに気づいたようだ。

「怪盗への依頼料はどうなるんですか? 今までそんな話いっさいしてこなかったのですけど。神父さんもただ聞いているだけで報酬を提案してきませんでしたし。でも実際こうして本物も取り戻してもらったのに。なにかお礼を差し上げたほうが──」

 左手の人差し指を立てて横山佑子の唇に近づけた。

「依頼料はとらない主義でね。神父もプロデュース業で稼いでいるから無用だろう」

「でもこれまでの労力を考えたら、ただというわけには……」


「そうだな。それなら俺が必要としたときに手を貸して欲しい。たとえば君が先にプロデビューを果たして、次の依頼人もデビューしたほうがいいとなったら、君を頼らせてもらおうか。それでかまわなければそうしてもらいたい」

「わかりました。私も“怪盗”の一味になれってことですね。だいじょうぶです。私は口が固いほうだと自認していますから。“怪盗”が必要だと思ってくださるよう、プロで頑張ってみます」

 横山佑子の自宅に近づき、スピードを静かに緩めていく。絵へのダメージを抑えるためだ。


「あの、もしよろしかったら、絵の一枚でももらっていただけますか? やはりなにもお支払いしていないっていうの、私はえられそうにないので」

「そういうことなら、後日うちに持ってきてくれればいい。今はその作品を保管庫へしっかりと収めることだけを考えるように」

 彼女の家の前に到着し、静かにブレーキを踏んで路肩に車を停めた。

「今日は絵も足もありがとうございました。なにか必要になったらいつでもいらしてくださいね」

 車を降りると門のセキュリティーを解除し、玄関を開いて中へ入っていった。

 さて、あとはこちらの手はずを整えないとな。




(次話が第二章の最終回です)

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