3ー3 対決(1)
交代時間の一時が近づくと、次の店番の龍兎翔と、さとひなさんがやってきた。さらに仙台から来た杜都も到着し、他の店を回っていた美優も戻って来ると、ブースの前は「月夜ノ波音」のメンバーでいっぱいになってしまった。
「どう? 売れ行きは?」
美優に聞かれたので、売上を記録しているノートを広げて数えてみる。
「今のところ、十冊売れた。健二の知り合いが何人か来たのと、ヱビフルのフォロワーさんと、龍兎翔のフォロワーさんが来たな。あと二冊は、僕と健二が自分用に買った」
「結構、いいペースじゃない」
僕は、龍兎翔とさとひなさんに、現金を保管しているケースと記録ノートを渡しながら立ち上がった。これから一時間は、この二人が店番だ。設営が終わってからずっと座ったままで、少し腰が痛くなっていたので、僕は、うんっと声を出して背中を伸ばす。
「ちょっと、トイレ行ってくる」
健二は、そう言い残すなり、早足で出入口の方に行ってしまった。朝からずっと我慢していたのかもしれない。
「ねえ、ちょっと行きたいブースがあるんだけど、一緒に来て」
「いいよ」
誘われるまま、美優について出入口とは反対側に向かって通路を歩き始めた。
P列の通路から出ると、美優は隣の列に並んでいる机に向かって、まっすぐに歩いていく。しかし、僕は立ち止まって、鼓動が激しくなってきた胸を左手で押さえた。
「ちょっと待って」
声をかけると、少し離れていた美優がこちらを振り返る。
「そっちに行くのはちょっと……」
美優のすぐ後ろには、Q列を示す札が立っていた。あいつのいるエリアだと知っていて、あえて行こうとしているのか?
美優は、こちらに戻って来ると、すぐ横に並んで僕の顔を見上げた。
「一緒に来て。ちゃんと決着を付けないと」
必死に呼吸を整える。なんとか発作にまでならずに済んでいるが、今にも決壊してしまいそうだった。
「なんでわざわざ……」
「いつまでも逃げたままになっているのは良くないし、そんな宏樹でいてほしくない」
美優は、僕の右腕を取ってしっかりとつかまった。何も知らない人が見れば、恋人同士が腕を組んでいるように見えるかもしれない。でも実際は、僕が逃げないように捕まえられているようなものだった。
「私も一緒にいるから大丈夫」
「あいつの所に行って、どうするつもりだ? もうあいつとは、なんの関わりも持つつもりはないけど」
「どうするかは、行ってみないとわからない」
美優は、僕の腕を取ったまま、Q列に向かって歩いていく。僕は、彼女に引きずられるようについて行った。
至美華との関わりは、ヨミカキの画面でのコメントとレビューしかなかったから、どんな見た目なのか全く知らなかった。ただ、主張している内容が年寄臭いのと、時々引用する作品が明治や昭和の文豪の作品ばかりだったから、きっとかなりの年配なのだろう。カタログを見た時も、ブース番号はちゃんと見なかったから、歩いていても、どれが至美華なのか全くわからなかった。
美優はブース番号を覚えているらしく、迷いなくどんどん通路を歩いていく。列を半分以上進んだところで立ち止まり、僕の腕をつかんだまま、そこに座っている人物をじっと見つめた。
そのブースは、ポスターやチラシのような装飾は何もなく、ただ机の上に二十冊ほどの薄い文庫本が積まれていた。積まれた本の前には、タイトルと、一〇〇〇円とだけ印刷した紙が置いてある。僕らの他には足を止める人はなく、お客さんは誰もいなかった。ブース番号の看板も何もないので、本当にここが至美華のブースなのか、半信半疑だった。
にわかに信じられなかったのは、机の向こう側に座っている人物のせいでもある。飾り気のない机の向こうには、色白でか細い少女が一人ポツンと座っていた。
長い黒髪を後ろで束ね、銀縁のメガネをかけている顔は、メイクしている様子もなく、まだ高校生か中学生のようだった。服装も、白いブラウスに紺色のカーディガンという地味なスタイルで、同年代の子のように、流行りのファッションを気にしているような雰囲気はない。
机の前でじっと立っている僕らに気づくと、その少女はおどおどと目線をそらし、落ち着かなくなった。美優は僕の腕を離すと、つかつかと机に近づき、積んである本を一冊取り上げて読み始める。少女は、ますます落ち着きがなくなり、ハンカチを取り出すと、メガネを外してレンズを拭いては掛け直すということを繰り返し始めた。
彼女は、本当に至美華なのか?
少し近づくと、机に置かれた文庫本の表紙に、作者名として至美華と書かれているのが見えた。ブースは間違いないようだが、僕の作品を批判していた語彙の厳しさや、引用する文豪たちの古さと、目の前の少女の印象が全く一致しない。さっきまでは、いつ過呼吸の発作を起こしてもおかしくない状態だったが、今は、すっかり落ち着いていた。
しばらく読んでいた美優は本を閉じると、そのまま少女の顔をじっと見つめている。
「あの……。いかがでしょうか」
ついに耐えられなくなったのか、少女は視線は上げないまま、周りの喧騒にかき消されそうな小さな声で美優に話しかけた。
「まあ、よく書けてるんじゃない。これ買うから。いくら?」
少女の答えは、小さ過ぎて僕には聞こえなかったが、美優には聞こえたのだろう。リュックから財布を出すと、中から千円札を取り出して少女に渡した。
「あなた高校生?」
「……はい」
「ヨミカキで書いてたりする?」
「……はい。ヨミカキでも書いてます」
「そう。私もなの。昔、コメントくれたよね。三村優って言っても、覚えてないか」
それまで、美優の顔は見ずに、手元のお札だけを受け取ろうとしていた少女は、はっとしたように顔をあげた。気のせいか、口元が震えているようにも見える。
二人の雰囲気が緊迫してきたので、僕は美優の横に進んだ。もし彼女が、怒りに任せて手を出したりしたら大変なことになる。いざとなったら止められるように、すぐ隣に立ったが、少女は、二人に詰め寄られたと思ったのか、ひどく怯えた表情になった。
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