4−4 家出少女との約束(1)

 半分くらい飲んでしまった僕のチェイサーをテーブルに置くと、美優は僕と健二の顔を交互に見ながら、しみじみと言った。

「こうして三人で集まると、あの日のこと思い出すなあ。あの夜、二人が駆けつけてくれて、本当に嬉しかった。ありがとう」

 四年前、家出して来た美優と、夜中までファミレスにいた晩を思い出す。結局、暴力的な父親に連れ戻されてしまうのを見ていただけで、僕たちは何もできなかったけれど、それでも彼女の心の支えになれたのだったら、意味はあったのかもしれない。母親からは、美優をよろしくお願いしますと言われたが、こうして今でもつながっているから、約束は果たせている。


「今日は、お母さんのところに泊まるのか?」

 僕が聞くと、美優はぐっとくちびるをしめた。

「お母さんは、もう再婚して他の男の人と暮らしてるから行かない。父親と離婚してから連絡も取ってないし」

「えっ……」

 意外な返事に、言葉を失った。両親は離婚したと言っていたから、DVの父親から母娘で逃げ出したのだと思っていたが、違ったのか?

「高校三年生の時にね、お母さんが先に家を出たの。離婚調停で親権は父親が取ったから、私は高校卒業するまでずっと、父親と実家にいた。未成年の私には、何か言う権利なんてなかったから。まあ、捨てられたってことだよね」

「……」

「元々、家を出るつもりで愛知の大学に願書出してたから、必死に勉強して合格したんだよ。経済的にも父親に依存するわけにはいかなかったから、学費免除の特待生を取ったし」

「知らなかった。そんな状態でいたなんて」

「言わなかったからね」

 美優は、ジントニックを一口飲むと、ぐっと胸を張った。

「今は、家庭教師とコンビニのバイトで生活費稼いで、完全に独立してるから気楽だよ。アパート借りる時の保証人も、母方の伯父さんにお願いしたし」

「じゃあ、今日は実家には?」

「行くわけないでしょ。今日は、あの時の約束を果たしてもらうから」

 美優は、テーブルの上で前かがみになって顔を近づけ、にこりと微笑んだ。

「朝まで、ずっと一緒にいてくれるんでしょ」


 再会した時に、「大学に入って、合法的に家出した」「高校三年の秋頃に親は離婚した」と言っていたから、冷静に考えてみればわかったことだ。もし、父親と別れて、お母さんと暮らせていたのなら、遠くの大学に逃げ出す必要なんてなかったはず。ファミレスの前で会ったお母さんは優しそうだったが、もう会えなくなってしまって、今でも、安心して帰る場所の無い孤独の中で暮らしているなどとは、想像できていなかった。表情が明るくなって、すべて解決したと思い込んでいた。

 僕は、美優のことが何もわかっていなかった。


「いいよ。俺は朝までずっといてやる。宏樹は知らないけど」

「僕も、ずっと一緒にいるよ……。美優がそんな思いをしていたなんて、ぜんぜん気が付かなかった。ごめん」

 僕が、あまりに落ち込んで背中を丸めているので、美優は、背中に手を当ててくれる。美優の手の温かさを感じるが、これじゃ立場が逆だ。

「今の私は、もう大丈夫だから。前にも言ったけど、あの夜から、私には宏樹がいる。いつでも助けてくれるって信じられるようになったから、ぜんぜん怖くなくなったんだってば」

「ごめん。僕の方が落ち込んでいたら、おかしいよな」

 顔を上げて、無理に笑顔を作ると、健二が憮然とした顔で言った。

「ほんとだよ。四年前のお前の方が、もうちょっとしっかりしてたけどな」

「その通りだな。しっかりしないと」

 僕はグラスを持ち上げて、琥珀色の燻香くんこうを口に含んだ。気のせいか、舌の先には、いつまでも塩味が残っていた。


 気分を変えるように、美優は僕に質問してきた。

「宏樹はさ、今日会った至美華しびかと、本当にまた本を読んだりしに行くつもり?」

「しびかって誰だ? そんな奴、今日来たっけ?」

 健二は首をかしげる。

「至美華は、四年前に関わりがあった子。まだ当時は中学生だったから、高校生チャレンジには応募していなかったけど、僕の小説にコメントをよく書いていた」

「ふうん。そいつに会ったんだ。ブースに来たのか?」

「いや。うちのブースには来てない。こっちから会いに行ったから」

 健二は、人差し指と親指であごをはさんで、ふむと考え込むポーズをした。

「あれか、俺がトイレに行っている間か。なんか、二人で手を組んで歩いてたとか、龍が言ってた時」

 その通りだが、その点はあまり深追いしてほしくない。あえて健二の問いには答えず、美優の方を向いた。

「至美華と、また会うかどうかは、わからない。連絡が来たら、会うかもしれないけど、もう二度と連絡は無いかもしれないし」

「もし連絡があったら、私も呼んで。一緒に行くから」

 美優は、不安そうな表情で僕の腕にふれながら言う。もう発作を起こすこともないだろうから、そんなに心配しなくてもいいのに。

「わかった。至美華から連絡があったら、美優にも知らせる」

「絶対だよ。絶対、一人で会いに行っちゃだめだからね」

 美優は、僕の腕に手を乗せたまま、なおも不安そうに言葉を重ねた。

「わかったよ。約束するよ」

 なんで、こんなに心配しているんだろう?



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