ちゃんとひとりずつ

霜月かつろう

第1話

 いつも誰かが笑いの渦を巻き起こしていた。それがその時期でないと体験できない不思議な時間だったのだと大人になった今なら分かる。


「でさーっ。言ってやったわけ。そこ間違ってません?って。そしたらゆでダコみたいに赤くなるだけで何も言い返せないでやんの」


 それでもおとなになってからの今でも笑いの渦を起こす中心にいるリーダー格の一言でギャハハハと、一斉に周りが笑い出す。こうやって集まるだけであの頃の空気に戻れるんだよね。隣りにいた親友にそう話しかける。


 一緒になって笑っていた親友は笑うのを止めるとこちらを向いた。


「なぁに?」


 こちらの声が聞こえていなかったみたいで聞き返されてしまった。こういうところも昔と変わっていない。大事なこともよく聞き流されたりしてケンカもたくさんしたっけな。でも、ずっと一緒にいる。それはお互い心地よい距離感でずっとやってこれたからだ。


 ううん。なんでもないの。そう伝えると親友はまた大声で笑い出した。それにつられて私も一緒に笑う。


「それでは本日のメインイベントのひとつである、当時の映像を流し始めようと思いまーす」


 映像研らしいイベントだ。そして暗転する大きめのホテルの一室。同級会の割には随分と奮発して借りたものだ。まあ、その分会費も高いなと感じた。ただみんなに会いたかったし、できるだけ参加するように書かれていたのだから仕方ない部分もある。昔からこういうところは絶対だった。なんなら逆らったりしたらどうなるかわからない部分すらあった。


 カラカラカラと音を立てて映写機が回り始め、スクリーンに光が当たると3の数字からカウントダウンが始まった。8ミリフィルムで撮影されたそれは音もなく映像だけを流し始めた。


 こんな時代もあったねと、誰かが音声を補完するように歌い始める。音声が流れないその映像は記憶の中の物に比べて古臭く、遠いもののように感じる。


 映し出されたのは夏のキャンプの映像だ。みんなで楽しそうにバーベキューをしている。ひとりひとりの行動は今と対して変わっていないように見えるけど、全体としてみると所々に若さが見え隠れしている。それに改めて見ると全員がここに揃っているのだとわかる。受付のときにもちゃんとひとりずつ確認したのだけれど、ひとりの欠席者もいなかった。


 親友が誰かの腕にピッタリとくっついて体を押し当てているようにも見えて若さを感じた。流石に今はあそこまで密着しない。身長はモデル並みに高いしスタイルも気を使っているだけあってスラっと伸びた手足からも衰えている感じは見られない。むしろ若返った感じすらする。でも大人びて見えるのはその身にまとった空気が落ち着いているからだ。


 大声で笑っていてもどこか上品さを感じる自然体な親友に見惚れてしまう。


「なぁ。そういえばこの会ってだれが企画してくれたんだ?」


 不意に誰かがそう言った。その声は不自然なくらいに賑やかだった部屋によく通った。


「部長じゃないの?招待状に名前書いてあったよ」


 主催の部分には確かに当時、部長だった人の名前が書かれていたのを覚えている。


「でも部長いなくね?」


 その言葉にみんなしてあたりを見渡す。言われてみると見かけた覚えはない。なにかの準備をしていて忙しくしているのだとばかり思っていた。でも、全員が見ていないとなると話が変わってくる。


「なぁ、?受付してくれたのは?」


 自分のことだと手を挙げる。でも部長の名前は最初から書いてあってチェックもしてあったものが送られてきた。そう告げると納得はいってないみたいだけれど次へと質問は移る。


「で、映像流したのはー?」

「あっ。それは私。でも贈られて来た進行表の指示通りに流しただけだよ」


 暗い中でも紙をぺらぺらと見せようとしているのがわかった。


「映写機とフィルム用意したのは?」


 誰も答えない。静まり返る部屋にカラカラカラと映写機が回る音だけが響く。不気味な静けさのあと、誰かが息を呑むのがわかった。


「き、きっとホテルの人が用意したんだよ。聞いてみるね」


 部屋に備え付けられた電話を誰かが手に取る。フロントへの電話は繋がったみたいだ。


「なあ。本当に誰も部長の姿を見てないのか」


 誰もが黙ったまま返事をすることはない。その間に電話を終えて戻ってくる。


「映写機を準備したのはホテルみたいだよ。フィルムも送られてきたのをセットしただけみたい」

「じゃ、じゃあきっと部長が全部、前準備しててくれたんだよ。きっとそうでしょ?ね?」


 だとしたらなぜ今ここに部長がいないのだ。そんな疑問が全員の頭に浮かんだはすだ。みんながまた黙ってしまう。


「ね、ねえ?あんな子いたっけ?」


 誰かが映し出された映像を指さしてそう言った。映像は先程のキャンプのバーベキューの続きだ。みんな楽しそうしている。鉄板に落とされた大量の焼きそばを一生懸命かき混ぜている女の子が笑顔でカメラを見ている。


