1−5 家出少女(1)
美優は、四年前とは全く印象が変わっていた。大きくて意志の強そうな目は変わらないが、ストレートの黒髪だったのが、ゆるくパーマをかけて明るい髪色になっているし、厳しかった表情が、幾分やわらかくなったような気がする。
「あっ! 宏樹? 宏樹だよね! 宏樹来てくれたんだ」
画面の中の映像だから、本当に僕のことを見ているのはどうかはわからない。でもきっと彼女は僕のことを覚えていてくれたのだろう。ペンネームの「琥珀」ではなく本名の宏樹で呼ぶのは、このグループの中では健二と美優だけだった。
「久しぶりだね。何してたの? ぜんぜん連絡もくれないで」
「ああ、ごめん」
四年前、僕がいきなり連絡を絶ってから、彼女はどうしていたんだろう。高校生から大学生になって、状況は良くなったのだろうか?
「宏樹は、いまも書いているの?」
「いや。もう書いてない」
「そうなんだ」
美優は、少し寂しそうな顔になった。
「美優は、どうしているんだ?」
あの親はどうしてる、と聞くことはできなかった。若過ぎた僕らには、何もできなかったあの夜のことは、つい昨日のことのように覚えている。四年前の八月、健二からのLine通話がかかってきたのは、夜の七時過ぎだった。
***
「宏樹。これから出てこられるか?」
八月も二週目に入り、予備校の夏期講習の後半が始まっていたので、その帰りで乗り換えの渋谷駅に着いたところだった。智信学園は、大学合格者ランキングで毎年上位に出てくる受験校だから、まだ高校二年だというのに、同級生の大半は夏休み中もずっと予備校に通っていた。僕も申し訳程度に行っていたが、講義中はずっと、小説のプロットを考えてノートにメモ書きしていたから、授業料を出してくれた親には悪いことをしたと思う。
「出てこられるかって、いま外にいて帰るところだけど」
「そうか、それならちょうどいい。大至急、三軒茶屋のデニーズに来てくれ」
三軒茶屋なら、帰りの電車で通る途中駅だから、寄っていっても大したことはない。健二とは気が合ったから、オフ会の後もよく連絡を取っていたし、三鷹にある太宰治の展示館まで二人で出かけたこともある。だから、お茶でもしようぜという電話があっても変ではないが、明るいとはいえ夜の七時に大至急来いというのは、いくらなんでもおかしい。
「何言ってんだよ。今からか?」
「ああ。緊急事態だ。俺一人では対処できん」
「何があったんだよ。説明してくれなきゃ、行かないぞ」
「あのな、日向美優さんが家出してきた。いま隣にいる」
「はあっ?」
オフ会の時の、大きくて意思的な目を思い出した。家出したと聞くと、確かにやりかねないなとは思う。しかし、家出した彼女が、まず健二に連絡してきたという事実に胸が苦しくなってきた。あの後も、話をする機会はあったが、僕よりも健二の奴と仲良くなっていたということだ。
「頼む。俺一人では無理だし、美優さんも、お前に来てほしいと言ってるから」
「ぼ、僕に?」
意外な言葉に驚いた。連絡は来なかったけれど、気にはしていてくれたということか?
「ああ、早く来てくれ」
「わかった。駅までは十分くらいで着くと思うけど、デニーズって駅から近いのか?」
「北口に出て、キャロットタワーの方に歩いてすぐだ」
「すぐ行く」
地下にある改札に向かって階段を駆け降りた。
デニーズに着くと、一番奥のボックス席に健二と美優が向かい合って座っていた。彼女の横には、大きなバッグと小ぶりのリュックが並べて置いてある。健二の隣に座ると、僕の顔を見てニコッと微笑んだが、オフ会の時とは違い表情に力がなかった。
「わざわざ来てもらって、ごめん」
「いいけど、家出って、どうしたの?」
美優は顔を下げると、小さな声で答えた。
「うちの親が、あんまりひどいから、もう我慢できなくなって出てきた」
「ひどいって、どんな風に?」
少し間をおいてから、相変わらずうつむいたまま続ける。
「うちの父親、毎日会社から帰って来るのはすごく遅いし、週末も出かけていることが多いから、あんまり家にいないんだけど、たまに顔を合わせるとすぐ怒鳴り散らすんだよね。私だけじゃなくてお母さんにもそうだし、お母さんが殴られていることもしょっちゅう」
「えっ」
想像していた以上にひどいかもしれない。
「言ってることは正論なんだけど、あんな言い方しなくてもいいと思うし、自分は何もしていないのに、偉そうにああしろこうしろって言われるのが、すごく腹が立って。学校の成績が良くない科目があると、一時間くらいずっと、お前なんかバカだ、クズだって言われ続けて、お母さんにも、お前が甘やかすからこんなロクでもない娘になるんだって言ってて」
下を向いたまま、ぽろぽろと涙をこぼし始めた。
「今日は、父親があんまり理不尽なことを言ってお母さんを罵倒してるから、とうとう我慢しきれなくなって、ふざけるなって怒鳴ってやったんだ。そうしたら、顔を叩かれて、出て行けって怒鳴られた」
「……」
「それで、もうこんな奴と一緒にいたら心が死んでしまうと思ったから、とりあえず着るものだけ持って飛び出してきた」
「飛び出して来たって、今晩、泊まる所とか当てはあるの?」
顔を上げたが、涙をこぼしたまま黙っている美優の代わりに、健二が答えた。
「当てなんか無いから、俺やお前を頼って来たんじゃないか」
頼りにされるのは嬉しいけど、僕にも良い知恵は浮かばない。まさか、家に連れて帰るわけにもいかないし。
「迷惑をかけて、ごめん」
オフ会の時の、強い意志を感じさせる態度とは全く違い、弱りきって頭を下げている美優を見ていたら、とてもそんなことは言えなかった。
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