第二章 贋作のすり替え

第9話 隠し撮り

 高校での授業を終えて帰宅すると、みずが待っていた。“傑作”の隠し撮り写真を持ってきたのだ。

「それにしても、どうやってこれだけ大きな写真を撮ってこれるんだ?」

 毎回驚かされるが、隠し撮りなのは確かだ。通常どこの絵画展でも撮影は禁止されている。特別な許可を申請しても、まず通らないのだ。それなのに実物大の写真が手に入るのだから、水田の技術力がわかろうというものだ。


「ベルトのバックルに隠しカメラを仕込んであるんだよ。特注のフィルムで撮影して、ネガを目いっぱい引き伸ばす。それだけで写真は簡単に手に入るからな」

 水田はベルトを引き抜くとバックルを見せてくれた。レンズ付きフィルムほどの厚みがあって、これだけを見るとやはり不自然に感じる。


「確かにここまで大きいと目立っちまうが、この上にウエストバッグを載せるとと気にならないんだよ」

 なるほど。確かにウエストバッグの下にあれば、それほど目立たないな。でもそれならウエストバッグにカメラを仕込んだほうがラクなんじゃないか?


「言いたいことはわかってるって。こんなバックルよりもウエストバッグのほうが仕込みやすいってんだろ? でもそれは素人の考えだ。誰もが『仕込むならウエストバッグだ』と思うから、会場の入口でチェックされるんだよ。そこでウエストバッグの中を開けて見せれば、たいていの美術館はそれで検査をパスできる」

 つまりあえて点検されるのを見越してウエストバッグを着用しているのか。なかなかに手が込んでいた。


「とりあえず、これを元にしてがんさくのベースを仕上げていくよ。睡眠時間が削られるだろうけどな」

「まあ筆のタッチは依頼人のないとう本人から教わっているんだ。似せるのはわけないだろ?」

 そのためにわざわざ絵画教室に通っているんだからな。完璧に似せる技術でこれまで贋作を描いてはトリックに使ってきた。

 今回は贋作を使った斬新な仕掛けを施すことにしている。万全を期すため、可能なかぎり本物そっくりに仕上げなければならないのだ。それは作者のよこやまゆうをも騙せなければならない。


「それで、本物が保管されている場所のセキュリティーはどうなんだ?」

 水田に保管場所とセキュリティーを説明した。都心にある警備会社の保管庫という忍び込むのが難しい場所である。だが絵画を保管するようには出来ていないから、換気のために二時間に一回換気が行なわれているという。

「であれば、贋作を二枚描いて、一枚を本物とすり替えて置いておき、もう一枚を全力で似せるんだな。そうしてから最初の贋作と入れ替えればいい。お前のテクニックだけでじゅうぶん実行可能だろう」

「まあな。額装の細工はお前にまかせるよ。あれを完璧に仕上げてくれれば、てるもさぞそうはくするだろうな」

 盗品をえさに、二束三文の絵を売りつける。あくどいやり方は絶対に許せない。そのために“傑作”を奪われた横山佑子があまりにも惨めだ。現役美大生でも、子どもたちに絵を教えるくらい、絵を描くのが好きな女性である。


「あの仕掛けはまかせとけ。重さもほとんど変わらない出来に仕上がるはずだ」

 仕掛けによって絵の価値を高める。そんな正体不明の絵描きがいるのだ。セビルあおいの価値を高めるために、“傑作”を仕掛けにかけるのだ。

 絵を盗んだことは純粋に許されないことである。だが、ただ奪い返して横山佑子に返すだけだと、作者である横山佑子の元へまた奪い取りにやってきかねない。あの作品は仕掛けにかけられたのだ。そう画壇の重鎮にもわかるように処理しなければならない。そうすれば、もう二度とあの絵を狙おうとは思わなくなるだろう。しかも盗品専門の“怪盗”が関与したことが明らかになれば、セビル葵の名も汚れるだろう。まあ本名の木屋輝美として再出発すればよいだけの話なのだが。


「今から大急ぎで贋作を一枚仕上げるよ。それと本物をすり替えて、そこからが本領発揮だな」

「前から思っていたんだけどな。お前、“怪盗”なんかやらずに正真正銘の“画家”として活動したほうがいいんじゃないのか? 才能の無駄遣いにも程があるだろうに」

 それは“怪盗”を始める前からずっと考えていたことだった。

「僕は見たものを見たままにしか描けないからね。絵の世界では致命的さ。この“傑作”のような着眼点はまったく持っていない。だから僕はこれを描いた横山佑子を尊敬しているし、その才能を横取りしようとしている木屋輝美を許せないんだ」

「そんなもんかね?」

「そんなもんさ。というか、お前もこんな仕事なんてせずに、発明家になるとか工学博士になるとか考えなかったのか? ガラにもなく神父なんてやっててさ」

 水田は胸を反らした。


「主は私を試しておられるのだ。私が敬虔な信者かどうか。お前の善行を助けて、弱き者を救うことができるのか。主はすべてお見通しさ」

「そんなもんかね?」

「そんなもんさ」

 顔を見合わせるとどちらともなく笑いだした。

「まあ、早く贋作を仕上げるんだな。パッと見で似せるだけならそんなに時間もかからんだろう。換気のスキにすり替えるつもりなら、俺が警備員を引きつけてやるよ」

「やはり持つべきものは、理解力のある友だな」

「お前の贋作にすべてがかかっているんだけどな。横山佑子以上の才能を見せつけるチャンスじゃないのか?」

 画壇の重鎮の顔を思い浮かべると、なぜかにんまりとしてしまう。彼らの真贋を見抜く目をすら欺いたときの興奮は今でも忘れない。またやつらに贋作の評価でもしてもらいますか。


「じゃあパパッと描くからコーヒーでも飲んでゆっくりしていってくれないか」

「お前の早業を見ながらゆっくりさせてもらうよ」

「今日は徹夜か。明日も授業があるんだけどなあ」

「その割にはずいぶんと楽しそうだな」

 名作の模写をしている時間はなにものにも代えがたいからな。




「よし、このへんでいいだろう」

 筆を置いて大きく背伸びをした。

「どれどれ……。ほう、これは見事な贋作だな。写真だけで見れば瓜二つだ」

「横山佑子のタッチを習っているからな。今回は写真でも自信作だよ」

「これをもう一枚描いて、本物を見ながらさらに描き込めれば仕込みは万全」

「それじゃあ、さっそくすり替えに行くか?」

 首を横に振った。


「描きたてだと絵の具が定着していないから、運搬中にどうしてもタッチが変わってしまうからね。一週間寝かせて、きちんと定着してからすり替えるさ。まあ、今からすり替えに行っても、睡眠不足で失敗しかねないしね」

「“怪盗”のお前が言うんだから、そういうもんなんだろうな。わかった。それじゃあ来週また来るから、それまでにもう一枚をきっちり仕上げておけよ」

「わかってる。週末に横山佑子から絵のタッチを指導してもらうから、今作以上の贋作を用意しておくよ」



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