2ー3 ふたたびの悪夢(1)
「当日のブース番号の連絡が来たぞ。P-15だって。会場レイアウト図と出店者カタログもネットで公開されたから、リンク送っとくな」
「ありがとう」
十月も今週で終わり。三人でやる毎週木曜日のリモート編集会議も何回目になるだろう。
文学メルカート事務局とのやり取りは健二が担当しているので、今日もその報告から入り、次は、印刷会社を担当している美優の報告。
「まだ完成原稿が出てないのは二人だけ。佐川純さんと
「ギリギリまで、こだわって仕上げたいってことか。まあ、美優の方で対応できるならいいけど」
「あと、表紙・背表紙の画像データと、配布するポストカードのデータは、ヱビフルさんが仕上げて送ってきてくれたから、もう印刷会社の方にアップしたよ。背表紙の厚さは、佐川さんとArumatさんが一万字で仕上げてくるのを想定して計算してたから大丈夫」
本の背表紙の厚さは、ページ数で決まるから、本来は全員の原稿がそろってページ割りが決まらないと確定しない。最後の二人が未完成だけど、推敲中の原稿があるなら問題ないだろう。
「それより、宏樹の『あとがき』がまだなんだけど?」
「ごめん。そっちだよな……」
あとがきは、僕が書くことになっているが、一ページだけだから大したことはない。全て順調だった。
「カタログって、こんな風になってるんだ」
報告が終わった美優は、画面の右に視線を向けている。スマホの隣に置いてあるパソコンで、健二が送ってきた出店者カタログを開いているようだった。僕も、パソコンの別ウィンドウでカタログサイトを立ち上げて「月夜ノ波音」のページを開いた。
「ヱビフル氏デザインの表紙も、こうやってネットに載せると、それっぽく見えるもんだね」
鎌倉の海岸で撮影した制服写真を使った表紙は、かなり質の高い仕上がりになっていた。男子学生役の龍兎翔よりも、女子学生役のじゅんじゅんさんの方が圧倒的に目立つ配置になっているのは、付き合っている彼女だからではなく、その方がデザイン性がいいからだと主張していたが、結果としてセンスのいい仕上がりになっているから、黙認している。
サークル紹介の短文は、僕が書いたものだ。四年前に集まった高校生の仲間が、再び「青春やり直し!」というテーマで再結集したことを淡々と書いているだけで、美優には、琥珀先生らしい、と言われていた。
「隣のブースは、どんなサークルかな」
美優の声に合わせて、僕もボタンを押す。カタログはブースの順番につながっていて、「隣へ」ボタンを押せば、隣に配置されたサークルの紹介ページに行けるようになっていた。
「P-16は、『ハルノート
サークル紹介ページには、本の表紙ではなく、ブックカバーの写真が載っている。サークル名には、ふりがながついていないので、漢字の部分をどう読むのかはわからなかった。美優が読み上げたように、「はるおんアンドおと」を縮めて「ハルノート」になっているのか? 遥音という漢字には、なんとなく引っかかるものがあったが、思い出せなかった。
「私たちのあたりは、短編集を出しているサークルが多いね」
順番に「隣へ」を押して、サークル紹介を見ていると、確かにそうなっていた。
「ああ、文学メルカートは、文学のジャンルごとにブース配置するんだよ。歴史とかエンタメとか詩歌とか。俺たちは、短編集のジャンルにエントリーしたから」
「詩歌はわかるけど、歴史と短編集って、ジャンルとして分けていいものなの? 歴史短編小説集を書いたら、どっちに出すのが正解?」
「出店する側が決めることだから、好きな方にすればいいんだろ。カネがあるなら両方にブース出すとか」
「いいかげん」
健二と美優のやり取りを聞きながら、僕は順番に「隣へ」ボタンを押していたが、Q列の途中まで来たところで手が止まった。
至美華。
この字は、忘れもしない。読み方は知らないが、幾度となくヨミカキのコメント蘭で見た名前。心臓をグッと掴まれたような痛みが走り、呼吸が早くなってきた。部屋の中は涼しいはずなのに、額から汗がダラダラと流れ、どんどん息苦しさが増してくる。息を吸わなきゃと思うけれど、肺は小刻みに痙攣するようにしか動かず、吸っても吸っても空気が足りなかった。
「おい。宏樹。なんかお前、表情が変だぞ。どうした?」
「宏樹? 宏樹! 顔色がおかしいよ。どうしたの? 苦しいの?」
水の中で聞いているような、くぐもった声が聞こえてきた。苦しい。苦しい。息ができない。指先が冷たい。あの時と同じだ。胸に手を当てて、前屈みになる。
「宏樹! どうしたの? 大丈夫?!」
美優の声が遠くから聞こえてくる。答えなきゃと思うが、どんどん呼吸が早くなって抑えられない。
「健二! 宏樹の住所、知ってる? 救急車呼ばないと」
「いや、実家しか知らない。実家の電話番号なら聞いたことある」
「すぐに電話して、ご両親に救急車呼んでもらわないと……」
僕は、パソコンのカメラに向かって手を上げた。
「だいじょうぶ……。前にもなったことあって……。対処方法も知ってるから……」
下を向いたまま、一、二と数えながら息を吸い、その倍の時間をかけてゆっくりと吐き出した。それを繰り返しているうちに、次第に呼吸は落ち着き、息苦しさは消えていった。
「もう大丈夫。ちょっと過呼吸起こしただけだから」
画面に向かって顔をあげ、無理に笑顔を作ると、美優は泣き出しそうな顔をしていた。
「ねえ! 宏樹! 本当に大丈夫?」
「ああ。発作を起こしたのは久しぶりで、びっくりしたけど、ゆっくり息を吐いていれば治るから」
「おい、お前がそんな病気持ってるなんて、聞いてなかったぞ。病院行かなくていいのか?」
健二も心配そうな顔でいる。
「大丈夫。高校生の頃、初めて発作起こした時に病院行ったけど、検査しても異常なしだったから。ストレスが原因なんだってさ」
初めて発作を起こしたのは四年前。自分の中では原因もはっきりしていた。至美華。こいつのせいだ。こいつのせいで、僕は小説を書くのをやめた。
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