第12話 似合いの二人

「敵の居場所が掴めないのであれば、誘い込むしかないだろう。蛇の魔物に街で暴れられてはたまらない」


 書庫の棚の前で、イエンウィアが文献を物色しながらカエムワセトに意見を述べた。

 『邪悪の目をそらす法』『悪霊を追い散らす法』など、彼は気になる書物を次々と流し読んでは、棚に戻したり、カエムワセトに渡していく。

 カエムワセトは自分でも資料を探しながら、イエンウィアから指し渡される資料の箇所に目を通しつつ、意見に応える。


「しかし、どこに誘い込むかが問題なんだ。建物内が理想的なのだが、王宮は広すぎるし、神殿は魔物を拒絶する」


 カエムワセトの中では、ある程度戦法はまとまってきてはいた。だが、戦場をどこに選ぶか、その問題がクリアできていなかった。


 書庫のテーブルでは、ジェトとカカルとハワラが、イエンウィアが昼食にと持ってきた惣菜パンを食べながら、暇を持て余していた。

 カカルが野菜と肉とチーズを入れて焼いたパンを頬張りながら、「神官さんは本を読むのも早いんすねー」と、アーデスとライラの倍はあるかというスピードで書物をさばいていく神官二人の様子をのんびりと眺める。


「あんたたちも手伝いなさいよ!」


 別の机に陣取っているライラが、『蛇の生態』という巻物を手に、三人を怒鳴った。

 ライラとアーデスは、フイが集めた資料をチェックする担当である。ライラとアーデスの前には、まだ目の通していない書物が山とあった。


「だって俺ら、字、読めねえもん」


「平民の識字率の低さをなめてもらっちゃ困るっす~」


 とりあえず形だけでもパピルスに手を伸ばすハワラに対し、ジェトとカカルは堂々と無知を前面に押し出した。

 そこにリラが、一枚のパピルスを手に、トコトコと歩み寄る。


「絵もちゃんとあるよ」


 ホラ、と三人に見せたリラは、楽しげに目を細めた。

 そこには、オシリス神の審判に導かれている人物の絵と、審判を受ける際に必要な呪文が書かれている。


「死者の書って面白いね」


 リラは歌うような調子で無邪気に言った。

 『死者の書』は庶民もよく知る書物である。何故ならそれは、死後に迎えると言われている障害や審判を乗り越えて楽園に到達するための必須アイテムだからだ。


「・・・・それ、死んだ時に一緒に埋葬してもらうやつだぞ」


「縁起でもないっす」


 リラに悪気が無いにせよ、魔物との戦いを目前にして死者の書を持って来られた三人は、一様に青ざめた。


「そういえば・・・」と、イエンウィアが何か思い出したようにカエムワセトに話しかけた。


「フイ最高司祭が瞑想明けに仰っていた。『間もなく、蛇という蛇が意思を無くすかもしれない』と」


 フイは瞑想明けによくこのような詩的な文句を口にする。それは、過去の事象であったり、今現在別の場所で起きている事であったり、時には未来をさす事もあった。イエンウィアが知る限り、過去・現在は外した事が無いのだが、未来の的中率は低かった。故に余計に思いだすのが遅れたのだが、カエムワセトから事情を聞いた今では、意思を無くした蛇達がどういう行動をとるかは、ある程度想像がつく。