 でも、その顔に覚えはなくてゾッとする。周りのみんなは確かにここにいるみんなだ。でも彼女だけはなぜだか思い出せないしここにもいない。


 なにかしゃべっているのだろうか。口をパクパクと動かしながらその女の子がカメラを向けている人に話しかけているように見えた。いや違う。明らかにその視線はカメラの先を見ている。それこそここにいるみんなを。


 その事実に気がついたとき全身を這うように鳥肌が立った。思わず自分の体を抱きしめるように両手で抱える。周りを見ると同じような格好をしている人が何人もいてみんなおんなじ感覚に襲われたのだとわかる。


 怖くて見たくないはずの映像をつい見てしまう。するとこんどはその女の子と視線があった気がした。


『やっと見つけてくれたね』


 ずっとパクパクと動かしていた口からそう音声が流れた気がしたのと同時。あちこちこら悲鳴があがった。


 それが合図だったのかのように一斉にパニックになる。自らも負けじと人を押しのけるように出口を目指した。一刻も早くここから出たい。そんな感情が脳を支配している。


 全員が出るにはあまりに小さすぎるその出口を奪い始める。そこには遠慮もなにもない。仲良かったのがウソみたいに全員で押しのけあう。その中に巻き込まれつつも無事に外に出られたことにホッとする。


 あたりを見渡すと何人かが同じように胸を撫で下ろしていた。その中に親友の姿を見つけて急いで近寄る。


「ねえ。あれなにっ。なんであんな映像が残ってるのっ」


 近づくなり親友が大きな声を上げる。冷静でないその様子は誰よりも怖がっているように思えた。


「あれが誰だか知ってるの?」


 親友の怖がり方は他の人とは質が違うように見えた。そうしている間にも出口から次々に人が飛び出してくる。今もなお出てくるこの状況で中で何が起こっているのかを想像したくはない。でも確かに得体のしれない何かがいたのだ。


「知るわけないでしょ。あんな女っ」


 親友が叫んだのと同じタイミングで出てきたばかりの部屋から悲鳴がたくさん聞こえた。それも男女問わず大勢の声でだ。部屋の外にいた人たちも入り口を塞いでいた人たちも恐怖のあまり一瞬だけ固まる。そしてそれは本当に一瞬だった。悲鳴のあと、部屋から何も聞こえなくなった瞬間、部屋の外にいたみんあは散り散りに。詰まっていた人たちはなにかによって部屋の中へと引き釣りこまれていった。


 あろうことか親友と一緒にいたのは扉の近くだった。親友が引き釣りこまれる人に足首を掴まれる。


「えっ。ちょっとやめてよ。そんなのって、いやっ!あんた代わりになってよ!」


 親友のとっさの動きは素早かった、掴まれた足首を捻るようにして振り払うとその手が再び伸びてこないようにこちらへと蹴り飛ばした。


「えっ」


 何が起きたのか、分からないまま顔面に衝撃が走る。足首を掴まれて思いっきり引っ張られたので顔から転んでしまったのだと気がついたのは鼻から血が出ているのを口の中で感じたからだ。


 続けて襲ってくるのは足首が持って行かれるかと思うほどの引っ張る力。誰が引っ張っているかなんて気にしている余裕もなくて扉の取手に両手で思いっきり捕まる。腕が伸び切るとの同時にいくつかの筋がやられてしまったのではないかと思った。それでも手を離さなかったのはこの手を離してしまったら生きられないと本能で悟っているからだ。


 必死に離さないように握りしめ続ける。手の感覚がどんどんとなくなっていく。掴まれた手を振りほどこうと、掴まれた反対の足で掴んでいる手を必死で蹴り続ける。なんどもなんどもだ。相手の手の心配をしている余裕なんてない。生きるためにがむしゃらに足を動かし続けた。


