4−4 家出少女との約束(3)
健二は、ハイボールをごくごくと飲み干した。
「え? 健二は、怒らないのか? 告白するって言ってたのを邪魔してるのに」
「それより、美優の返事が先だろ」
健二は、グラスを置くと、姿勢を正したまま腕を組んで、美優の方を見た。美優は、ティッシュで涙を押さえながら、いつまでもうつむいている。
「美優。宏樹はちゃんと言ったぞ。今度はお前の番だろ」
「うん」
美優は顔を上げると、僕と向き合った。
「ごめんね。こんな顔になっちゃって。マスカラもボロボロだし、恥ずかしい」
「いや……、大丈夫」
「ありがとう。私なんかのこと好きになってくれて……」
また涙があふれてきたのをティッシュで押さえてから、もう一度微笑んだ。
「私は、シャーロック・ホームズが好きです。返事をする勇気が出るのに時間かかってしまって、ごめんなさい」
四年前、三鷹の太宰治文学サロンでデートした時、僕をシャーロック・ホームズに、健二をアルセーヌ・ルパンに例えた美優に対して、どっちが好きかと尋ねた。作品のキャラクターについて質問したつもりだったが、彼女はそれきり黙ってしまった。今ならわかる。あの時彼女は、僕と健二のどちらが好きか、という質問だと勘違いしたのだろう。
今、その返事をしてくれたということなのか。
健二は、手を上げてバーテンダーを呼んだ。
「グラスのシャンパンを三つ」
「え、シャンパンって?」
「いいんだよ。俺のおごりだ」
健二は、ウインクした。
「ここの店に置いてあるのは、グラスでも本当にシャンパーニュのシャンパンなんだぜ。スパークリングワインじゃなくてさ」
フランスでは、シャンパーニュ地方で作られたものでなければ、シャンパンとは名乗れない。他の地方で作られたものは、どんなに品質が良くてもヴァン・ムスー、発泡酒だ。そんな蘊蓄を織り込んでくる余裕があるなんて、どういうことだ?
運ばれてきたシャンパングラスを手にとって、健二は厳かに宣言した。
「いまここに、四年の歳月を経て再び結ばれた二人を祝福し、乾杯」
「乾杯……」
シャンパンには口を付けただけで、すぐにグラスを置き、改めて健二を問い詰める。
「なあ、変だろう。お前が告白するって言ってたのを邪魔して、僕が横取りしたんだぞ? なんでそんなに平然としていられるんだよ?」
「これでやっと、目標が達成できたからさ。手間かかり過ぎなんだよ、お前ら」
目標? さっきの店で、第二の目標があると言っていたやつか? それって。
「えっ? 健二が告白って、なんで? なにそれ?」
美優は僕以上に驚いたようだった。グラスを両手で持ったまま、健二に質問を投げかける。健二は、美優の話を聞いているのかいないのか、グラスを持ち上げて、くるくるとまわしながら泡に光を透かして見ている。
「健二も、美優に告白するつもり……」
そう言いかけると、健二にニヤリとしながらさえぎった。
「違うよ。俺は最初から美優に相談されて、お前らをどうやってくっつけるか考えてただけ。告白するってのも、お前がいつまでもウジウジしてるから発破かけるためだよ」
「えっ? 相談されてた?」
美優はグラスを置くと、申し訳なさそうに話し始めた。
「健二から『月夜ノ波音』を再開したいと連絡があった時に、二つお願いしたんだ。一つは、宏樹を絶対に呼び戻して、またリーダーにしてほしいってこと。このサークルは琥珀先生が作ったものだし、琥珀先生がいなければみんな集まらないだろうから」
少し間をおいて、下を向いたまま続ける。
「もう一つは、宏樹の本心を確かめて、どうしたら恋人になれるか相談に乗ってほしいということ」
「そうだったんだ……」
美優は、深々と頭を下げた。
「騙したようになって、ごめんなさい。始めから、四年前に行き違いになってしまったところから、またやり直したかったの」
「でも、なんでこんな回りくどいことを」
健二は、シャンパングラスをテーブルに置いて、少し前かがみになった。
「美優は、お前がなんで四年前に姿を消したのか、本当の理由を知りたかったんだよ。コンテストの結果が出て、それにショックを受けたんだろうとは思っていたけど、それだけでヨミカキのアカウントも消して、Lineのグループからも抜けて連絡しなくなるなんて考えられないだろ」
シャンパングラスの底を指で押さえたまま、軽くゆすって、小さな泡が立つ様子を見ながら、話し続ける。
「最初に相談された時は、再会した勢いで『付き合って』って言っちゃえよって、話したんだよ。横で見てたからわかるけど、お前の方が美優を好きだったのは間違いないから。でも、もしかすると、自分の家庭環境とか性格が疎ましくて避けられたんじゃないか。それが怖くて、自分からは好きだなんて言えないって」
再結成のリモート会議の後、一対一でつないで話をした時に、確かにそんな話をした。
「それで、行方をくらませた理由を直接確認させたけど、まだ確信が持てないって言うから、それならもう、宏樹から美優に告白させるように持っていくしかないと思ってたんだよな」
あの時は、僕もまだ美優に対する気持ちに確信を持てなかったから、美優だって信じられなかっただろう。それに自分に自信を持てなかったから、もし美優から告白されたとしても、そんな資格は無いと言って断っていたに違いない。
「だから、わざわざ編集会議なんて設定して、毎週、美優と会話する時間を作ったり、今日も、店番の後で二人で歩ける時間を作ってやったりしたんだよ。おまけに、もたもたしてたら、俺が告白しちまうぞって発破までかけてさ。全部、俺の作戦。まあ告白するぞって言ったことまでは、美優は知らないけどな」
僕達が店番の後、美優とフリーになる時間を作って、健二がトイレに行ったのは、全て計算ずくだったってことか?
「美優はな、お前が考えているより、ずっと傷つきやすくて繊細なんだよ。家族もバラバラになってしまって、頼りになるのは俺たちだけで。お前が連絡してこなくなっても、Lineでブロックはしてこなかっただろ。てことは、まだ宏樹は連絡する気はある。いつか戻ってきてくれると信じていたから、四年間頑張ってたんだよ」
それは正しい。四年前にヨミカキをやめて、グループLineからは抜けても、アカウントは残したままにして健二と美優の二人をブロックすることはしなかった。いつかまた連絡できることを、内心では期待していたのかもしれない。
「それをぶち壊して、本当に避けられてしまうようになるのは、美優には耐えられない。だから、こんな回りくどいことをして、お前が本心から美優のことを好きだって言えるように、お膳立てしてやったんだ。それなのにお前ときたら、一次会終わったら逃げ出しやがって。手間かけさせんじゃねえよ」
健二は、この店に来てから初めて声を出して笑った。
「はははっ。これで美優との約束は果たしたし、青春やりなおしは完成だな」
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