「蛇に王宮を襲わせるつもりか・・・」


 表情を険しくしたカエムワセトに、「王宮だけならまだよいが」とイエンウィアが嘆息した。そして、核心を突く質問をする。


「その魔物だが、本当にアペピの使い魔なのか?」


 カエムワセトは「それが・・・」と言い淀むと、悔しそうに俯いた。


「可能性が高いというだけで、確証はないんだ。もっと、情報があればいいんだが」


「お前にゃトトの書があるだろ。そいつで何とかならんのか」


 アーデスが疲れた様子で手元のパピルスから顔を上げた。読み物はもう、お腹いっぱいのようだ。

 カエムワセトは帯に挟んである麻袋にそっと触れた。その中にはトトの書が入っている。


「・・・正直、自信がないんだよ、アーデス。とてつもない力を感じるだけに、私にどれだけ使いこなせるのか」


 神様のお墨付きで最強の魔法書を手に入れて思う存分使えるというのに、その力の巨大さ故に、時々謙虚が過ぎるカエムワセトは弱腰になっていた。

 謙虚は美徳とされ身を救う事もあるが、今は士気の低下に繋がる。アーデスが一言もの申そうと口を開きかけた時、イエンウィアが「なるほど。それがトトの書か」と進み出た。


「見てみても?」


 手を出して求めたイエンウィアに、カエムワセトは袋を開けて取り出した巻物を手渡した。

 イエンウィアは巻物を広げると、しばらくそれを眺めた。そして――


「『我は知恵の神トトの名代、またはその人なり――』」


 あろうことか本文を朗読しはじめた。

 突如、地の底から湧きあがるような音が響きだした。続いて壁がビリビリと震え、揺れる書棚からは積もっていた埃が舞い落ちる。


「なになになに!?」「地震すか!?」


 ライラとカカルが飛び上がった。

 ただの地震ではない事は、イエンウィアがパンと一緒に持ってきた水差しの中の水が空中で渦を描きだした事で明らかになる。これは間違いなく、トトの書の力だった。


「待てイエンウィア!」「おいおい!」


 慌てたカエムワセトとアーデスが、見事な朗詠を披露するイエンウィアを止めようと手を伸ばす。

 しかし、二人の手が届く前に、イエンウィアはぴたりと朗詠を止めた。にこりと笑い「冗談だ」と言う。


「――しかし、これではやはり郊外では無理だな」


 さわりを読んだだけで地震を起こす騒ぎである。街中で使う事はまず不可能だと知れた。

 イエンウィアは涼しい顔で巻物を戻すと、カエムワセトに返した。

 大胆すぎる同僚の行動に言葉を失ったカエムワセトは、黙ってトトの書を受け取る。


「なんちゅうおっかねえもん残しやがったんだ、神様ってやつは・・・!」


「もうイヤ軍隊に帰る・・・」


 ジェトは早鐘を打つ心臓を抑えながら椅子からずり落ち、ライラは机に突っ伏してとうとう弱音を吐いた。


 それからまた資料漁りが再開された。

 全員が黙々と蛇の魔物に関する文献や、対魔戦に役に立ちそうな文書を探す中、メンフィスの地図を見ていたカエムワセトが、街の南の外れにあたる部分に、気になる表記を見つけた。


「これは?」


 確認するために、メンフィスに在住するイエンウィアに訊ねる。

 イエンウィアはカエムワセトの人差し指の先にある神殿の印を見て、「ホルス神殿だ」と答えた。

 横から覗いたアーデスが、「けどバツがついてるぞ」と指摘する。

 それに対しイエンウィアは、三年前に火事が起こり、御神体が移されたからだと説明した。石造りであるため建物自体は残っているが、御神体はここプタハ神殿で保管されているため至聖所は空で、今は神殿の機能を成していないのだという。


「その廃神殿なら俺らも知ってますよ」と、ジェトが手を上げた。

「建物はキレイなまんまだから、今じゃ地元のゴロツキの溜まり場になってるとこっしょ?メジャイも怖がって近づかないから、やりたい放題っすよ」 


 イエンウィアが「その通り」と答える。

 流石元盗賊だなけに、そういった情報にジェトは詳しかった。


「なるほど・・・」


 カエムワセトが呟いた。

 御神体のない街外れの神殿。

 御神体の無い神殿跡なら魔物も入りやすく、街外れなら多少派手に暴れても住民に被害は出ない。

 カエムワセトは頭の中で自分の思い描く闘いをシュミレートした。


 いけるかもしれない、と頷く。


「みんな。戦法が整った。聞いてくれ」

――――――――――――――――――――――――――


 武器を使える神官を集め、必要とあらば援軍を要請する。


 確実に魔物の力を削ぐ為、武具を全て聖水で清める。


 メルエンプタハをイシスネフェルトと乳母と共に避難させる。


 ホルス神殿のならずものを一掃し、魔物をおびきよせる罠を張る。



 カエムワセトがパピルス紙に、この4項目を書き連ねた。これらを、夜までに成さねばならない。


「敵を閉じ込める罠を作りたいんだ。餌を用意し、閉じ込めて、一気に叩く。その為の準備が必要となる。檻はここ、ホルス神殿跡だ」


「見え見えだぜ。やっこさん、罠に入って来るか?」


 聞いている分には気持ちの良い策戦だが、相手にも思考力はある。しかも、詐欺行為ができるほどに頭が良い。こんな野生動物相手の罠を大きくしただけの仕掛けに、わざわざかかってくれるとは思えないと、アーデスは難色を示した。


