三章 祝祭の中
3ー1 設営(1)
十時少し前に東京交易センターに着き、二階の受付に行くと、ガラス越しに見える会場には長机がずらりと並べられていて、各サークルの設営を始める準備はすっかりできているようだった。事務局と、各サークルから募集したボランティアが、朝八時から机の設置をしてくれていたらしい。
事務局の係員が受付前に立って、やってくる出店者の参加証をチェックし、入場シールを配っていた。このシールを見えるところに貼っていれば、設営時間も自由に出入りできると、出店者ガイドに書かれている。参加証は健二が持っているから、到着するまで待たなければいけないが、受付の前も空いているから、慌てることはないだろう。
途中のコンビニで買ったペットボトルの紅茶を飲んでいると、目の前にニヤニヤした男が現れて、ボトルの底をくいっと押し上げた。
「んっ! なにすんだよ」
「おはよう」
健二だ。
「子供みたいなイタズラするなよ。こぼすだろ」
「いや、リモート会議じゃできないからな。美優先生が言ってただろ? 手触りが大事だって」
「いらないから、そんな手触り」
健二は、背中のリュックからクリアファイルを取り出して、参加証を手に取った。
「参加証は、あそこの係の人に出せばいいんだよな」
「そうらしい」
「よし、いざ入城でござる」
「なんか違う漢字のニュウジョウって言ってないか?」
笑っている健二の後ろについて、出店者入場シールを受け取り、あらかじめ用意してきたIDカードホルダーに貼り付けて会場に入った。前を歩く健二のリュックには、おそらくポスターが入っているのであろう、丸くて太いプラスチックの筒がささっていたが、まるで忍者が刀を背負っているようだった。さっきの「ござる」は、そのつもりで言っていたのか?
僕たちの配置された第一ホールは、体育館を三つほどつなげたような細長く広大な空間だった。長机が手前から奥に横向きに連なって並べられていて、その机の列が見渡す限りフロア全面を覆っている。それぞれの机の列の一番前には、A、B、Cと立て札が立てられていて、その奥が順番にA-1、A-2……という「ブース」のはずだった。一つの長机を半分ずつ二つのサークルが使うので、机一つで二ブースになる。
この第一ホールだけで、いったいいくつのブースがあるのか、想像もつかなかった。
「えーと、Pの列は……。お、入口から入ってすぐじゃん」
健二は、真っ直ぐPの立て札の方に歩き始めたが、僕は入口から動けなくなっていた。健二の歩いていく先には、Qの札も見えている。至美華が出店しているQの列は、当たり前だが、僕たちのP列のすぐ隣だった。
現実に目の前の空間に、あいつが現れるかもしれないと思った途端、また呼吸が早く荒くなり、次第に指先が冷たくなってくる。まずい。
僕は下を向き、胸に手を当ててゆっくり数えながら、息を吐いて、吸って、と繰り返し、落ち着いてからQの列の方は見ないようにして健二の後を追った。相手がどんな顔をしているのか知らないが、今日一日、顔を合わさないようにしないと。隣の列には絶対に近づかないようにしよう。
「P-15 月夜ノ波音」と書かれた小さなシールが貼ってある机を見つけ、椅子の上にリュックを下ろす。長机を半分に分けた隣の「ハルノート 遥音&於菟」の人は、まだ来ていなかった。
「もう本が届いてるぞ。優秀だな、あの会社」
机の下には、印刷会社の伝票が貼られた段ボール箱が置いてあった。
「早速開けよう」
ガムテープをはがしてフタを開けると、江ノ島が見える海岸で波打ち際を走る制服の男女の写真が、ずらりと並んでいた。一冊手にとってみると、真新しい本の香りがし、指を切りそうなくらい真っ直ぐに裁断された表紙の紙の手触りが新鮮だった。気になっていた背表紙も、すっきりと真ん中に題字がおさまっている。さすがだな、ヱビフル画伯。
パラパラとページをめくると、目次のすぐ後に『今をやりなおすなら 琥珀真天』と書かれた扉ページが現れた。投稿サイトでも電子ブックでも小説は読めるが、自分の書いた文章と名前が、印刷された本になって読めるというのは、まったく別の経験だった。
「ポスター貼るから、ちょっと手伝え」
健二が、背負ってきた筒からポスターを取り出し、逆向きに丸めて伸ばしていた。本の表紙をA2サイズまで拡大印刷したものが二枚もあり、机の前に貼っておけば、確かに目を引きそうだった。
「よく、こんな大きな印刷できたな」
「大学生協のポスター印刷に頼んだ。学祭のサークルが使ってるのを見たからさ」
上の端をセロテープで机に貼り付けて垂らしたが、ポスターの下の方が丸まって、少し上がってしまう。
「あれ。かっこ悪いな」
「なんか重しがいるか」
「ま、そのうち自然に伸びるだろ」
健二は、屈託なく笑うと、段ボールから本を取り出して机の上に積み上げ始めた。五十部印刷したうちの十冊ほどを積むと、その前に本立てを置いて、一冊だけ表紙が正面を向くように縦置きにする。その横には、本と一緒に段ボールに入っていたポストカードの束を、包装紙を外してそのまま積み上げた。
「これで全部か?」
「あと、看板」
さっき、参加証を入れていたクリアフォルダから紙を取り出すと、縦書きの大きな字で「P-15 月夜ノ波音」と印刷されていた。そのまま三角形に折って端をセロテープで止め、机の角の目立つところに立てると、健二は通路側に少し離れて立ち、全体を見渡した。
「これで設営完了かな」
「いい感じじゃないか」
僕も健二の横に並び、自分達のブースを眺めた。
「SNSにあげようぜ」
「ああ」
健二はスマホでブースの写真を撮り、設営完了、とメッセージを付けて投稿した。たちまちメンバーから、次々といいねが届く。
まだ開場までは、ずいぶん時間があった。
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