4−5 夜明けのおにぎり(1)

 僕たちは、一晩中ずっと話し続けた。高校生だった頃に見ていた夢のこと。最近読んだ小説のこと。大学であった面白いこと。いくら話しても話題は尽きないし、いくらでも笑えて、憤慨して、感動できた。


「お。もう一時か。山手線の終電は行っちまったかな」

「健二君、宏樹君。ダメだよ、ちゃんと帰らないと。家族の人が心配するから」

「家出してる奴が、なに偉そうに言ってんだよ。宏樹はもう帰れ。お前はマジメだから、親に心配かけてまで無理するなって」

 四年前の会話を再現して、また大笑いした。今日は、誰も連れ戻しに来る心配はない。

「いや、僕も一緒にいる。美優は僕の彼女なんだから、お前なんかと一緒に置いていけない」

「なんだよ、偉そうに。お前らが付き合えるようになったのは、俺のおかげだからな。一生忘れるなよ」

 確かにその通りだ。一生忘れるわけにはいかない。四年前の夏と同じくらい、この秋は熱くて濃い季節になった。


 しばらく話し続けていたが、美優がトイレに立ち、健二と二人になる。

「ありがとうな。いろいろお膳立てしてくれて」

「おう。バレないように仕込むのに苦労したぜ」

「もし、僕が今日、告白しなかったらどうする計画だった?」

 健二は、スチール椅子の背にもたれて上を向いた。

「そん時はさっさと解散して、失恋した美優を、なぐさめながら口説くつもりだった。あんなヘタレを相手にしてても良いこと無いぞって」

「そうか」

 健二は、どう思っているのだろう。四年前も今回も、美優が相談して頼りにしているのは健二の方だ。頼られるばかりで、恋人にはなれないというのも、ずいぶん損な役回りだが、それでも僕のことを友達として見てくれるのだろうか。

 美優が健二と付き合うことになったら、僕は冷静に見ているなんてできそうにない。


「これからも、僕たちは友達でいられると思っていいのかな」

 返事はなかった。

「僕は、ずっと健二に頼りっぱなしで、何一つ自分一人ではできなかった。四年前に掲げた最初の目標も、僕じゃなくて健二が見つけてくれたものだったし。今回も、自分だけじゃ、絶対に実現できなかったと思う」

「……」

「これからは、頼ってばかりじゃなくて、しっかりしようと思う。だから、ずっと友達でいてくれるかな」

「……」

 すぐに返事がないということは、やはり内心では、面白くない気持ちがあるのだろうか。一方的に苦労するばかりで、健二にとって得られるものが何もなければ、僕なんかに付き合う義理はない。

 いつまでも甘え続けているわけにはいかないだろう。


「健二……」

「あれー。寝ちゃったね」

 いつの間にか戻ってきた美優が、椅子の上から健二の顔を見下ろしている。よく見ると、椅子の背にもたれて上を向いたまま、健二は口を開けて寝ていた。

「なんだよ。僕の独り言になってたのかよ」

 美優はソファに座り、チェイサーを一口飲んだ。

「何を話してたの?」

「ああ。どこまで聞いてたのかわからないけど、これからも、ずっと友達でいられるのかって聞いてた」

「そうか」

 美優は、ソファの背もたれによりかかり、両手を揃えて口の前に寄せた。

「私は、健二と宏樹の二人にずっと助けてもらって来たから、いつまでもこの三人で仲良くしていたいと思ってる。でも、恋人として好きなのは宏樹。もし健二が、そんな関係に入っているのは嫌だと思っていたら、それは無理強いできないかもね」

「そうかもしれない。でも……」

 無理強いすることはできない。それは、その通りかもしれない。

「でも、『月夜ノ波音』の主要メンバーなのは変わらないし、編集会議は続けないとな」

「そうだね」


 僕と美優のつながりは、週一回のリモート会議だった。恋人になったとして、名古屋に住んでいる彼女と、八王子の僕とでは、直接会う機会はなかなか無いだろう。いわゆる遠距離恋愛になるが、それでも大丈夫だろうか。

「美優。これからは、こまめに連絡するようにするな。なんなら、毎晩リモート会議つなごうか?」

「ありがとう。でも忙しかったら、毎晩じゃなくてもいいけど。週末の夜はバイトなんでしょ?」

「ごめん。平日は、できるだけ毎晩にしよう」

「ふふっ」

 美優は、体を起こして僕の方にかがみ、テーブルの上に手を置いて笑った。

「意外と宏樹って、束縛系だったんだね」

「えっ……」

 束縛系って。中高男子校で、まともに「彼女」というものを作って付き合った経験が無いから、加減がわからない。もしかして、いきなり初手から失敗してる?


「あ、嫌だったらいいよ。その、日曜日の夜だけでも。やっぱり毎晩なんて、拘束しすぎだよな。毎日、どこにも出かけるなって言ってるようなもんだし」

「ううん。嬉しいよ。平日はできるだけ毎晩話をしようよ。私も、いっぱい話したいことがあるし」

「それで、月に一回は名古屋まで会いに行くから。あと、長期休暇になったら、どこか旅行に行こう」

「え、毎月なんて無理しなくていいよ。交通費もかかるし」

「でも、やっぱり直接会いたいし」

 会うというのは、手触りとか、匂いとか、体温とか、気配とか、いろんなことを感じられること。なかなか会えないとしたら、できる時には、ずっと美優に触れていたい。

 僕は、テーブルの上の美優の手に、自分の手を重ねた。美優の指はひやりと冷たかった。

「手が冷えてるね。寒い?」

「ううん。大丈夫」

 冷え切った指を包み込むように美優の手を握り、そのまましばらく沈黙する。

 気まずさはなく、ただ指先の感触から、美優の気持ちが伝わってくるような気がした。


「んあー」

 健二が、椅子の上で大きく伸びをした。

「そろそろ、起きてもいいか?」

 椅子の上で、まっすぐに背を伸ばしながら、僕たちの方を見てニヤリと笑った。

 こいつ、いつから目を覚ましてたんだ?



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