 カエムワセトは自信ありげに「大丈夫だ」と頷く。


「ハワラの蘇生は相手にとっても神々に知られたくない禁じ手だから、早急に対処したいはずだ。ハワラが仕掛けの中に居る以上、接触をとるには自分から入るしかないんだよ」


「ならば重要なのは、餌に噛みつく前に動きを封じることだな」


 冷静な意見と共に一瞥をくれたイエンウィアに、餌役のハワラは「よろしくおねがいします」と引きつった笑顔を返した。


「ハワラの話では、相手は闇の中でしか行動できない。その性質を利用して、神殿内にあえて明暗を作り、魔物の移動範囲を制限するんだ」


 必要なのは、一晩中神殿内部を照らせるだけの、ありったけの松明と油。


「私たちが加担したことは、相手も知っている。きっと策を練って来るだろう。応戦できるだけの武器と兵力は揃えておきたい」


 加えて、外周を守り、内部で敵を叩けるだけの戦力である。


「やる事は分りましたけど、夜までに全部用意すんのか・・・。大変すね」


 指を折りながらやるべき事を数えたジェトは、その項目の多さに眉を寄せた。

 それに対しカエムワセトは、担当を決めて動けば間に合うだろう、と言った。


 イエンウィアとカカルとハワラが参戦可能な神官を集め、彼らと武器を選びそれら全てを聖水で清める。

 ライラとアーデスとジェトはホルス神殿跡に向かい、仕掛けを張れるよう整える。

 カエムワセトとリラは王宮に戻り、メルエンプタハを逃がす。

 そして、各々役割を終えたら必要物品を持ってホルス神殿に集まり罠を準備する。


 話がまとまり、各々が役割を果たすため動きだす中、「少し待ってくれ」とイエンウィアが挙手をした。


「武器はアーデスの方が詳しい。神官と武器の選抜は彼に任せて、私が神殿へ行こう」


「ゴロツキの集団だぞ?大丈夫か?」


 訝るアーデスに、イエンウィアは「問題ない」と答えると、書庫に持ちこんだ荷物の中からケペシュという湾刀を二振り取り出した。40㎝程度の小ぶりのものである。


「剣、使えるようになったの?」


 ライラが目を丸くする。


「身につけた。以前君にからかわれたのが悔しくてね」


 言いながら、イエンウィアは流れるような所作で帯に鞘を通してゆく。そして最後に頭巾を手に取ると、「それでは私はフイ最高司祭に外出の旨を報告してくる。西門で落ち合おう」と残し、一足先に資料室を出て行った。


「優雅な神官さんっすね~」


 イエンウィアの綺麗に伸びた背筋を見送りながら、カカルが感嘆した。

 出会ってから今まで、イエンウィアは頭の先から床まで一本筋が通ったような姿勢を崩さず、常に冷静で声を荒げる事もなかった。動きも流動的で無駄が無い。

 滲み出る人の良さと育ちの良さはカエムワセトの方が上だが、優雅さに関してはイエンウィアが圧勝である。

 王家よりも雅な神官の存在など、ともすればロイヤルファミリーの面目が潰されかねない状況である。だが、そういった見栄に無頓着なカエムワセトは、気にする様子もなくカカルの意見に賛同した。