 その甲斐あってか、ふっと足に開放感が訪れる。その隙きを逃してはならぬものかと廊下に体を擦り付けながら回転すると勢いで部屋の扉を閉める。暗がりから見えたのは映り続けているスクリーンとその光を受けて床が濡れているのが分かっただけだ。


 でもそれだけで、何かを理解しそうになり慌てて起き上がろうとして激痛が足首に走る。かろうじて立てはするものの早く走ったりはできそうにない。いつの間にか辺りには人気はなくて助けを求めることもできない。大声を上げて誰か呼ぼうとも思ったが部屋の中にいるなにかに聞かれたくない気持ちが上回って壁によりかかりながら隠れるところがないか探し始めた。


 エレベーターは見つけたのだけれどなぜだか、ボタンを押しても光らないしどの階にいるのかもわからなかったので壊れているものだと諦めた。階段はとてもじゃないが足の痛みで降りられそうになく。仕方なく隣にあったトイレへと引きこもると決意する。立て付けが悪いのか不気味な音を立てながら開く扉にビクビクしながら一番奥の個室を目指した。


 便座にすわって足首を見ると手の形にあざになっているのが見えてしまって見ないふりをする。誰の手だったかを認識したくはなかった。


 助けを呼ぼうとスマホを探すが、入っていたカバンを持っていないことに気がつく。部屋から出る際の混乱で落としてきたのだろう。気にしている余裕はどこにもなかったし仕方ない。きっと誰かが下に降りているはずだし、助けに来てくれるはず。そう自分に言い聞かせる。


 それにしても親友にあんな仕打ちを受けるなんて思いもしていなくてとっさに反応できなかった。結果的にはなんとかなったけれどあのまま引き釣りこまれていたと思うとゾッとする。中に残った人たちはどうなったんだろう。それに。あの映像に映っていた女の人。親友は知っているみたいだった。でもあんな子いたっけか。一緒に卒業した面子は全員覚えているし、今日も全員いた。でもあんな子は知らない。


 ぎぃ。


 扉が開く音がした。ゾッとして口元に手を当て息がもれないように気をつける。だれかが来た。助けかもしれない。でも声をかけてくれる気配はなく。であれば部屋の中にいたものか。


 個室の鍵は閉めてある。無理矢理は入ってこれないはずだけれど、不安は土砂降りの雨のように心にたまり続ける。心臓の音がうるさく。息を吐くことすらも忘れる。息苦しい時間が流れて、また扉が軋む音が聞こえた。


 どっか行ってくれた。もしかしたら助けだったかもしれない。でもやっぱりそうだったら声かけてくれるよね。


 吐き出した息とともに思考がぐるぐると回りだす。


「だめだ。こっちにも誰もいない」


 外に出たであろう人の声がした。男の人の声だけれど聞き覚えはない。やっぱりだれか助けを呼んでくれたんだ。助かったという気持ちが込み上がってくる。慌てて自分がここにいることを伝えようと声を出そうとするがかすれてしまって大きな声にならない。


 行ってしまう前に、ここから出ないと。個室の扉を思いっきり開けて、外へと飛び出す。


 しかし動かした足首に痛みが走って、痛みのあまりに手を伸ばしたらなにかにぶつかった。


 えっ。


 なんで……動かしたから痛かったわけじゃなくて。なにかに掴まれたから痛かったのだと気がつく前に悲鳴を上げていた。


『今度はこっちが見つける番だね』


 やっぱり聞き覚えがない声だ。


『私が誰だかわかる?』


 わからない。知らない人だ。


『そっか。やっぱりちゃんとひとりづつ確認しなきゃあ。私のこと覚えてくれている人を見つけるまで』


 あ。ぇっ。私はどうなるんですか。


 そう、ちゃんと言えたかは自信がない。でも、伝わったみたいだ。


『部屋に残ったみんなと一緒だよ』


 脳裏にフラッシュバックするのは部屋のびしょ濡れた床。暗くて色が黒いと思っていたけど。鼻から血が出ていてその鉄の臭いも勘違いしていたけれどあの部屋に充満していた。


 そう悟って。自分が自分でなくなった。声を上げているのか、息をしているのか、自分がなにものなのかわからないままに。悲鳴を上げ続けた。

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ちゃんとひとりずつ 霜月かつろう @shimotuki_katuro

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