七
「夜にも花が咲いているとは思わなかった」
ヴォルはそう言って、腰あたりに黄色を添える花弁に触れた。小さな花が驚いたように揺れるさまを、アリシアは数歩後ろで眺めた。クラウスとふたりきりになれる場所に突然侵入してきた他人に、恨めしい思いを抱きながら。
「まさかここが、こんなふうに変わるとはね」
ヴォルはいったいどこに行く気なのだろう。アリシアの前に現れたヴォルは、ついておいでと言うと、さっさとひとり庭の反対側へと歩き出した。
花にあふれる庭を突っきったところに、大きな扉があった。ぴたりと固く閉ざされた扉の前で、ヴォルの足が止まる。
「ここは」
神妙な声でヴォルは言う。
「この扉の向こうで、あなたは眠っていた」
アリシアは目を瞠る。
「クラウス殿も、この向こうで眠っていたんだ。240年、ね」
鼓動が速くなる。
「入ってみる?」
振り向くヴォルに頷くと、彼は薄く目で微笑んだ。
「と言いたいところだが、残念ながらこの扉は開かない」
「え……?」
「この扉が開いたのは、あなたが永い眠りから目覚めたあの夜の一度きりだった」
ヴォルは扉に背をもたれさせ、アリシアに向き直った。
「この意味、判る?」
突然の問いに、アリシアは答えられない。問いの意味すら、判らなかった。ヴォルの意図が、判らない。
「今この国は、あまりにも愚かしい」
話の繋がりが見えず、もどかしさが募る。
「なにが言いたいの」
「知っておられたのだろうか、神は。240年後のエルフルトが堕落していると」
「!」
「この扉は、この国が一番堕落しているこのときに開いた。はじめから、そうなっていた。―――違うか?」
「どういう、こと」
ヴォルの言葉は不安となって、アリシアの心に波紋を投げかける。
「あなたは選ばれたんだ。
「だからなにが言いたいのよ」
ヴォルの眼差しは、アリシアの瞳の底をまっすぐに射抜いた。
「この国は、異端を必要としていたんだ」
ふたりの間を風が通り抜け、たちこめる花の香りを巻き上げていった。
己の孤独の核心を暴いたヴォルに、アリシアは言葉を失った。ヴォルは通り過ぎた風を視線で追う。
「あなたは生きていてもいい。あなたの考え方が、生き方が、この国を生き返らせる新たな息吹きとなるんだ」
「……」
「これはあなたにしかできないことさ。あなただから、選ばれた。あなたにできることだから、主はこの運命を委ねた」
「どうして、……そんなこと」
生きていてもいいと言うヴォルの言葉は、アリシアの張り詰めていた心にあたたかな潤いを与えた。
求めていたクラウスの心の声ではなかったが、心の声とは違う、それよりも確かな勇気を湧き起こさせてくれる。
「どうして、どうしてそんなことあなたが言うのよ……!」
クラウスでないことが悔しかった。
けれど悔しさよりも、緩んだ緊張に身体中から力が抜け、安堵のような柔らかな感情に包まれた。
それが、許せなかった。
「かなり参っているようだったから」
ヴォルはそのまま腰をおろし、震えながら立ち尽くすアリシアを見上げた。
「2日前の夜、偶然、あなたがここから出るのを見かけて」
ヴォルは隣に腰を下ろしたアリシアに語る。持ち寄ったふたつの角燈がふたりのまわりから闇を退け、さまざまな色彩を淡く浮かび上がらせていた。
「気になって、この花園を見つけた」
アリシアは相槌もせず、ぼんやり白い花を見つめる。ヴォルはそんなアリシアに、ひとりごちるように語り続ける。
―――次の夜も気になり、今度は少し早い時間に裏庭に足を踏み入れた。すると、アリシアの声が聞こえた。誰かと話をしているようだ。恋人との逢引かと思い引き返そうとすると、『クラウス』という名前が聞こえた。なにか変だと耳をそばだてると、相手の男の声がしない。枝の影からそっと覗くと、ひとり花に
認められない己の生き方。どうしても変わることのできない自分自身に生まれた、生きることへの疑念。広い花園でたった独りきり、すがるものを求め弱音を吐くアリシアの姿に、ヴォルは彼女の限界を垣間見たのだった。
「あなたは主に護られている。他の誰がなんと言おうと、あなたは主に保障されているんだ。240年眠り、変わり果てたこの国で生きろと主はあなたを遣わしてくださったんだ。おれはそう思ってる。だから、ここを教えた」
