2ー3 ふたたびの悪夢(2)

 初めて「至美華」という名前を見たのは、三村優、つまり美優の作品のコメント欄だった。家族との関係がうまくいかず、自傷行為を仄めかす描写が書かれたページに対して、「主人公の性格や行動に一貫性がない。自分の不満や不足を訴えるばかりで、感情移入できない」と見当はずれの批判が書かれているのを見て、ムッとしたのがきっかけだ。まだオフ会を開く前だったから、三村優という作者がどんな人かは知らなかったが、作品に込められた愛憎相半あいぞうあいなかばする家族への思いや、苦しい内面の表現は高校生離れしたレベルだと思っていたから、こんなコメントを放っておくことはできないと思った。


 僕は、目立つように長文のレビューを書き、わざわざその中で至美華の批判を引用して、真っ向から反論した。レビューの最後には、「主人公のやっていることを理解できないとしたら、それは人間に対する感受性が足りないということだろう。僕はこの主人公の行動を全て肯定するし、自分を信じて、これからも前に進んでいってほしい。そんな物語の続きを読みたい」と書いた。それは、主人公へのエールであると同時に、的外れな批判コメントを受けていた作者へのエールのつもりだった。


 あとで美優が家出騒ぎを起こした時に、このレビューが美優の心の支えになっていたと聞いて、その点については目的を達していたのだと安心したが、至美華にとっては相当、面白くなかったらしい。

 それ以来、至美華は僕の作品に粘着し、批判コメントを連投して来るようになった。


 ヨミカキの機能を使えば、ストーカーのような不快なユーザーはブロックすることもできた。しかし僕は、至美華の批判に対して、真っ向から反論することにした。

 至美華の批判には、一定のパターンがあるように見えた。教科書に出てくる明治や昭和の文学を思わせる古臭い価値観と、安っぽい正義を振りかざした正論。何十年も昔から文学をやってきました、というような大人に違いなかった。

 僕は、勉強してきた理論や自分の文章力の高さを自負していたのと、その時書いていたコンテスト用の作品が、現代ドラマジャンルの週間ランキングでトップ二〇に入っていたことから、絶対の自信があった。年寄りの出る幕はない。作品の価値は、今の読者の人気と、専門家からの評価の両輪で決まるものだと断言して、至美華のコメントを全て論破した。最終的に高校生チャレンジコンテストで結果を出せば、ぐうの音も出ないほど叩きのめすことができるはずだった。


 美優の家出が父親に連れ戻される結果となり、自分の無力さを思い知らされた翌週の月曜日、高校生チャレンジコンテストの結果が発表された。

 rota+こと健二と、龍兎翔、水恋詩の三人が奨励賞。じゅんじゅんがスポンサー賞。そして、三村優こと美優が優秀賞を受賞した。僕が集めたサークル十一人の中から、五人も受賞者が出たが、僕はかすりもしなかった。

 その日の夕方、至美華が僕の応募作に書いたレビューは強烈だった。罵詈雑言を極め、相互フォローでポイントをかさ上げしているだけの駄作には、何の文学的価値も無いとこき下された。何も反論できない。僕の作品には、何の価値もないと思い知らされた。作品だけじゃない。リアルの僕は、僕を頼りにして逃げてきた女の子一人、助けることができなかったじゃないか。

 その夜、ふたたびヨミカキにログインして、至美華が新しいコメントを書いたという通知を見たとたん、生まれて初めて過呼吸を起こし、盛大に吐いた。もう、これ以上何も書くことはできなかった。

 僕は、ヨミカキの作品を全て削除して退会した。


 それ以来、僕は小説と小説に関わる全てのことから逃げた。四年後に、健二からの電話で叩き起こされるまでは。


 せっかく、ここまで立ち直ってきたというのに、またこいつの名前を見ることになるなんて思いもしなかった。もし文学メルカート当日、僕らの同人誌をこいつが買って読んだら?

 想像した途端、また吐き気が襲ってきた。

 美優に渡した原稿を取り戻さないと。こいつが読んでも、絶対に批判できないように、徹底的に推敲して完璧なものにしないと。

 僕は、リモート会議アプリで、美優に呼びかけた。

「美優。僕の原稿、見直したいんだけど」

「見直すって、いきなりどうしたの?」

 倒れそうだった僕が、急にそんなことを言い始めたので、驚いたようだった。

「誤字くらいだったら、こっちで校正するよ。印刷して赤ペン入れてあげるから、それ見て良ければ、私が直接ワープロで直すし」

「いや、そういうレベルじゃなくて、全面的に文章を推敲しなおしたい」


「おい宏樹! 来週の水曜日が締切だって言ったよな?」

「あのね、宏樹の作品は冒頭なんだから、もしページ数が変わったりしたら、目次も全部振り直しなんだからね」

 二人から同時に反論されるが、ここで引くわけにはいかない。

「ごめん。編集が大変だっていうのはわかってるんだけど、どうしても手を入れたくて」

 美優は口をへの字にして腕を組み、しばらく黙っていたが、ふうっとため息をついた。

「わかった。どうしてもと言うなら火曜日の夜十時まで待ってあげる。夜十時までに来たら、取り込んで誤字チェックして翌日の昼までに印刷会社にアップするから。その代わり、一分でも過ぎたら、今のデータのまま印刷会社にアップするからね」

「わかった。ありがとう」

 あと一週間ある。大丈夫、何とかなるはず。





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