4−4 家出少女との約束(2)

「しびかって、そんなに怖いやつなのか?」

 健二が、あまりの美優の心配ぶりが不思議だったのだろう。正体を知った僕にとっては、的外れなことを言い始めた。

「いや。ぜんぜん怖くなかった。昔は、辛辣なコメントやレビューをガンガン書いてきたから、どんなおっかない奴だろうと思っていたけど、会ってみたら、小柄な女の子だった」

「女の子か」

 あごをはさんだ考えるポーズのまま、健二はうなずいている。

「性格の悪い奴だったってことか」

「いや、話してみたら、すごく真面目で、付き合い下手なだけで、性格が悪いというわけじゃなかった。文学に対して、真剣過ぎたのかなという印象だな」

「琥珀先生としては、文学を語り合いたい相手だったってことか」


 なんと答えよう。確かに、文学を語り合える相手かもしれない。でも、それを望んでいるのかというと、自分自身はっきりしていない。

「文学を語り合うなんて言うと、すごく大袈裟だけど、実は話が合う相手だったのかもしれないな、とは思った」

 健二は、あごに当てていた手を外し、僕の方を指さしながら、少しきつい言い方をした。

「いいか。その女の子の性格がどうなのか知らないけど、もし会うんなら、絶対に美優も連れて行け。いいな」

「……わかった」

 美優が、心配して一緒に行くと言ってくれたのはわかるが、健二まで、絶対に美優を連れて行けとまで言うのは、なんだろう?


「ね、おかわりしていいかな」

 いつの間にか、美優のグラスが空になっている。

「いいんじゃないか」

 僕は、カウンターの向こうにいるバーテンダーに手をあげた。

 エンボスでバイトしている時は、客席のグラスの空き具合をいつも気にしていて、空になったら、いつ追加オーダーが来るか、さりげなく注目して神経を使っているが、ここのバーテンダーは、あまり気にしていないようだった。

 大袈裟に手を振ると、ようやく気づいた若い店員がやってきて、追加オーダーを取り、戻っていった。


「美優。ちょっといいか?」

 じっと僕の顔を見ていた健二が、姿勢を正し、真面目な顔になって話し始めた。来たか。

 できれば、僕のいないところでやってほしかった。健二が美優に告白するところなんて、見たくない。まして、美優が目の前でそれを受けてしまったら、僕は到底耐えられないだろう。

 かと言って、健二を実力で阻止する度胸もなければ、美優がそれを良しとしてくれる自信もない。ただのお邪魔虫にしかならないのでは、と思うと何も言えない。ここは、立ち去るしかないだろう。

「大事な話なら、僕は席を外すから」

 腰を上げようとしたが、健二は右手で僕を制止する。

「まあ、待て」

 涙が出てきそうだった。美優が、目の前で他の男に口説かれる。さっきの店で、健二と僕のどちらを選ぶかと問われた美優は、僕を選ぶ気がしていたが、今はそんな自信は、かけらも無くなっていた。健二は、僕が逃げていた四年間も、ずっと彼女を見守ってきた。かなうわけがない。

 運ばれてきたグラスには手もつけず、美優はきょとんとした顔でソファに座っている。街のあかりが背景になり、美しい絵のようだった。


「宏樹。言っておいたように、どんな結果になっても文句は言うなよ」

 健二は、僕の目を見ながら静かに言った。黙って座っていろということか。

 ……嫌だ。

 健二が告白して、それだけで美優が判断するなんて、おかしい。


「いいよな」

 嫌だ。

 僕も、美優の苦しみと喜びを見守ってきた。僕も、美優と一緒にいる権利があるはずだ。


「美優……」

「待てよ!」

 思い切って声を出すと、健二は、美優に向けていた視線を僕に戻した。


「待てよ。美優は、お前一人のものじゃないだろう」

「何が言いたい?」

「……つまり、その」

 言葉に詰まる。言いたい想いは心の中いっぱいにあるが、言いたい言葉が出てこない。

「はっきり言わなきゃ、わからないぞ」

 健二は、予想外に穏やかな声だった。


「美優に、僕か、健二か、どちらを取るか選ばせるべきじゃないか」

「バカ野郎!」

 いきなり、健二の声色がキツくなった。

「お前は、どう思ってるんだよ? 美優に押し付けるな」

「僕は……」

 美優は、不思議そうな表情で僕らのやり取りを見ている。でもその目は、さっきの店で、龍兎翔に健二と僕のどちらを選ぶのかと問われて答える直前と同じだった。あたたかく、僕を信頼している目。疑いなく、すべてを信じている目。

「僕は、美優が好きだ。付き合ってほしいと思っている。健二には渡さない」


 美優はそれを聞くと、びっくりしたように両手を口元に当てて固まった。やがて、大きく見開いた目から、ほろりと涙がこぼれる。次第に、涙は大粒になり、嗚咽をもらし始めた。僕は、ポケットに入っていたティッシュを出して、美優に渡した。

 そんな僕と美優の様子を見ながら、健二が小さな声でつぶやくのが聞こえた。

「ようやく、言いやがった。まったく手間のかかる奴だぜ」


 あれ? 健二は、美優に告白するつもりじゃなかったのか?


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