ヴォルは背中の扉を振り仰いだ。
「半年前のあのときまで、どうやってもこれは開かなかった。いまももう開かない。主の御意志だよ」
「ロチェスター公爵は、お父さまに怒ったのよ」
「ロチェスター公爵?」
「神は、そう名乗ってわたしたちの前に現れたの。わたしを、妻にしたいと言って……」
そこで聞かされたマルク王の思惑。娘の中に妻を見る父王の弱さ。マルクの言葉に青ざめたクラウスの顔が、閃光のように胸をよぎった。
アリシアのこの運命を神の意図だと言ったのは、クラウスだった。父の言葉に怒った神の意図だと。
「判らなくなってきた……。なんのために眠らされたの? お父さまの犯した罪のせい? それとも、あなたが言うようにこの国のため? どっちが先なの?」
ヴォルは答えに詰まった。
「わたしがここにいるのは、なにか意味があるんだって思うことは思う。だけど、それがわたし自身に関わることなのか、国に関わることなのかが判らない。考えれば考えるほど、判らないことばかりが増えていく」
「―――王族は、自分よりも国を優先すべきだと、おれは考えてる」
ゆっくりとした中にも強い意志を感じさせる語調のヴォルに、アリシアは引かれるように視線を移す。
「おれも、正直不安でたまらない毎日だよ。自分のやってることは、空まわりで終わるんじゃないかって。怖くないと言えば嘘になる。みんなと同じように楽しく騒いでも、それでいいじゃないかって」
「そんなふうには見えない」
「そう見られたくないんだ」
言って、小さく笑う。
「みんなが言うように、おれは偏屈者だ。自分でもそう思う。いまでこそ花にあふれてるけど、薄汚れた森に囲まれたここに足を踏み入れる奴なんて、下男を含めてもおれくらいさ」
「だったら、わたしも偏屈者ね」
「偏屈者同士ってわけか」
ヴォルの笑みは、少し
「まだ10歳にもなってなかった子どもの頃さ。おれは本当にまだ子どもで、城中を駆けずりまわって遊んでた。あるとき見つけたんだ、不思議な石の扉を」
「この、扉?」
「ああ」
ヴォルは懐かしそうに話しはじめた。
「父上に訊いたんだ。森の中にある扉はなにって。あなたのことは一応存在だけは言い伝えられていたらしくて、教えられた。眠り姫が扉の向こうにいて、千年の眠りのあと、主の花嫁になるんだよって。そのとき、この国に幸福が訪れるんだって」
「全然違う」
「おれは、いつから眠り姫が眠っているのか知りたくて、それから毎日図書室に入り浸った。もちろん、10歳の子どもに判る本が置いてあるわけじゃないけど、時間があれば本と睨めっこばかりしてた。おかげでその頃から変わり者扱いさ」
「ん」
「だけど、みんなが知らない知識を身につけることができた。歴史、政治、科学、数学、いろいろと。外国の大学に留学もした。たくさんのことを学んだ。自分の無知も含めて。そうやって、あなたが目覚める本当の日付が判ったんだ」
「11月24日……」
アリシアは眉を
その日付だけは、忘れられない。生きたクラウスを見た最後の日であり、骨となったクラウスと再会した日でもある。
「ああ。誰も本気にしなかった。みんな持っていないんだ、なにかを判断するだけの材料を。遊びに逃げて、責任から逃げてばかり。―――おれひとりあがいたって……あがいたけど、なんの意味がある。煩わしい政務に真剣に取り組む必要なんてない。適当にやっていけばいい。なんとかなるようになる。……って、思うときもある。だけど、それができるならとっくにやってる」
同じだと、アリシアは思った。
「視察に行くと嫌になるほどこの国がいかに貧しいかを思い知らされる。国は末端を見なければ本当の姿が見えない。どんどん酷くなってゆくばかりさエルフルトは」
ヴォルはひと月ほど国境近くの村まで視察に行っていた。そのときのことを思い出しているのだろう、表情が苦い。
「ガーランドの視察でまざまざと見せつけられた。毎日のパンに事欠く生活の彼らを前に、なにが言える? お前のところでとれる小麦の質が悪すぎて、菓子が不味くて食べられないって言えるか? ウィゴウが、ああ、財務長官なんだけど、ウィゴウみたいに、おれたちと彼らは違う種類なんだって、言えると思うか?」
「太祖って言われてるお父さまだけど、もともとは貧乏騎士よ。わたしが小さい頃でも、まだ食べるのには苦労してたわ」
