3ー3 対決(2)

「あなた、この本を書いた至美華しびか本人よね?」

「はい……」

 少女は、怯えたような目のまま、僕と美優を交互に見ている。

「三村優の小説に、何てコメントしてたか覚えてる? もう四年も前のことだと、覚えてないか」

「ごめんなさい。あの、あの頃はひどいことを書いていて、本当にごめんなさい」

 至美華は、下を向いて必死に謝り始めた。隣のブースに座っているお兄さんが、何事かと心配そうにこちらを見ている。あまり騒ぎになるとまずいかもしれない。


「謝るんなら、私じゃなくてこいつに謝りなさいよ」

 美優は、僕の手を引いて至美華の前に押し出した。

琥珀真天こはく まそらって名前、覚えてる? 四年前にヨミカキで書いてた人だけど。あんたのせいで、書くのやめちゃったんだよ」

「覚えています……」

 至美華は顔を上げて、メガネの奥から僕の目をじっと見つめてきた。その目は、涙がこぼれそうになっていた。

 さっきまでは落ち着いていたはずが、正面から彼女に見られていると、また胸に痛みが走り、呼吸が荒くなり始める。何も言えずに立ち尽くしていると、至美華は小さな声で僕に語りかけてきた。

「どうして、どうして、ここに来たんですか? どうして、四年前に突然いなくなってしまったんですか? どうして……」

「なに言ってるのよ! 四年前にいなくなっちゃったのは、あんたのせいだって言ったでしょ」

 大きな声ではないが、怒っている美優の声に、至美華はまた怯えた表情になる。

「やっぱり、私のせいなんですか? 私が書いたことが原因で、琥珀さんはいなくなってしまったんですか?」

「あんたね……」

「私、琥珀さんとは、わかりあえていると思っていたんです」

 強い口調で発せられた意外な言葉に、美優は口を閉じた。僕も、無言のまま至美華の目を見返す。

 わかりあえていたって?


「私、真剣に文学をやりたくて、名作と呼ばれる作品を沢山読んで、自分の小説もしっかり考えながら、一つひとつ書いていたんです。他の人の作品も、きちんと読んだら、ちゃんと評価を書かなきゃって思ってて。それで、厳しいコメントを書いた作品も沢山ありました」

 至美華は、下を向いた。

「ヨミカキの運営の方から、注意を受けました。コメントやレビューで、作者が不快になるような、作品の欠点をあげつらうようなことを書いてはいけないと。そんな批評はもらいたくないと思っている人がいるなんて、その頃は想像もできなくて。迷惑をかけた人はたくさんいたと思います。だから、三村優さんが不快に感じていたのなら、本当にごめんなさい」

 深々と頭を下げた。美優も、素直に謝られると何も言えないようだった。


「でも、私は琥珀さんの小説は本当にすごいと思ってて、だから、こうすればもっと良くなるはずだと思ったことを、どんどんコメントに書いていたんです。琥珀さんは、私が書いたコメントに対して、すごく真剣に返してくれました。本当に文学をやっている人は、やっぱり違う。真剣勝負ができるのはこういう人なんだって思いました」

 至美華は顔をあげると、一瞬ためらってから続けた。

「自分達は文学をやっているんだって、勝手に思っていたんです」


 僕は、言葉がなかった。僕が、彼女の批判コメントを逐一打ち返していた時、真剣勝負の創作論をやっているつもりだったのは事実だ。その間、僕は彼女と本当に「文学」をしていたのかもしれない。

「でも、ある日急にアカウントが消えてしまって、ものすごくショックだったんです。その時、何人もの他の作者さんから、最後に書いたレビューはひどすぎると個人メッセージで非難されました」

 至美華は、メガネを外して涙を拭くと、また掛け直して僕の目を真っ直ぐに見た。それは、悲しみと怯えと、すがるような気持ちが込められているように見えた。

「琥珀さんは、本当に私が批判したせいで、私がひどいことを書いたせいで、文学をやめてしまったんですか?」


 彼女のレビューは、僕自身の心の弱さを的確に突いた。僕は、僕自身の心の闇に気づかされてしまったから、書き続けることはできなくなった。でも、その心の闇とは、一体なんだった?

 彼女は書いていた。「相互フォローでポイントをかさ上げしているだけの駄作には、何の文学的価値も無い。作品の価値は、今の読者の人気と、専門家からの評価の両輪で決まるものだと書いていたが、専門家からの評価すら得られなかったのではないか」

 それは、僕自身が薄々気がついていたことだった。面白い小説の正しい書き方のノウハウ。投稿サイトでPVを稼いで、ランキングを上げるノウハウ。そんな付け焼き刃の勉強で書いた小説に、何の価値があるというのか。

 そして、僕は「高校生チャレンジコンテスト」で何の結果も出せず、賞を獲った健二や美優達に対して劣等感を持った。いや、正直に言えば、嫉妬を感じたから、小説を書き続けることができなくなってしまった。

 至美華は、そんな僕自身の心の闇に光をあて、えぐり出して目の前に突き出してきただけだ。悪いのは、自分の心の闇から逃げ出した僕自身だ。僕は、自分自身の弱さと情けなさをさらけだす緊張に耐えられなくて、発作に逃げたんだろう。

 至美華は、何も悪くない。


 僕は、声を絞り出すように至美華に語りかけた。

「君の言うとおりだ。僕と君は、あの時確かに真剣勝負をしていた。『文学』なんて大それたことを言っていいのかどうかわからないけど」

 至美華と美優は、じっと僕のことを見ている。

「僕は、君の最後のレビューを読んだ後、何も書けなくなった。至美華という名前を見るだけで発作を起こすくらいにショックを受けた。でも、僕は、僕自身の弱さから逃げ出しただけだ。それを君のせいにするのは、間違っていた」

「宏樹!」

 美優が、驚いて僕の腕をつかんできたが、少し微笑んで続ける。

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