第13話 交際宣言

あきやまさん、たつみくんにバク転とバク宙だけ教えて、すぐ退部させてやってください」

 巽くんとの会話を終えて戻ってきた僕に、は驚きを隠さなかった。


よしむねくん、あなた説得されてきたの?」

「いや、これは僕の提案だよ。彼がやりたいのはバク転とバク宙であって体操じゃない」

「バク転もバク宙も体操よ。他の競技で教えているなんて話は聞いたことがないわ」

 まあこう来るのは想像がついていた。


「昔ならね。今はパルクールのように、街中をアクロバットしながら駆け抜ける競技があるんだよ」

「パルクール? それってどういう競技なの?」

 体操をやっていても知らない競技があるのか。

「二〇二四年のパリオリンピックで実施競技になる予定だったんだけど、障害物などがある街中をジャンプやバク転や宙返りを駆使しながら駆け抜けていくっていう競技さ」

「それって体操じゃないの?」


「体操じゃないね。つまりもうバク転も宙返りも体操という時代じゃなくなっているんだ。だから、習いたい人には積極的に教えたほうがいいよ。陰で勝手に努力して大怪我したら、高校が管理責任を問われるんだから。そうなるくらいなら、安全な実施を教えてあげたほうが、問題が起こらないし彼も進みたい方向へ踏み出せるしで万々歳じゃないかな」

「まあ高校時代に独学でバク転とバク宙をマスターしたあなたなら、そういう結論に達しても不思議はないわけか」

「そういうこと。勝手に大怪我されるより、管理して正しい実施を教えてあげたほうが絶対に良い結果を招くはずだから」

 理恵は腕組みをして目を閉じて唸っている。考えごとをするときのいつものポーズだ。

「あまり納得できているわけじゃないんだけど、義統くんの言うことにも一理あるかもしれないわね。男子のまつもとコーチと打ち合わせてみるわ。たぶんせんまいの中だけならそれで通るかもしれない。問題があるとすれば……」

「青天体操教室のいなコーチってわけか。全日本選抜のコーチでもあるんだよね?」

「そう。私も全日本選抜のコーチだってこと、忘れないでね」

 すっかり忘れていた。そういえば理恵って全日本選抜選手の経歴があって、オリンピックにも出場しているから、そのつてで今は全日本選抜のコーチをしているんだったっけ。俺が“怪盗”として準備していた頃に就任していたはずだから、記憶が薄かった。


「それなら稲葉コーチには内緒にして、先枚でバク転とバク宙をさっさと教えてしまうべきだね。それで体操を競技としてやってみたいと思ったら継続させればいいし、満足したらそのまま辞めさせればいい」

「稲葉コーチにどう説明すればいいのかしら……」

 理恵は右手を顎先に添えている。

「説明する必要はないさ。巽くんは先枚の生徒であって、青天体操教室の生徒ではないんだから」

「それはそうなんだけど……。体操界ってあなたが思っているほど広くはないの。とても狭いのよ。才能のある子の情報はすぐに入ってくるし、その子がどうなったっていう話が出回るのも早いの」

「そうやって“体操日本”を築きあげたという側面はあるだろうね。でも、どんなに才能があっても体操に興味がない子に無理強いするのはフェアじゃない」

「フェアじゃない……か……」

 理恵はまぶたを閉じて思案に暮れる。彼女の回答をゆっくり待つことにした。


「そうね。確かに義統くんの言うとおりかも。バク転とバク宙をマスターしたいってだけの子に、体操をやらなければ教えない、というのはフェアじゃないわ。わかった。松本コーチを説得して、バク転とバク宙だけを教えてもらえるように掛け合ってみるわ」

「持つべきものは理解力のある友人だな」

「私も危ない橋を渡ることになるんだけどな」

「潜在能力がいかに高かろうと、体操に向いていない人はいくらでもいるからね。運動ができるイコール体操をしなければならない、ではないってことはきもめいじておいて」

「わかったわ。稲葉コーチのほうも私がなんとか説得してみる。“名伯楽”だからすぐに納得してくれないかもしれないけど、あなたの主張が正しいと思うから。才能のある子がすべて体操をしなければならないなんてフェアじゃないからね」

 ひとつ大きくうなずいてみせた。

「それじゃあ僕は駿河するがを説得しよう。ちょっと待ってて」

 懐からスマートフォンを取り出して駿河に電話をかけた。


「駿河。義統だけど、今忙しいかい?」

〔だいじょうぶ、なんの用?〕

「秋山さんとの交際のこと、お父さんにはっきりと伝えておいたほうがいいよ」

〔それは……、コキアを捕まえてから、ということにしようと話し合ったんだけど〕

「そのコキアが予告状を出した五件のうち、捕まえた回数を教えてくれないか?」

〔……一回もない……〕

「だろう? 確率があまりにも低いものを交際を告げるハードルにしないほうがいい。どうせなら『結婚はコキアを逮捕してから考えます』くらいでないと釣り合わないだろ?」

〔そのとおりだけどさ……。理恵が納得するかどうか……〕

「秋山さんなら隣にいるぞ」

〔えっ、本当なのか?〕

「こんな嘘をついてなんの意味があるのかな」

〔意味は……ないね。……そうか、それでおやっさんに交際を告げたほうがいいって話になったのか……〕

「そういうこと。少なくとも確率を考えれば、零パーセントのものを交際を告げる条件にする意味がわからない。お前は本当に秋山さんと付き合いたいのか? それともお前にとって秋山さんはその程度の存在だったのか?」

〔それも……隣で理恵が聞いているんだよね?〕

「そのとおり」

 沈黙が続く。ずいぶんと長いな。それだけ言い出しづらいってことなんだろうけど。


〔……わかった。おやっさんに娘さんと付き合っていますって伝えるよ〕

「それがいい。忠告しておくけど、結婚についてどうこうは今伝えないように。最初から条件をつけると変更しづらくなるからな」

〔……義統の言うとおりだな。わかった。交際は伝えるけど、結婚の話はしないことにするよ。でも結婚を前提にして交際している、くらいはいいんだよな?〕

「そのくらいならだいじょうぶだよ。かえって遊びではないという気持ちも伝わるだろ?」

〔そうだな。じゃあこれから伝えてくるよ。いつも気を遣わせて済まないな。なにか協力できることがあったらいつでも言ってくれ。なんとかしてみせるから〕

「よし、近いうちにお願いしたいことがあるから、それを楽しみにしておくんだな。じゃあ今日はここまで。ちゃんと伝えろよな」

 そう言い残すと通話を切った。


「秋山さん、お父さんに交際を伝えるように駿河へ念を押しておいたから安心してね」

「今日はお世話になりっぱなしね」

 彼女は右手を腰に当てて重心を少し崩して立っている。

「まあそんな日が一日くらいあってもいいんじゃないかな。毎日だとお断りだけどね」



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