「ここじゃ、神の声を聴き、国を平定した聖人さ」
幾度も耳にしたその言葉に、アリシアの顔が曇る。事実が葬り去られている時代だ。人々の感覚は、根の部分からして異なっている。
「みんなその聖人に驕ってる。これまで大きな内乱が2回あったけど、いますぐ第三の内乱が起こってもおかしくない状態なんだ。おれには民を守る義務がある。おれの仕事は遊ぶことではなく、彼らに日々の生活を保障してやることだ。誰かがやるだろうではなく、気付いたおれがやるべきなんだ」
「ひとりきりで、いままで……?」
「おれが、やらなくてはならないから」
彼の言葉からは、固い決意がうかがわれた。
この国はまだ死んでいない。
アリシアの胸が熱くなる。
「それに、240年の眠りから覚めた姫に落胆されたくなかったんだ。あなたの父君の建てた国はこんなにも立派になったんだって、堂々と誇りたかった」
「そうは、思ってない……?」
「悔しいけど思わないね。240年前のことは判らないけど、いまのエルフルトが立派だとは思えない。どう頑張っても」
吐き捨てるようなヴォルは、ちらりとアリシアを窺う。
「この国をどう思う? 立派になってる?」
アリシアは少し考え、はかない笑みをもらす。
「確かに、豪勢な感じはする。でも、城を一歩出ると、酷い暮らしに苦しんでるひとがいるのは、情けないよね。わたしの時代と、あまり変わってない気がする」
「気付いてたのか」
「いま頃気付くなんて遅すぎるけど」
240年の違いを見たくなくて、享楽に逃げていた数ヵ月。とても大きなものを失った気がしてならない。
「気付かないほうがよかった?」
「まさか!」
アリシアは否定する。
「そんなことない」
「つらいのに?」
ヴォルの言葉は優しい。アリシアの胸に静かに染みこんでゆく。
「わたしが戦国時代に生まれたのは本当のことだもの。この時代のひとたちに理解してもらえないのは、しかたないことだわ」
それはとても悲しいことだけれど。
平和すぎる時代に、荒ぶる戦国の世を理解できるわけがない。
「あの頃は、いつもそばに『死』があって、それがいつ自分に降りかかるのかって、緊張ばかりしていた。すごくたくさんの『死』があったから、わたしはいま、こうして生きていられるの。彼らの死を無駄になんてできない。彼らの一生懸命の死を裏切るような真似、絶対にできないから。だから」
名も知らず死んでいった毒見役たち。領土拡大のために命を落としていった、たくさんの兵士たち。いまの時代では決して知りえない多くの死が、あの時代はすぐそばで渦巻いていた。
路地裏の、痩せ衰えた老婆の眼差しが、脳裏からアリシアを
「生きることに一生懸命の彼らを見て、遊び惚けるなんてできるわけがないのよ。―――だけど。否定されちゃう」
本来のあなたに戻れと言ったオーヴル。己の矛盾に気付いたアリシアは、本当のアリシアではないと言われた。
貴族たちの白い眼差し。いい身分だと思われている自分。
「わたしがわたしでいることは、ここではいけないことなのよ」
思い出すだけで、胸がきつく絞めつけられた。切なさがあふれてたまらない。
「誰も本当のわたしを見てくれない。ここでも、わたしは望まれていない」
「―――ここで、も?」
怪訝に眉を顰めるヴォル。角燈の落とす影が深い。アリシアはこれまで一度も口にしなかった思いを言葉にのせた。
気持ちを正直にさせるのは闇なのか、風に揺らぐ花の香りなのか、傷みきった石の扉なのか、―――判らなかった。
「ここでは、『太祖の娘』。お父さまはわたしにお母さまを重ねていた。お兄さまやお姉さまには、なにもできない甘えん坊。諸侯にはエルフルト侯の愛娘って。いったい、わたしはなんなの?」
みんな、本当のアリシアを見てはくれなかった。
たったひとり、
「クラウスだけは違った。本当に、わたしを見てくれた。わたしを判ってくれた」
「そう」
溜息をつくように、ヴォル。
「お父さまの娘だからじゃない。わたしだから、愛してくれた。全然気付かなかった。彼だけが、わたしの理解者だったんだって」
「素晴らしい方だったんだ」
「わたしは『王族』じゃないし、『太祖の娘』でもない。そのままのアリシア・エルフルトなのよ。なのに誰も判ってくれない。みんな、肩書きに惑わされてる」
