2ー1 青春のロケとデート(3)


 三鷹駅に着き、改札のすぐ横にあるカフェでアイスカフェラテを二つ頼んで、席に座ると、美優は少し首を傾けながら言った。

「琥珀君、やっぱりすごいね。私が何聞いても全部答えてくれるし」

「いや、それほどでも」

 一夜漬けの詰め込みは得意だから、なんてことは言えない。

「私、太宰治ってあんまり好きじゃないんだ。あの人の生き方っていうか、死に方? あれは良くないだろって思うから」

「えっ? 太宰が好きなんじゃないの?」

「あ、ごめんね。琥珀君が好きなのを否定するわけじゃないから」

 思わず少し大きな声を出した僕に対して、恐縮したように肩をすくめて、顔の前で手を振っている。でも、僕が引っかかったのはそこじゃない。

「えっと、三村優さんは、太宰治のファンだから、僕に連れてきてくれって頼んだのかと思ってたんだけど、違うんだ」

「ごめん! がっかりした?」

「いや、がっかりはしないけど。どうして僕に頼んだのかなって不思議なだけで……」

 美優さんはカップを口元に寄せて、アイスラテをストローでちゅっと吸い上げた。

「琥珀君が、何を好きなのか興味あったから」

 顔が熱くなり、心臓がドキドキして止まらなくなっていた。一方で、冷静なもう一人の僕が、落ち着け、勘違いするなと自分に言い聞かせている。

「どうして? 三村優さんが、なんで僕に興味が?」

「ねえ。直接会っている時は、ペンネームで呼ぶのやめない? 美優って呼んで」

「え、あ、ごめん」

「琥珀君は、本名は?」

矢形 宏樹やかた ひろき

「じゃ、宏樹って呼ぶね」

 もう冷静な自分がいくら言い聞かせても、激しい鼓動は止められなかった。中学からずっと男子校で、女子とデートするのも初めて。下の名前で呼び捨てにされるのも、小学校以来だった。

「あの長文レビューを書いてくれてから、宏樹がどんなことを考えていて、何を書いているのか、ずっと気にしてた。でも、そこと太宰治がどうも結びつかなかったんだよね」

「そうなんだ」

 やっぱり、上げ底なのがバレていたか。

「でも、今日一緒に来ていろいろ教えてもらったら、本当に詳しくて、ああ、やっぱりすごい人なんだなあって。引き出しの多さがすごいよね。私も、宏樹の好きな太宰治を読んでみる。食わず嫌いは良くないね」

 言われているうちに、どんどん恥ずかしくなり、心臓は落ち着いてきた。全然好きなんかじゃない。ただ、かっこ付けたかっただけだ。

「いや、あの、僕なんか全然違うし」

「あのオフ会で集まった人たち、みんなすごかったね。しかも、ハイファンから、恋愛から、私みたいな暗い純文まで、あれだけ集められるのは、やっぱり宏樹のキャパが大きいからだよね」

 僕にそんなキャパがあるわけじゃない。ただ、ジャンルにこだわりなく、ノウハウに従って前向きなコメントをしているだけだ。でも、小さな口元でアイスラテを吸いながら、大きな強い目で見つめられていると、またドキドキし初めて、そんなことは言えなかった。

「あの中から、絶対高校生チャレンジコンテストの入賞者が出ると思う。宏樹の書いた文芸ジャンルのも、きっと賞獲るよ」

「ありがとう。僕だけじゃなくて、美優……さんとか、健二もすごいから」

「健二君かあ。健二君も面白いけど、宏樹とはタイプが違うからね」

 ストローから口を離してカップをテーブルに置くと、美優は腕を組んで上を向いた。

「例えるなら、宏樹は、知的でクールなシャーロック・ホームズ。健二は、陽気でどんどんやって来ちゃうアルセーヌ・ルパンかな」

「ホームズとルパンかあ。小学生の頃、読んだな。でも、僕はそんな推理とかしそうに見える?」

「うん。理論派でしょ?」

「そうか。で、美優さんは、ホームズとルパン、どっちが好き?」

 小学生の頃、学校の図書室に両方のシリーズが置いてあって読んでいたが、クラスの本好きの間では、ホームズ派とルパン派に分かれていたのを思い出して質問してみた。美優は、腕を組んだまま、大きな目をさらに見開いて僕を見つめた。

「どっちって言われても……」

 なぜか美優はそれから無口になり、うんとか、そうだねしか言わなくなってしまった。そして、ラテが空っぽになったのをきっかけに店を出て、隣の改札からホームに降り、ちょうどうやって来た電車に乗った。

 吉祥寺から井の頭線に乗り換えて、渋谷に着いて別れるまで、無口になっていたのは、やはり僕の話が大して面白くなかったからだろう。

 これが、美優と二人きりで出かけた、最初で最後のデートだった。

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