第11話 模写と相談

 平日日中は高校で体育教師として働き、家に帰ったら真のがんさくを書いていく。本物の“傑作”のタッチは明らかによこやまゆうの筆遣いだ。もしこの絵が彼女の手に戻る前にプロデビューを果たしてくれていれば、“傑作”はセビルあおいではなく、そのゴーストだった横山佑子の作ということで評価が一致するはずだ。そのためにも、贋作には手を抜けなかった。


 土曜午前中には木屋輝美とともに美術館と打ち合わせをする。一介の体育教師が画家の個展で絵の配置や警備体制に口を出すのだから、どれほど信頼されているのか。


 帰りに「内藤絵画教室」へ向かい、横山佑子の作品から細かなタッチを吸収していく。

 なぜ彼女のタッチへこれほどまでこだわりを持っているのか。理由は知らないまでも、みるみる完璧なタッチを再現できているようで、教えている彼女も正直肝を冷やしているのかもしれない。

 もしかすると、俺の正体に薄々気づいていて、素知らぬ顔を装っているのだろうか。それほど、模写している作品の再現度には自信があった。


 日曜は贋作づくりを急ピッチで行なっていく。絵画展まで後二週間。日曜は残り今日だけである。だから今日のうちにほぼ完成させて、セビル葵のサインを模写するところまで持っていくつもりだ。

 絵のタッチは書いた当人の横山佑子のところで学んでいるので、九十九パーセントの再現率は誇れるだろう。

 ただ、セビル葵のサインは書き損じるとその部分を再現するのにまた時間をとられてしまう。サインだけが異なるタッチなので、どうしても浮いて見えるのである。その感覚も再現できなければ贋作とは呼べない。




 月曜になり、高校での授業が終わって帰宅しようとしていたところ、都立先枚高校の女子体操部コーチである秋山理恵から相談したいことがあると言われた。

 出身高校の同級生であり、同じく同級生の警視庁刑事・駿河するがとものりと付き合っている。彼女から話を切り出される理由はだいたい同じだ。駿河との交際について相談したいことがあるのだろう。

 女子体操部の練習の合間に話を聞くことにした。


「今日よしむねくんに相談したいのは友徳のことじゃないの。あの子を見ていて。あなたの感想が聞きたいんだけど」

 体操部のユニフォームを着ていない男子が練習している。見始めるとさっそくタンブリングを開始した。床の対角線をダッシュしてロンダート、そこからすぐにとんでもないほど高くジャンプした。


「ものすごいジャンプ力だね。おそらくあのままスワンのダブルもできるんじゃないかな」

「やっぱりそう思うんだ。男子コーチの松本さんは伸身宙返りも余裕だろうって評価なんだけど」

「シングルだとかなり余裕があるね。ジャンプの角度を微調整すれば、今のままでもダブルはできると思うよ」

「さすがは高校時代にスワンのダブルをしていた素人は見る目が違うわね」

 冷ややかな目線を送ってくる。

 あのときすでに全日本代表選手だった理恵の目の前で、体操部員でもない僕が伸身二回宙返りをしたものだから、彼女が受けた衝撃は想像に難くない。

 そのときから理恵と世間話をするようになったのだ。


「体操の話って、友徳とはできないのよね。彼、柔道部員だったし」

「前に言っていたように、彼を体操部に引き込みたいのかな?」

「それができれば上出来ね。あの稲葉コーチもタンブリングだけなら太鼓判を押しているくらいだから」

 稲葉コーチは青天体育教室を経営していて、日本代表選手を数多く輩出しているため“名伯楽”と呼ぶ者が多い。

「でも床しかできないんじゃ、体操部に引き込んでも戦力にはならないだろう? 団体戦にしてもひとりが床だけしか出ないわけにもいかないんだし。どうしたってひとり二種目は出てもらわないと、他の選手にかかる負担が大きくなるんじゃないかな」

「問題はそこよね。床の実力だけならわが校随一、いえ高校生随一と呼んでも過言じゃないわ。おそらく体操部で基本からみっちり鍛えれば世界でだって戦えるはずよ」


「本人は入部を拒否しているんだよね? あの跳躍力を見せられて、手に入らないのはもったいないと思うかもしれないけど、スポーツはやりたい人がやりたいようにやればいい。誰かからやらされているだけでは伸びていかないからね」

「それはわかっているんだけどね。でも彼がうちで練習してくれるだけでも、他の選手にはいいカンフル剤になると思うのよ。ジュニアの選手はとかく手を抜きがちなの」


 言いたいことはわからないではない。

 確かにあれだけの才能を見せつけられると、自分も頑張らないと代表に選ばれないと焦りだすだろう。

 あの跳躍力なら、今は実施者が少ない抱え込みの後方三回宙返りだって練習次第では跳べるはずだ。正直、高校当時の俺よりも高く跳んでいるのではないかと懐かしさに浸っていた。


「あの子、なんとか入部させる方法はないかしら?」

「そうだなあ。たとえば『入部しないと体操場は使わせない』とか?」

「練習場所を問わない子なのよ。今は屋内で練習させているけど、それまでは校庭の砂場で練習してたくらいなんだから」

「砂場!? あの高さでか。よく今まで大怪我しなかったな」

「なんでもバク転とバク宙をひとりで習得したいから、少なくてもバク宙に必要な高さを出す練習だけはしていたそうよ」

「それであの高さか。バク宙がしたいってレベルを超えているんだけどな」

「本人、気づいていないのよ。ただ高さを出さないと頭から落ちるからって。高さを出す練習だけは毎日みっちりと繰り返しているらしいわ」


 タンブリングの練習をしているくだんたつみたかを見ていると、なにやら口を出したい衝動に駆られる。おそらく彼女も同じ思いなのだろう。

 もし誰かがきっかけを与えれば、彼はそれだけでバク転もバク宙も身につけるだろう。しかしそれが体操部で練習している理由になっている以上、簡単に願いを達成させてよいものか。


「秋山さん、もし僕の助言が必要になったらいつでも言ってくれていいよ。なにが最も彼のためになるのか。なぜ彼が“ヒーロー”になりたがっているのか。そこからしっかり考えたほうがいいからね」

「彼の友人であるしなゆういちくんを通して、そのあたりも確認しておかなければってことね」

「そういうこと。単に“ヒーロー”と言っても、怪盗コキアだって見る人によっては“ヒーロー”になってしまうからね」


「まさか義統くんが怪盗コキアじゃないわよね?」

 何度も聞かれたセリフだから、今さら驚きもしなくなっていた。

「僕が彼ほどの格好つけに見えるのかな」

「まったく見えないわね。父から推定年齢が私くらいと聞いて、テレビでコキアの身のこなしを見ているだけなら、あなたが真っ先に思い浮かぶんだけどね」


「世界は広いからね。僕らの世代で僕よりうまい人は山のようにいるはずさ」

「それもそうね。友徳に早く怪盗コキアを捕まえろって発破をかけとかないと」



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