理想郷
色澄そに
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此処は理想郷。
何処までも何処までも続く、ひたすらに水平で、一切の光を拒否するかの如き純白の地に。天が溢した一粒の種が、着地とほぼ同時に発芽した。
おびただしい数の根をうねるように地に潜らせ、強固に固定された身体は上へ上へと伸長する。
時間が早送りされているかのように、根は深く、幹と枝は高く太く。
やがて頂芽は天へと届き、ようやくそこで伸長は止まる。
まっさらな大地にただ一つ立った大木は、後に源樹とそう呼ばれた。
しばらくすると、源樹は薄く黄色い花をその身に纏う。生憎、満開の御花を見届ける者は存在しないが、間もなく、人知れず、花弁は枝を離れていく。
周囲一帯を黄色に染めた花吹雪を見送って、源樹に宿るは無数の種子。
花弁の抜け殻に身を寄せ合って成長し、その時が来るのを待つ。
それは源樹の最後の落葉が、ふわりと風に浮き上がった瞬間だった。
一斉に、真球に育った無数の生命の種が地面へと落下。
パラパラと音を立てて着地し、水平な白の大地をゆっくりと、そして無作為に転がり出す。
表面に傷一つない見事な球だった。
全てが同じ。皆お揃いの。
しかし、大地に転がる種子たちは、やがて互いにぶつかり合うのだ。それぞれの意識野に存在する勾配を下るかのように、種子たちは、カチカチと音を出して行く先の別の種子に豪快に衝突。弾きあって方向が変わり、また転がる。それを幾年も繰り返す……。
もう、種子は転がらなくなった。
正確に云うと転がれなくなっていた。
衝突の衝撃で身体のあちこちが削れ、へこみ、もはや球体ではなかったのだ。
目立つ大きな傷以外にも、よく見れば、曲面、へこんでできた平面、それら全てに数多の細かい傷が付いていた。
はじめは皆、寸分違わず同じ様相だったのに。お揃いだったのに。
でも、彼らは「自分の模様ができた」と喜んだ。
声にならない声を上げて。これが私だと、世界に響かせた。
刹那、轟き。
声にならなかった声が、世界を震わせた。
見兼ねた源樹が我が子どもたちに、自在に空気を震わせる能力、すなわち声帯を付与したのだ。
しばらくの間、種子たちは己が思いが世界に鳴る感動に酔いしれる。ある者は快哉を叫び、ある者は囁き、ある者は熟した真理を語りだし、敢えて口を噤み習得した力の尊さを噛みしめる者もいた。
此処は理想郷。
また、時は経ち。純白の大地はまっさらな地平へと戻った。
源樹がそわりと風に揺らぐ。今、源樹は深緑を纏う。
葉が一枚、その身を離れ、地へと降り立つ。
刹那、烈震。
地に潜った無数の種子が、一斉に発芽した。
おびただしい数の根をうねるように地に潜らせ、固定された身体は上へ上へと伸長する。
時間が早送りされているかのように、根は沈み、幹と枝は先へ先へ。
やがて頂芽は燃料を尽き、ようやくそこで伸長は止まる。
種子たちは源樹のようにはなれなかった。純白の地を天から隠すほどには茂ったけれど、源樹にはまるで届かない、吹けば飛ぶような儚い樹の集まりだった。
樹は根を張って身体を固定し、一生涯をそこで過ごす。親を離れて降り立ったその場所を離れることなど叶いはせず、そもそも動こうともしない。
生まれた地で、その場所で、一生を終えることが確定していようとも。その終わりが、例え寿命ではなかったとしても。
源樹の子たる彼らは知っていた。教わるまでもなく、当然のものとして受け継いでいた。
この地、純白の大地は、しばしば「浄化」という名の大水に襲われる。
これがこの地が純白の大地たる所以であると。
不定期に発生し、何処からともなく流れ出し、全てを巻き込んで奪い去っていく水の暴力。
そう、つまり源樹以外の全ての生命体は、この「浄化」によって消し去られてきたのだった。
だから。源樹の子らの命もそう長くはない。いつかはわからないが、そう遠くない未来に、「浄化」が終わりを連れてくる……。
彼らは変わらず、会話を弾ませているが。
此処は理想郷。
源樹やその子供たちは移動することができず、それ故に見える景色はずっと固定されている。けれど、その固定された視界だからこそ、彼らは「己の視界」のスペシャリストに成り上がりどんな些細な変化にも気づけるようになる。感じ取った変化に、心が動くようになる。
立っている場所が違い、向いている角度が違い、当然「己が視界」はその樹だけのものになる。見ている景色の全てを言語化することなど到底叶わないから、その視界を誰かと完全に共有することも叶わない。伝えられないけれど、間違いなくそれぞれが特有の「己が視界」を持っていて、「己が世界」に生きていて。
彼らは、相手が自分と違うように、自分が相手と違うことを自覚している。
「ねぇ、どうしたのよ。あの世の終わりみたいな顔をして」
「あの世も終わってんのか勘弁してくれ」