「―――オーヴルのことか?」
「知ってるの?」
アリシアは驚いた顔で問い返す。ヴォルは、少し困ったように軽く頷いた。
「留守をしていても、城内の出来事は把握しておきたいから」
「そう……。ええ、そうよ」
扉を挟んでの押し問答ではっきりと思い知らされた、ふたりの意識の違い。まるで、遠い日のように感じる。
「オーヴルも、そうだった。結局彼も、わたしに王族としての生き方を求めてた。ねえ、教えて」
アリシアはヴォルを見た。
「あなたさっき、わたしに生きていてもいいって言ってくれた。わたしの生き方が必要なんだって。だったら教えて。わたしは誰? いったいなんなの? どこにいればいいの? 教えて……!」
ヴォルは胸をつかれ、言葉を失った。吸い込まれるような瞳の奥に、アリシアの抱え込んだ、迷宮のような、絡まりあった悩みと疑念が揺らめいていた。
そっと立ち上がり、明かりの端に咲く赤い花に足を進めた。
同じ迷いに嵌まり込んでいるとヴォルは思った。
背中に感じるすがるようなアリシアの視線。彼女はいま、切実に答えを求めている。生きるための答えを。生きてゆくための足掛かりを。生きろと言ったこのヴォルに。
「あなたは、ここにいればいい」
低く、闇に溶けるような言葉に、ヴォル自身小さく驚いた。吐いた言葉は、かつての、そして現在の自分でも、時に欲するものだった。
「ここにいればいい」
戸惑うような息遣いが聞こえた。ヴォルは内心の驚きを隠し、アリシアを振り返った。くいいるようにこちらを見つめるアリシアに、一瞬気圧されそうになる。
「ここって……?」
不安の潰れそうな声に、ヴォルの胸がつまる。
「―――おれの、そばに」
「!?」
「王太子妃の場所なら、空いてる。あなたに、もっともふさわしい場所だ」
アリシアは激しい怒りを覚えた。優しい言葉をかけてくれたこの男も、結局アリシアを見てはいない。いま、そのつらさを吐露したばかりなのに。あまりにも強すぎる怒りに、怒鳴る気力さえ奪われた。
「なんにも、判ってない……!」
「待って、姫。ちゃんと聞いて欲しい」
「あなたも同じじゃない、オーヴルと。結局は『太祖の娘』が欲しいんでしょう!?」
「違う、聞きなさい」
「酷い……!」
同じ異端者のヴォルならば判ってくれていると思っていた。ヴォルの言葉は、アリシアの思いを手酷く裏切るものだった。
「あなたなら、判ってくれると思ったのに……!」
「ひとの話を聞くんだ! おれは、オーヴルとは違う。あなたが必要なんだ」
「『太祖の娘』がでしょ? わたしじゃないわよ」
ヴォルは力強く首を振った。
「アリシアが、だ。異端であるあなたが。あなただから必要なんだ」
「まるめこもうったって、そうはいかないから」
アリシアは立ち上がり、庭を後にしようとする。ヴォルは彼女の前にまわりこみ、行く手を阻んだ。
「どいて!」
「アリシア。確かに、『太祖の娘』という肩書は魅力的だ。『太祖の娘』を自分の妃とする。それだけでもう、王冠を戴くくらいの栄誉さ。あなたの肩書はこの大陸で一番価値のあるものだからね。だからこの先、利用することももちろんあるだろう、それは否定しない。だが、政治的な面であなたをそばに置きたいと言ってるわけじゃない!」
「言い訳しなくて結構! この時代のひとに期待したわたしが莫迦だったのよ、ええ、そうよ、あなたはなにも悪くない、悪いのはわたしなのよ、わたしだけが悪いのよ!」
「アリシア!」
―――なに悲劇に浸ってるんです? ヴォルの言い分もちゃんと聞いてあげなくちゃ可哀想だ。
突然心に滑り込んだクラウスの声に、アリシアははっとした。
―――ひとの話を聞かず、思い込みだけでわめくなんて、確かに悪いことですね。
「クラウス……」
表情を呆然と固まらせもらしたその名前に、ヴォルも異常に気付く。アリシアは泣き出しそうになる。
「どうして、あなたがそんな、
―――庇う? べつに庇ったりなんかしてませんよ。ただ、真実が欲しいとか言っておきながら、それを聞こうとしないのはおかしいと思ったので。
「真実」
―――わたしが思うに、ヴォルはお為ごかしは決して言わない奴です。その場限りのでまかせも、言えない性格です。だから、聞いてあげるだけ聞いてあげたらどうです? ん?
