五
ガラルヘルムに着いたのは、王都を出て3日目の朝だった。本来なら1週間ほどの行程を、2日と少しで走破したことになる。さすがの強行軍に馬は潰れ、従者のほとんどが脱落した。それでもヴォルの叱責を買ったラデューシュをはじめとする側近たちは、がむしゃらになって主人のもとを離れることはなかった。
前触れもない突然の王太子の訪問に、法王庁でもあるリュノージュ大聖堂の面々は驚きを隠せないでいた。
「何事ですか殿下!」
枢機卿のひとり、ニトゥーラムがヴォルの行く手に立ち塞がる。きらびやかな金糸銀糸の刺繍にあふれる法服を、ヴォルは突き飛ばす。
「ノストーア
よろめくニトゥーラムに、法王を尋ねる。己の衣服も汚れ、眼が血走っていることなど、ヴォルは構っていられない。
「お待ちください!」
追いすがるニトゥーラムを引きずりながら、ヴォルは正面の大扉を開け放つ。
謁見の間には先客がいた。北方の服を着た壮年の男が、雛壇の下、ノストーア四世に
窓からの陽光に輝く床を足音高く鳴らし、法王の前に立つ。
「どうしました、殿下。顔色が悪いようですが?」
ノストーア四世は驚く様子も見せず、のんびりとたゆたうように言う。答えずヴォルは、懐から1枚の書状を取り出し、掲げて見せる。
「最高法院検事総長ディラーフ・ラス、国務大臣ルーグ・レーグル、軍務大臣ゼマルト・ノートラーグおよび第十七代国王ツェイラウム・グリルフ・エルフルトの名により、ガラルヘルム内に隠匿せられたローデンバッフの秘宝の探索及び、王都への返還が保証された。王命により、いかなる抵抗も許されない。異あればすなわち反逆とみなし、ガラルヘルムに与えられたすべての特権を剥奪とする」
朗々と読み上げ、書状をノストーア四世に示す。善人面の老法王は、眼差しを僅かに歪め、言葉を失う。
その書状の意味を悟ったからだ。
ローデンバッフの秘宝とは、百年ほど前ローデンバッフ山中腹で見つかった、エルフルト以前の古王国の遺産である。王都に運ばれる途中紛失したとなっているが、ガラルヘルムが隠し持っていると、ヴォルは独自の調査で既に摑んでいた。
濃い疲労をにじませながらも強く射抜く眼差しは、ローデンバッフの秘宝が目的ではないと語っている。
「いきなりのお越しでずいぶんな無理難題を持ち込んできますな」
平静を装うが、果たして若い王太子を騙せているのか怪しいものだった。
「ローデンバッフの秘宝がこのガラルヘルムにあるなぞ、初耳だが」
「おお、年は取りたくないものだ」
「殿下!」
ニトゥーラムが諫めるが、
「お前は黙っていろ」
ヴォルの迫力におされ、ぐっと口を
「猊下が存じ上げなくともわたしは知っている。詳しい場所が判らないだけです。とりあえず、このメセウス大聖堂から手をつけさせていただく。町のほうにも追々捜索隊がやってくるでしょう。それでは、御前失礼。―――ラデューシュ、こっちだ」
「は」
跪き、頭を垂らしていた青年がヴォルの後を追う。
「勝手な真似をされては困りますな」
「では秘宝を渡してもらいましょうか」
「そんなものはない」
「どこです」
「知らぬ」
顔に似合わず、老法王は頑固に言い切る。
「では、あらゆる手を使ってでも探すまで」
「こちらにも事情というものがある。せめて、手順というものを踏まえてからにしてもらいたいの」
そうだそうだとニトゥーラムが頷く。
「この書状の前にそんなもの無意味だ。わたしがここにいる。それで充分」
「殿下の行動は、わしの胸ひとつでどうとでもなると判ってのことか?」
「わたしが動くことで、なにか不都合でも?」
不都合、を特に強くはっきり言うヴォル。ノストーア四世の眉間がちらりと震える。
「殿下。これはあまりにも非常識なことでは? 場合によっては、殿下の身の処し方を考えねばならなくなる」
脅しともとれる言葉をノストーア四世は吐く。しかし、ヴォルは泰然とその顔に微笑みすら浮かべる。
「わたしを破門するとでも?」
法王は、背筋が凍るほどの凄みを感じた。心臓を摑みあげられる思いを堪え、彼はヴォルの眼を見据える。
「神の家を荒らすなど、信徒のすることではない。神の怒りを思え」
「確かにあなたに与えられた権限は、わたしを破門することができるだろう。だが、いずれあなたも同じ道を辿ることになる。アリシアによって、享楽に満ちたガラルヘルムに裁きの
「!」
アリシアという名前に、ノストーア四世は明らかな動揺を見せた。
「猊下は多くの者を破門しすぎた。人々は肥え太ったあなたの言葉よりも、主とまみえたアリシアの声を聴くでしょう。大陸中誰よりも主に近いのは、アリシアだ。それを封じようというほうが無理というもの。それこそ主を敵にまわすことと同じだ」
ノストーア四世は取り繕うことすら忘れ、ぎりぎりと歯ぎしりした。
ヴォルは内心にやりとする。アリシアの存在が、地位を脅かしている。
やはりこの男が黒幕か。
「いや、捜索対象は秘宝だったか。猊下。なにもやましいところがなければ、秘宝の捜索に協力できるはず。なにしろ秘宝を知らないと言うのだから、隠した隠してないという罪はあなたにはない。違いますか」
なにも言い返せないノストーア四世を鼻で嗤い、ヴォルは身を翻し、大聖堂の奥へと消えた。
ノストーア四世はぐったりと椅子に背を預けた。額に手をやると、脂汗が玉のように吹き出していた。
「あの、猊下……」
北方の男が、おずおずと声をかける。ノストーア四世は苦りきった顔を男に向けるともなく、肩を落とす。
「だめだ。逃げることは許さん」
「―――承知、いたしました」
気まずい緊張感ばかりが、その場を取り巻いていた。
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