第14話 盗品の返還

 毎日“傑作”の模写を続けていくと、よこやまゆうがこの絵にけた熱意が伝わってくる。

 可能なかぎり似せていくわけだが、タッチに至るまで再現していくのでそのときの気分が表れているからだ。これだけの作品がセビルあおい名義で世に出てしまったのは、あまりにも残酷すぎる。

 美大生がこれだけの作品を描いたのだ。その才能は日本を代表するほどといってよい。


 筆を止め、キャンバスを隅々まで見渡した。ここまで再現できていたら、じゅうぶん満足できる。これでてるはまんまとだまされるに違いない。あとは水田の額装がいつ仕上がるかだ。

 もちろん描いたばかりでは絵の具が定着しないので、美術館に運ばれる直前まではこのまま乾かしておくことになる。

 空調で室内を乾燥させていく。幸い本物も描いてから一年も経っていないので、多少絵の具がずれていてもごまかせはするだろう。

 そのまま贋作を部屋に置いておき、本物を持って部屋を出た。


 するとスマートフォンに水田からメッセージが届いていた履歴が表示される。隠し部屋のアトリエは電波を遮断する構造にしてあるから、作業中に邪魔をされることはない。だからこそがんさくづくりに集中できるのだ。

 水田に電話をかけると、特注の額装が仕上がったようだ。これで用意は整ったな。あとは今の贋作と警備会社の保管庫内の贋作をすり替えて、来週の個展を近くで見るだけだった。

 さっそく横山佑子に電話をかけた。


「横山先生、よしむねです。寝ておいででしたか?」

〔いえ、だいじょうぶです。絵を描いていただけですから〕

「先生に見ていただきたい作品があるのですが、よろしければ私の家にご足労願いたいのですが」

〔土曜日に絵画教室へ持ってくるのではダメなのでしょうか〕

「土曜日は都合が悪いんです。独身男性の家を不用意に訪れるのは気が引ける。それはわかります。ですが、先生のこれからについても関係のあることなんですが」

〔私のこれから、ですか?〕

「はい。今から写真を送りますから、それで来るか来ないか決めてくだされば、と思いまして」

〔わかりました。すぐに写真を送っていただけますか?〕

 それを受けて、さっそくスマートフォンのカメラで“傑作”を撮影して、メール添付して送信した。


 メールを受け取った横山佑子から反応がない。まさに絶句しているところだろう。

〔こ、これ、どうしたんですか? たしか今、セビル葵さんが所有しているはずですが……〕

「現在、あるトリックを施しています。そしてこの作品をこれからのあなたのために役立てたいと思いましてね」

〔義統さん、あなた、もしかして……〕

「詮索はしないでください。それより、うちに来ていただけるかどうか、決心はつきましたか」

〔……わかりました。お伺い致します。住所を教えてくだされば、急いでそちらへ参ります〕




 それから一時間ほどで横山佑子がわが家のチャイムを鳴らした。さっそく上がってもらい、そのまま隠し部屋のアトリエへと先導していく。

 中へ入ると、キャンバスに作品が鎮座している。

「こ、これ……。どうしてあなたがこれを持っているのですか?」

「ということは、これは本物なんでしょうか」

「え、ええ。これは私が描いたものに間違いないです。私のクセも出ていますし、塗り方も私そのものですから」

 その様子を見て思わずにんまりしてしまった。

「実はこれ、僕が作った贋作なんですよ」

「贋作ですって!? でも、間違いなく私の絵です。サインがセビル葵さんのものですけど」

「ちょっと待ってくださいね。今、あるものを持ってまいりますから」

 アトリエを出て、寝室に置いていた本物を携えて戻った。

「先生、これを見てもらえますか?」

 包みをあけると、そこには同じ絵がもう一枚現れた。

「な、なぜ同じ絵が二枚も……」

 描いた本人まで騙せれば、贋作として完成したといえる。


「先生に伺います。この絵は二枚とも私が作った贋作でしょうか。それともどちらかがあなたが描いた本物でしょうか」

 横山佑子はうろたえたようだ。無理もない。ひじょうに精巧な作品が二枚並んでいるのだから。

「どちらも私が描いたものに見えてきます。でも最低でもどちらかは偽物で、場合によっては両方とも偽物。仮に私の作品があるとすれば、違いを見極めなければならない、というわけですか?」

「はい。先生は“傑作”がご自分の作品だと主張するのであれば、本物と偽物の違いを見分けられるはずです。パターンは三つ。私が持っている作品が本物、画架に置いてある作品が本物、それともどちらも偽物。さあ、どれですか?」

 横山佑子はふとあることを思い出したようだ。

「あ、そうか。私、神父さんに『ある作品が盗まれたので、取り返したい』ってお願いしていたんだったわ。あの神父さん、もしかして噂の“怪盗”だったんじゃ……」

「残念ながら、水田は“怪盗”ではありませんよ。連絡役にすぎません」

「それじゃあ……。ま、まさか、義統さんが“怪盗コキア”、なんですか?」

 大きくうなずいてみせた。それ以上の言葉が必要だとは思えない。

「でも“怪盗コキア”なら、本物を盗んでくるだけでいいはずですよね? なぜわざわざ偽物を作っているんですか?」

「絵画を盗んだセビル葵を成敗するためですよ。彼女には偽物を持たせて、そのうえで大きなショックを受けてもらいます。それが私なりの“盗み方”なんですよ」

 俺が怪盗コキアだとわかった横山佑子は、二枚の絵を丹念に見比べている。


「義統さんが私の絵画教室で私の絵を模写し続けていたのって、まさか──」

「ええ、この絵の完成度を高めるためです」

「いつ頃からこの絵を手元に置いていたのですか?」

「つい最近ですよ。それまでは写真と先生のタッチを研究して似せていって、本物と偽物をすり替えて、もう一枚の偽物の完成度をここまで高めたってわけです」

「どう見ても同じ作品にしか見えないものを二枚も描いたのですか?」

「いえ、今セビル葵の保管庫にあるのは粗い贋作です。これから今目の前にある贋作とすり替えてくる予定です。ですので、本物はあなたに返しておこうと思いましてね」

「……と、いうことは……どちらかが本物なんですね」

「描いた本人なら、どちらが本物か見抜けると思うんですけどね」

 横山佑子は双方を丹念に見比べている。

「まったくわからないわ。これはもう贋作というレベルじゃない。同じモチーフで描かれた、もう一枚の完成された絵画よ」

「これならセビル葵も画壇の重鎮も騙せるってものですよ。で、どちらが本物か、考えは決まりましたか?」

 リモコンで乾かすための空調を切った。

「あ、そうか。今までこの部屋は除湿されていたんだわ。ということは、これまでこの画架の絵は乾かされていたってこと。絵にとってわずかな湿度の違いが保存状態を大きく左右する。ということは、この画架の作品が贋作で、義統さんが持っているのが本物……」


「ご名答。やはり横山先生は画家としての才能がおありですよ」

「いいえ、義統さんがさまざまなヒントを出してくれたから、なんとか本物がわかったくらいで。もしノーヒントだったらどちらも本物って言いたいくらいの出来です。義統さんってもしかして画家としても著名だったりしませんか?」

「いえ、私はただの贋作画家ですよ。絵画教室でも言いましたよね。オリジナルが描けないって」

「確かに聞いてはいましたけど。贋作をこのレベルで仕上げられる人が、オリジナルをまったく描けないだなんて」

「これからご自宅までお送りしますよ。帰り際にまた奪われたらシャレになりませんからね。そしてこの偽物をセビル葵の保管庫ですり替えてきます」



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