アリシアはこちらを窺うヴォルへと視線を上げた。
ヴォルはじっと、アリシアを見つめている。
―――ヴォルならきっと、アリスを判ってくれる。
「クラウスは……?」
返ってきたのは、悲しげな沈黙だけだった。それが、ふたりの間に横たわる現実をあらわにさせていた。クラウスの代わりに答えたのは、瞳を合わせるヴォルだった。
「おれはこれまで独りだった。おれを判ってくれる者は誰もいなかった。だけど、アリシアなら判ってくれる。あなたなら、この国と戦うおれを判ってくれる」
力の込められたその眼差しに、不覚にも内側から鈍い痺れのようなものが全身を駆けめぐった。
「おれは弱い男さ。情けないくらいすぐ潰れてしまう。ひとりだけじゃ、這い上がれない。おれも限界なんだ。支えてくれるひとが、判ってくれるひとが必要なんだ。おれはあなたを支え続ける。だから、支えて欲しい。アリシア。あなたにしかできないことなんだ」
「そんなの……」
―――アリス。
脳裏に響くクラウスの声。
―――よく見てごらん。あなたの前には道が開けているんです。あなたにしかできない未来が、道の向こうに待っているんですよ?
クラウスの声は残酷だ。
「あなたが、クラウス殿を愛していることは判っている。おれを愛せとは言わない。ただ、この国に絶望しないで。自分自身に絶望しないでくれ。あなたには、潰れて欲しくないんだ」
「……どうすればいいのよ」
―――目の前にある真実を、しっかり見据えればいい。
「真実って……」
―――ヴォルの中にある真実を、見出すことだよ。ほら。目の前にあるのは、虚飾にまみれた偽りなのかい? アリスなら、ちゃんと判るはずだよ?
「戦って欲しい、一緒に」
逃げ場がなくなるほどまっすぐなヴォルの瞳の底を、勇気を起こし、アリシアは見つめる。透きとおる緑の瞳の奥に燃える、強い意志の光。揺るがんとする国の礎に心を痛め、破滅への道をくいとめようと高い志に燃える、熱い情熱の炎。
アリシアはその炎に寄り添う深い
孤独。
アリシアが孤独に堪えられないようにヴォルもまた、理解されない苦しみの生む、闇のような孤独につきまとわれていたのだ。
ヴォルに向かって熱く流れ出るものがあった。
初めてヴォルが理解できる。この時代に来て、初めて誰かを理解できた。
同志を、見つけられた。
初めて、自分の存在に安心できた。
誰かと繋がりあえる。
アリシアは、小さく顎を下げた。ヴォルの身体が僅かに震える。
「アリシア……?」
言葉が出なかった。たくさんの想いが胸の中で絡まりあい、言葉を紡げない。それでも、潤んだ目でなにかに
大きく息を吐き出し、ヴォルの顔にようやく柔らかさが戻った。
「―――ありがとう……!」
そう言かれは言、優しくアリシアを抱き締めた。一瞬抵抗に身体が硬くなったものの、己の身体を包み込む大きな腕に、深い安堵が、知らず胸いっぱいにあふれ出ていた。
すがるように胸に頬を寄せるアリシアに、ヴォルの腕に力がこもる。
その力を身体全体で感じながら、ああ、誰かにこうやって抱き締めてもらいたかったのだと、アリシアは痛感した。
脆く弱りはてた想いを誰でもいい、抱き締めてもらいたい。抱き締められることで、ここにいるのだと身体で感じたかったのだ。
ひとは、ひとりきりでは生きていけない。
崩れ落ちそうなとき、こうして繋ぎとめて欲しいから。
その相手がヴォルでよかった。
ヴォルならば、ひとりじゃない。
アリシアは角燈を持たないほうの手で口許を覆い、星降る夜空に目をやった。
クラウスの声は、聞こえなかった。
これでやっと、天にいける。
その言葉以外は。
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