「あなたは自分自身を選んだ。クラウスとの幸福よりも、意地汚い生を選んだ」

 アリシアの身体が大きく震えた。

「いけなかったの? クラウスを選ばなければならなかったの!?」

 落とし穴にはまったのか。咄嗟にそう思った。

 だが意外にも、ロチェスター公爵はあたたかな眼差しでアリシアを見つめていた。

「アリシア。どちらを選んでもきっとあなたは不安を覚えるでしょう。だが、どちらの選択にも間違いなどない。ただ、どちらがあなたの正直な気持ちに近いか、だ。あなたはそれを、見誤らなかった」

 アリシアは茫然と公爵を見つめ返していた。

「人間は、愚かでいいんです。愚かな存在だから、上へと這い上がろうともがき苦しむ。この国も、捨てたものじゃない」

 ロチェスター公爵の視線が、アリシアの背後に流れた。それを追ったアリシアは、目を瞠った。

 目に飛び込んできたのは、ここにいるはずのない男の姿だった。

「戻っておいで、アリシア」

 アリシアは息を呑んだ。

「戻っておいで」

 裏庭の外で、ヴォルは花開くように腕を広げていた。

 なにもかもすべて受け入れると、柔らかな眼差しが語っている。

「ヴォル……」

「戦っていこう、一緒に」

「わたしを、怒ってるでしょ?」

 危険を冒してまで町に降りたこと。誘拐されてしまったこと。言葉では言い尽くせないほどの心配をかけたはずだ。

「ああ、ものすごく怒ってる。ぶちのめしたいくらい、怒ってる」

 けれど、優しい顔はそのままだ。

「それでも、いいの? 許してくれるの?」

「許すもなにも」

 ヴォルは屈託なく言う。

「そのままのあなたでいいんだ。そんなあなただから必要なんだ。クラウス殿を愛しているアリシアが。民の生活を知りたいと思ったアリシアが。自分の生き方を貫き、悩んでいるアリシアが必要なんだ」

「この、わたしを?」

「あなたならおれの弱さを判ってくれる。一緒にいたいと思ったのは、あなたがアリシアだからだ。だからお願いだ。おれのもとに戻ってきて欲しい」

「……オーヴルは?」

 オーヴルは、目覚めて最初の壁となるはず。狂ったオーヴルが、アリシアを手放すはずがない。

「なにも心配いらない。あいつのことは、もう大丈夫だ」

「あれはもう、いままでのような暮らしはできまい。忘れ去られた僧院かどこかで幽閉されて終わるだろう」

 アリシアは、突き放すように言ったロチェスター公爵を振り仰ぐ。

「正気を失ってなかったら、王子といえども極刑だ。たとえあなたやヴォルが許しても、わたしは許さない」

 力強いその眼差しに、アリシアはめまいのようなものを感じた。ひとを惹きつける眼差しを持ったこの青年は、そういえば240年前、アリシアに求婚をした貴族だった。

「公爵……」

「さあ、行きなさいアリシア。あなたの選んだ道を。あなたのこれからの生きざまを見せてくださいよ」

「こっちに来るんだ、アリシア」

 その声にアリシアは我に返った。

 ヴォルはアリシアに手を伸ばしている。どうやら、隣に神、ロチェスター公爵がいることが判らないらしい。

 ヴォルは必死にアリシアに叫んでいる。戻っておいでと。帰っておいでと。

「アリシア」

 ヴォルの姿は、アリシアの不安をすべて霧散させていた。

 彼の存在が、重たくのしかかっていた未来への恐怖を和らげ、立ち向かってゆく勇気を起こさせてくれる。

 そのことに気付いたとき、アリシアの目から涙がこぼれた。

 すべてが、なにもかもすべてがヴォルに向かってほとばしってゆく。

 ヴォルがいるから戦いを選ぶことができた。ヴォルがいるから負けずに済んだ。

 自分の選択を後悔したくなかった、絶対に。

 突き動かされるように、アリシアは足を踏み出した。

 ひとりじゃない。

 それは、自信をもって言える確かな思いだった。

 目を覚ましたときも、生きてゆくことも、これからはもう独りではない。

 そのままの自分を求められている。

 ヴォルの懸命さは、アリシアの胸を熱くした。

 彼を独りにしたくない、だけではなく、彼を置いて独りにはなりたくなかった。

 ともに生きていきたかった。

 ともに、エルフルトを愛していきたい。

 戦っていきたい。

 ヴォルに一歩近付くごと、視界は眩しく輝きはじめてゆく。

 ヴォルとなら戦ってゆける。

 その思いは、アリシアの足を速めた。

 視界が真っ白な光に満たされ、柔らかなあたたかさに包まれた。

 意識も想いも清浄な光にとけ、すべてが混じりあう。

 手を伸ばせばそこに―――、ヴォルが、いる。



 アリシアは、薄闇と同志に見守られる中、静かに緩やかに、その白いまぶたを開いていった―――。



             了



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itan トグサマリ(深月 宵) @mizuki_yoi

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