今日も相変わらず賑やかな足元から、源樹の意識に透徹と入り込んでくる会話があった。外見からは窺えないが、源樹は穏やかに微笑んだ。
「東の奴からまわってきたんだけどさ、もうすぐ『浄化』が来るんじゃないかって話らしい」
沈黙は、寸刻。
「……そう。いよいよなのね」
「はぁぁぁ~~、終わりなのかぁぁぁ」
「まぁ、終わりが来ることはわかっていたじゃない」
「そうなんだけどね。別に、後悔とかないんだけどね」
「なら、なんでそんな顔してるのよ」
「せっかく『終わり』がくるのなら、負のリアクションも経験しておこうかと」
「へー」
「なにその気のない相槌」
「いや、別に――」
何処からともなく流れてきたそよ風が、茂った葉をわしゃわしゃと揺らす。
「……なんで、こんなにも、終わりを自然に受け入れられるんだろうね」
「……」
「わたし、さっきそのことを考えちゃってて、話聞いてなかった。ごめん」
「……優しいよね、おまえは」
「は? なによ急に」
「優しい奴はどうも、他の奴には興味がないらしい」
「なッ――」
「なんで、こんなに自然に終わりを受け入れられるか、だけどさ」
振り上げた拳は宙を彷徨う。もっとも、振り上げる拳なんて最初からないのだが。
「――いいわ、聞かせて」
柔らかく降り注ぐ、あたたかな陽光と源樹の眼差し。
「源樹様の呪い、なんだって」
「呪い……?」
「呪い。というか、
「おまじない」
「おまじない、という名の罪滅ぼし。源樹様の。源樹様は知っていたわけじゃない? おれたちが『浄化』を生き延びることができないって。そんなに長い命ではないって。考えてみればさ、おれたちが生まれた意味ってないじゃない。実質的な意味って」
「……子孫を残せるわけでもないしね。そもそも、残す必要すらないものね」
「そう、つまるところ源樹様がおれたちを産んだ理由ってのはさ、ただ寂しかった、ってことなんだよ」
「寂しかった。……不思議と、やけに、腑に落ちる響きね」
「でしょ? 源樹様は寂しかった。そして、寂しさを紛らわすためにおれたちを産んだ。でも、源樹様はおれたちの命が短いことを知っていたし、おれたちは源樹様から産まれたせいで、終わりを体験することになる」
「うん。……で、御呪いってのはなんなのよ」
「源樹様はおれたちに、終わりに見合う『今』を紡がせる呪いをかけている」
「……」
「だって、おれたちいつだって全力だったじゃない」
「……そうね」
「でしょ? おれたちは、吹けば飛ぶような儚い命であることを自覚している。でも、いつだって考えることをやめない。希望を捨てない。閉じられた世界でも、その中で、与えられた時間で、自分なりに美しくもがくことを絶対に放棄しない。……生まれたときから今まで、ずっとそうだった」
積み上げてきたのは、希望と共に歩んだ道のり。だから、次に踏み出す一歩も希望にあふれている。明日が怖くないのは、今日がその答えだから。ずっと、ずっと、途切れることなく、その時まで。
「…………思えば、自然とそうだったわね。それが生まれた時からの常識だった。生まれた時からわたしたちは、呪われていたわけね。今に続く今がなかったときに、それまでに積み上げてきた『今』を振り返って、笑って受け入れられる、呪い」
「そう、呪い。御呪い」
「……どこで聞いたの、この話」
「聞きたい?」
「そりゃあ」
「おれが自分で導き出したって線もあるけど?」
「ないでしょ」
「即答かよ」
「…………」
「わかったよ。この話はね、……源樹様に、直接聞いた」
「はぁ!? 源樹様と話したっていうの!?」
「そうだよぉ? 意外と気さくなのねー、源樹様」
「……あんた。って、それをわたしに話しても良かったのかしら」
「うーん、許可はもらってない。もしかすると、まずかったかも」
「……あんた」
「まぁ、いいよ。もやもやは晴れたでしょ」
「そうね」
「…………なに?」
「あんたも大概、優しいわね」
此処は理想郷。
刹那、轟烈。
来たれり、「浄化」。
遠く、源樹の声が響く。
「許せ、我が子らよ。我情に付き合わせたことを。『浄化』は我が身しか残ることを許さぬ。それが我にかけられた呪いだ。そして、君たちにかけた呪いも、
遠く、子らの声が響く。
「そんなことはありません、源樹様。わたしは楽しかったですよ。源樹様の呪いは、間違いなく御呪いでした」
「もしかすると、おれたちの繋がりは歪んでいるのかもしれない。でも、構わない。おれも楽しかった。源樹様はおれたちを想っていて、おれたちもそれをわかっている。……だから、謝ることなんて、何もない。どんなに歪んでいたって、お互いに理解があるのなら、それでいい」
来たれり、「浄化」。
「ありがとう、同胞」
此処は理想郷。
理想郷 色澄そに @sonidori58
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