第10話 すり替え

 週末「内藤絵画教室」でよこやまゆうの絵を模写している。

 彼女の実作でのタッチを忠実に再現していく。高速で出来あがっていく絵を見て、彼女は驚きを隠さなかった。


よしむねさんってものすごく絵がうまいんじゃないですか! まるで私が描いた作品そのものですよ!」

 これが美大生の素直な反応だと思う。いつもは感情を抑制して、未就学児や小学生に教える気のいいお姉さん然としているが。


「僕、よう真似まねはけっこう得意なんですよ。とくに現物があれば九十九パーセント似せられます。でも自分のオリジナルを描けといわれるとダメなんですよ。自分の画風がわからないから、描きようがないんです」

 横山佑子はきょとんとしている。

「模写を描くのは得意だけど、オリジナルはダメなんですか?」

「まったくですね。だから絵を教えてほしいんですよ。オリジナルが描けるようになりたいので」

「それじゃあ私の作品を模写してばかりだとよくないですよ。自分の描きたいように筆を走らせてみて、自分の中にあるイメージを形にしていく。そうしないとオリジナルは描けないと思いますよ」

 苦笑しているように装いながら、ちょっとした意見を付け加えることにした。


「うーん。なんていうのかな。よく“習うより慣れろ”って言いますよね。おそらく先生が言いたいのはそういうことだと思うんですけど。僕は描き方がまるでわかっていないから、目の前にある作品から描き方を学んでいるんですよ。いろんな作家のいろんな画風に触れて、そこから自分に合ったものを取り入れて、合わないものを変えていく。手順としてはあながち間違いとも言えないかな、と」


「確かに、模写でここまで描ける人ってなかなかいないし、たとえばルーベンスを見ながら描けばルーベンスの特徴が身につき、ゴーギャンを見ながら描けばゴーギャンの作風に近づく。そのうえで、どちらか自分に合っているほうを取り入れていく。確かにそれもひとつの習熟方法ではあると思いますけど」

 そこに一言付け加えられた。

「でも、それって器用貧乏の典型だと思うんです」

 器用貧乏か。僕の弱点を的確に突いてくるな。

 自分の画風がないのは芯がないのと同義で。だから誰かの模写は精巧に描けるのに、オリジナルはまったくダメというていたらく。


「昔から言われます。お前は器用貧乏だ、って」

「昔からなんですか?」

 横山佑子は興味深そうに尋ねてくる。

「絵は小学生に上がった頃から描いてきましたけど、ずっと誰かの模写ばかりでした。そこで先生は“このままだと器用貧乏で終わるから、自分が描きたいように描いてみなさい”ってね」

「私も同じことを言いたいですね。これだけテクニックがあるんですから、自分の描きたいように描いたら、すごく化けると思うんです。それこそピカソやダ・ヴィンチくらいの作品も夢じゃないはず」

「ピカソとダ・ヴィンチですか。どちらも模写した経験がありますね」

 横山佑子は開いた口が塞がらないようだ。


「まあ、今は先生のタッチを忠実に再現できるかどうかをチェックしています。いつ見ても先生の作品に見られるくらいのレベルにはなっておきたいんですよね」

「それってなんの意味があるんですか? 美大生のレベルに合わせようだなんて」


 僕は少し考えるふりをした。

「そうですね。ピカソにしろダ・ヴィンチにしろ、著名な作家にはそれぞれ独特の筆遣いがあります。横山先生にも特有のタッチがある。だから、まずは先生のタッチを再現して、自分が描きたいものを描いてみたいんですよ」

「義統さんが描きたいもの、ですか?」

「ええ。僕が描きたいのは横山先生のタッチが活かされた絵ですから」

「私のタッチ?」

 その疑問には答えず、ただひたすらに模写を繰り返した。




 一週間後、さっそく贋作を持って“傑作”が収められている保管庫へやってきた。一度てると訪れているので、見知った人物がいる。だから怪しまれることもなかった。

 神父姿の水田が警備員に話しかけて死角を作り出し、保管庫へ入るために僕が配電盤に行ってセキュリティーを一時的に切る。

 そのまま保管庫へ入って“傑作”と贋作をすり替えてから、再びセキュリティーを戻して警備員にそれとなくトイレを借りたいと申し出た。まさかすり替えた犯人が事後にトイレを借りようとは露ほども思わないだろう。


 トイレの中で包みを開けて“傑作”を確認した。間違いなくこれだ。現物が手に入ったからには、これと同等の偽物を作るのはわけなかった。

 それより、本物をこの段階で手に入れたのなら、そのまま横山佑子に返せば万事収まると考える人が必ず出てくるだろう。とくに警視庁捜査三課の浜松刑事や駿河などはそう思うはずだ。

 あえてこれから予告状を出してまで、危険を冒す必要なんてどこにもない。


 だが、それだと現物を所持している横山佑子に窃盗の疑いがかかってしまう。それだけはなんとしてでも避けなければならなかった。

 だから衆人環視で仕掛けを発動してこそ、横山佑子は本物を持っていても非難されなくなるのだ。

 そもそも筆のタッチは横山佑子のものだから、木屋輝美が同じ作品をもう一枚描いたところで、いっさい真似できるような代物ではない。

 偽物づくりのプロである僕が言うんだから間違いない。


 絵を似せるにはタッチを再現するに限る。多少デッサンが狂ったとしても、タッチがそのものであれば、批評家も同じ画家の作品だとみなす。

 そのうえでデッサンの狂いまで正確に写し込んだ贋作は、誰にも偽物だと気づかれるはずもなかった。

 これまでの五件はすべてこの手で行なってきたのだ。そして一度も仕組みがバレたことはない。


 今保管庫にある贋作も、あれはあれでバレないはずだ。なにしろ、木屋輝美が横山佑子のタッチで描けない以上、あの作品を偽物だと気づくきっかけすらないからだ。木屋輝美は、ここが最も安全な場所だと思っているだろうから、美術館での個展が始まるまでは確認にくる必要もないと考えているに違いない。だから警備会社の人間を騙せさえすればよいのである。


 本物の確認を終えると、トイレの水を流して警備会社を後にした。


 さっそく家に帰ってアトリエで完璧な贋作を作ってやる。

 誰にも見抜かれないほどのレベルに仕上げる自信に満ちていた。



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