第12話 ヒーロー

 がんさくづくりにてるべき平日の午後が一日ぶん潰れてしまうが、理恵が付き合ってるのが同じく同級生だった駿河するがとものりなのだから、むげに断るわけにもいかなかった。


「友徳は『怪盗コキアを逮捕したら、父に付き合っていることを正式に伝えたい』って言うのよね」

「あれ? 秋山さんのお父さんって浜松さんだったよね? たしか怪盗コキアを追っている」

「そう。友徳は父の直属だからふたりで怪盗コキアを捕まえようと躍起になっているわ」


 当の怪盗コキアにそんなことを話しているわけだから、真相を知っている人に見られたらいっそ滑稽に映るかもしれない。


「それだといつになるか、見当もつかないよね。今まで怪盗コキアが盗んだのは五回だったと思うけど、すべて捕まえられていない。手がかりくらいは掴んでいるかもしれないけど、窃盗は盗んだときか盗品を押さえるかしないと逮捕は難しいはずだからね」

「まったくもって。だから、交際していることくらいはもう少しハードルを下げてもらいたいんだけど」


「交際すら正式に伝えていないんだよね? それだと『怪盗コキアを捕まえたら結婚を承諾してもらおう』くらいの話だと思うんだけど」

「義統くんもそう思うわよね。付き合っていることくらい、今言ってもなんの問題もないはずなんだけど」

「もしかしてお父さんが『娘と付き合いたいならコキアを捕まえろ』とでも脅しているのかな?」

「それはないわね。『あのトンブリ野郎』は口グセだけど、私生活には踏み込んでこない人だから」

 であれば、堂々と交際してもいいだろうに。駿河のそういうところは高校時代からちっとも変わっていないな。


「ちょっと遠慮があるのかもね。なまじ上司の娘という立場になっているから」

「父が警察を辞めるか、友徳が左遷でもされるかしないかぎり、堂々と付き合うこともできないのかしら」

 理恵がため息をついた。

「そういうことなら、僕が駿河に言い含めておこうか? 適当なハードルを見つけて、交際していることくらいはすぐにでもお父さんに宣言しておけって」

「それができるのなら苦労はしないわね。父が意固地なのか、友徳が弱気なのか。もう少し父に立ち向かうくらいの気の強さは欲しいところね。刑事なら命の危険も考えないといけないから、覇気があるくらいのほうが生き残りやすいと思うし」

「部外者だから警察がどれほど厳しいところかわからないけど、交際できるうちに正式に宣言しておいて、『怪盗コキアを捕まえたら結婚を認める』くらいお父さんに言わせるのが、ドラマだとよくあるパターンなんだけどね」

「まるっきりドラマよね」

「でも二時間のサスペンスドラマなんかだと、そんな刑事ほど途中で死んじゃうんだよなあ」

「縁起でもないことを言わないでよ。ずっと気になっているんだから」

 さすがに口が滑ったか。


 しかし、怪盗コキアばかりを追いかけて視野が狭くなってしまうと、思わぬ襲撃者に気づかないことはじゅうぶんありうる話だ。

 やはり交際や結婚の条件を「犯人逮捕」に置くのは、あまり褒められた傾向ではないな。

「お、たつみくんが練習を終えたみたいだな。ちょっと話してくるよ。体操部へ引き込むためじゃなくて、個人的に興味があるんで」

「期待しないで待っているわよ」




 駆け足で体操場をあとにしようとしているたつみたかへ追いつくべく声をかけながら近づいていく。

「あ、よしむね先生こんにちは。先生って体操部と関係ありましたっけ?」

「いや、まったく。女子コーチの秋山先生と同級生だったってことくらいかな」

「秋山コーチのお知り合いでもあるんですね。ということは、僕を体操部に入れようと画策しているんですか?」

 巽くんはどうも体操部とはできるだけかかわりたくないようだ。


「実は僕も高校時代に体操部に誘われたことがあってね」

「それで先生は入ったんですか?」

「いや、在学中はいっさい入っていないね」

 さすがの巽くんもびっくりしているようだ。

 体育教師をするような人が体操部と無縁というのがあまり信じられないのかもしれないな。

「僕は身体を動かすのが好きなんだけど、体操をやりたいとは思っていなかったからね。君もそのクチだよね?」

「ええ、まあ……」

 彼と距離を縮めるいい機会かもしれないな。


「僕は運動するのが好きで、どんなスポーツにも手を出してきたけど、どれもしっくり来なくてね。体操部からも誘われたけど、どうにもやる気になれなくて。だから、他人から競技を強要されるのが煩わしいっていう君の考えは理解できるんだ」

「義統先生も無理やりやらされそうになったことがあるんですね」

「そう。運動部は体力をすり減らしてまでひとつの競技に打ち込むものだし、その競技にたいせつな青春を懸けるのも悪いとは言い切れない。でも、自分が心からやりたいと思ってもいない競技を強要されるのは間違っている。それだけは断言できるよ」

 僕の言葉に勇気づけられたのか、巽くんが意を決したようだ。


「僕もバク転やバク宙ができるようにはなりたいんですけど、それがイコール体操部に青春を懸けるという短絡的な発想にはならないんです。僕がやりたいのは“ヒーロー”であって体操選手じゃない。でも大人は皆『体操部に入れ』『体操をやれ』と口々に言うんです。そうなると、僕の考え方が間違っていると否定されているようで……。僕が“ヒーロー”を目指しているのってそんなに悪ですか?」

 やはり思いつめていたか。


「いや、君の考え方は正しい。自分の中の正義に忠実であること。それは正義ではあっても悪ではない。僕はそう思うよ。だから大人がいくら『体操をやれ』と言ってきても、君の心に従うべきだ。もし君の心が『体操をやってもいいな』と思ったら、そのときに初めて体操と向き合ってみる。その程度でいいんだよ」


 そもそもバク転とバク宙がやりたいくらいで「体操部に入れ」は暴論と言っていい。

 確かに体操部に入れば、怪我のリスクを最小にしてバク転やバク宙を憶えることはできるだろう。しかし、それ以外の技に情熱を持てないのであれば、体操部にいる意味はない。

「バク転とバク宙はひとりで身につけようとすると怪我がつきものではあるんだ。その点では『体操部に入れ』は正しいともいえる。しかしそれ以外の技には興味がないのであれば、わざわざ体操部に入らなくても、ふたつだけ教えてもらって『ありがとうございました』で辞めたっていい」

 巽くんの顔色が明るくなった。どうやら得心したようだ。


「そうですよね。部活なんて入りたいときに入って、辞めたいときに辞めたっていいんですよね。僕はバク転とバク宙だけ憶えたらそれでいいんです。ヒーローショーで“ヒーロー”をやりたいだけなんで。体操部に縛られてヒーローショーに出られないなんて嫌だったんです」

「そのあたりは僕が体操部のコーチと掛け合ってもいい。巽くんにバク転とバク宙だけを教えて、身につけたら退部させてやってほしいって」


「義統先生、ありがとうございます。できればそのように話を進めていただけませんか」

「わかった。君がそれでよければ、話を通しておこう。もしダメなようなら僕が面倒を見てもいい」

「義統先生が?」

「バク転やバク宙くらいできないと体育教師にはなれないんだよ」


「あ、そうか。授業で指導しないといけないんですよね」

「そういうこと」

 巽くんとの距離がだいぶ縮められた印象を受けた。



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