3ー1 設営(2)

 段ボール箱とリュックを机の下に置き、椅子を二つ並べて通路に向かって座っていると、周りのブースも続々と人がやってきて準備をしているのが見える。

 シンプルに本を机に置くだけのところ、人の背より高いポスターハンガーを持ち込んで、派手なイラストのポスターを広げているところ、卓上に三段の本棚を置いて、十冊以上の本をディスプレイしているところ。サークルによって様々な展示方法を工夫していた。みんな、この日のために作品を書いて、本を印刷し、準備をしてきたのだと思うと、なぜか涙ぐみそうになる。同じ志を持つ者たちと、時間と場所を共有している感動のようなものかもしれなかった。


 健二と僕は、特に話をすることもなく黙って椅子に座っていたが、やがて健二の方から話かけてきた。

「なあ、お前は、美優のことどう思ってる?」

「どうって……」

 なんと答えたら良いのか、わからない。美優は、強くて、美人で、でも弱いところもあって。四年前も今も、すぐそばにいて。

「俺は、美優が好きだ。付き合いたいと思ってる。でも、あいつの本心がわからない」

 何も答えられない。

「俺は、文学メルカートが終わったら美優に告白する。彼女が俺を選んでも、文句を言うなよ」

「わかったよ」

 健二は、僕が美優のことを好きなんだろうと思っている。いや、それ以上に、美優が僕のことを好きなんじゃないかと疑っているということか。

 そんなことは、あり得るのだろうか。

 僕が美優と二人きりだったことは、ほとんどない。三鷹に太宰治の展示を見に行った時以外は、リモート会議で、なんで四年前に行方をくらませたのかと責められたり、書き直した原稿がつまらなくなったと怒られたくらいだ。なんだか、いつも怒られているな。

 不意に、三鷹に行った時に「ホームズとルパン、どっちが好き?」と聞いた僕に、「どっちって言われても……」と、大きな目を見開いて固まっていた美優の表情を思い出した。もしかすると、僕はとんでもない質問をしていたのか?


 また二人とも無言になって、椅子に座ったままじっと前を見ていると、空いていた隣に男女がやってきた。ハンチング帽をかぶった、どう見ても五十代の男性と、ツインテールにした二十代くらいの女性の二人組。「ハルノート 遥音&於菟」のメンバーだろう。しかし、この年齢差で男女の組み合わせのサークルとは、一体どういう関係だ? 親子? それとも愛人?

 二人は、にこやかに「おはようございます」とこちらに挨拶すると、持ってきた大きなバッグの中から次々と道具を取り出して、設営し始めた。

 敷布を敷いた上に、布製のブックカバーと、段ボール箱から出した本を並べ始めたところで、見覚えのある表紙が見えてハッとした。あれは、バイト先のバーで借りて読んだ『夢の向こうに咲くスズラン』だ。著者の名前は吉野遥音。「遥音&於菟」の遥音そのものじゃないか。すっかり忘れていた自分に呆れてしまった。


 僕たちと同じように、表紙を大きく拡大したポスターを二枚、机の前に垂らし、一通りの設営が終わると、二人も並んで椅子に座った。僕のすぐ隣に座った若い女性の方が、改めて頭を下げてくる。

「今日は、よろしくお願いします」

「こちらこそ、よろしくお願いします。……あの、もしかして八王子のあたりによく行かれたりします?」

 あの小説に書かれていた、服飾デザイナーになりたいという夢を諦めきれず、三十歳を目前にデザイナーとしての道を模索し始める、というイメージにピッタリの女性だった。やはりあのストーリーは、自分自身の経験を書いたものに違いない。


 しかし、その返事は予想外だった。


「いいえ。吉祥寺にはよく行きますけど、八王子までは、遠いのであまり行かないです」

「えっ、そうですか? あの、八王子のバーでマスターに本を渡していますよね」

 やり取りを聞いていた健二が、脇腹をつついて来た。

「おいおい、琥珀先生、なにナンパしてるんだよ」

「いいえ。八王子でバーに行ったことはないですけど」

 女性からは不審そうな顔された。確かにこれじゃナンパそのものだ。でも、なんで否定するんだろう。

「僕、小説が書けなくなっていた時に『夢の向こうに咲くスズラン』を読んだんですけど、とっても励まされて。好きなものは好きっていうメッセージを読んで、やっぱり再開しよう、また書こうという勇気をもらいました。あの、ペンネームは、よしのはるねさんとお読みするので合っていますか?」

 ふふっと笑われた。

「私は都 於菟みやこ おとです。スズランを書かれた吉野 遥音よしの はるとさんは、こちらの男性」

「ええっ! 男性!?」

 女性の隣に座っている、ハンチング帽をかぶった男性が、にこっと笑った。

「ああ、自分が吉野です。八王子のバーってエンボスのことですね。よく行ってます」

「あなたが……吉野さん?」

 あの小説を書いたのが、男性だったなんて。あまりに意外で、言葉がなかった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る