「私の少し先輩にあたる人で、とても優秀なんだ。フイ最高司祭の補佐を無理なく務められるのは、彼くらいだよ」


「アホみたいに肝が太いっつーのは分ったよ」


 狂人寸前の上司に全くひるむ様子を見せない他にも、カエムワセトすら使用を躊躇う魔法書をいとも簡単に朗読して天変地異を起こしかける。

 イエンウィアの常人離れした精神力のお陰で出会って半日もたたない間に心臓が止まる思いをさせられたジェトは、皮肉を込めてそう言った。


―・―・―・―・―・―・―・―・―・―・―・―・―・―・―・―・―・―・―・―・


 舞台はぺル・ラムセスに移る。

 雲ひとつない昼下がりの空の下、ラムセス二世は、プライベートガーデンの木陰で、ネフェルタリとセネトというボーでゲームに興じていた。

 青々と茂った草の上に絨毯を敷き、その上にネフェルタリは横座りし、ラムセスは胸の下にクッションを敷いて寝転がっている。

 忙しい公務の合間の休息だった。


「陛下、そろそろ公務に戻るお時間ではないのですか?」


 柔らかい手つきで糸巻き型のコマを一つ動かしたネフェルタリが、ラムセスに会議の時間を告げた。


「皇太子がいるから大丈夫だ。もう少しやろうぜ」


 投げ棒を振ったラムセスが、円錐型の駒を二マス進める。

 ネフェルタリは、美しいアイラインが描かれた目を伏せると、「陛下・・・」とため息をついた。


「ビントアナトから逃げるのは、もうおよしなさい」


 最近の夫の頭痛の種になっている側室の名を上げると、ゲーム版に備え付けられた引き出しを開けて、自分と夫の駒を片付け始める。

 慌てたラムセスは両手でゲーム版を掴んで引きもどした。版の上に残っていた駒が、バラバラと絨毯の上に落ちた。


「だってあいつ、執務室の前に毎日毎日陣取って俺の事待ってんだぜ。大臣らには文句言われるし、宥めて部屋に返すのも一苦労なんだぞ!」


 夫の愚痴を聞きながら、ネフェルタリが落ちた駒を拾い集める。遊びの終わりを嫌がる子供のようにゲーム版を握りしめて離さない夫の手に集めた駒を握らせると、ネフェルタリは、スッと姿勢を正してラムセスに意見した。


「きちんと叱ってやるのも愛情ですわ」


 夫として、元実父として。ラムセスにはビントアナトに側室として正しい振る舞いをさせる責任がある。それは勿論、後宮を仕切るネフェルタリの役割でもあるのだが、ビントアナトにとっては競争相手ともなりうる自分が苦言を呈するよりも、ラムセス本人から指導される方が響くであろう、というネフェルタリなりの考えがあった。

 だがラムセスは元々女性に甘く、それが愛娘相手となると殊更弱い。


「あんな愛らしい娘泣かせたら罪悪感で禿げちまうよ」


 わざとらしく両手で顔を覆い泣き真似をする良い歳の夫に、ネフェルタリは冷ややかな視線を送った。


「あなたが禿げれば少しはあの子の執着も治まるかもしれませんわね」


 冷たく言って横を向く。

 ラムセスは身体を起こすとネフェルタリの顎に手を添えて、自分の方に向かせた。


「嫉妬するならもう少し可愛くしなさいね」


 凄みのある笑顔で息がかかるほど近くまで顔を寄せてきた夫に、ネフェルタリは上品に微笑んだ。


「わたくしももういい歳ですので、嫉妬など恥ずかしい真似はいたしません」


 この戦友の様な正妻の、つれない態度はいつものことである。ラムセスはめげることなく、「まあそう言うなよ」と、男性が友達同士でするように、ネフェルタリの肩に手を回した。


「お前も俺もまだまだ若いぜ。まあ、お前は結婚したての頃に一生分、イシスネフェルトに嫉妬を――」


 ふと、ネフェルタリが細い顎を上げ、庭の蓮池に注目した。ラムセスも一瞬遅れて、池の水面が妙な揺れ方をし、底から光が浮きあがっている事に気付く。

 ラムセスが片手をネフェルタリの前に出し、妻を守ろうと後ろに下がらせたその時、池が一層輝きを放った。続いて水面が高く持ちあがったかと思うと、そこから三人の人間が現れる。


「陛下、ネフェルタリ様。お久しゅうございます」


 池から現れたのは、乳母と共にメルエンプタハを腕に抱いた、ずぶ濡れのイシスネフェルトだった。


―・―・―・―・―・―・―・―・―・―・―・―・―・―・―・―・―・―・―・―・


 ホルス神殿跡に集まっているのは、大体いつも30人程度。強奪や詐欺など街で悪行を働いては金を得ている連中が、賭博に興じたり女性を連れ込んでいるらしい。

 一応彼らにはリーダーと呼ばれている男がおり、名前はセベキ。いつも腰に手斧をぶら下げているという。

 道すがら、ホルス神殿に巣くっている悪党達について、ジェトが知っている事を伝えた。


「その男、強いの?」


 ライラの問いかけに、ジェトは「ガタイはいいぜ。アーデスなんかお姫様に見える筋肉達磨っぷりだ。金でリーダーやってるようには見えなかったしな」と答えた。時間が惜しく殆ど小走りのため、喋りながらだと若干息が切れる。


「30人以上の輩を統べているなら、それなりの腕なんだろう」


 イエンウィアの分析に、ライラが「余裕ね」と口角を上げた。


「私は普段、50人の男を従わせてるわ」


 勝ち誇った笑みを浮かべる弓兵小隊長に、ジェトが「だったらお前一人で片付けてみろや」と小声で突っ込む。


「相変わらずじゃじゃ馬だな。彼女は出会った時からこうだ」


 ライラの背中で揺れている豊かな赤毛は、持ち主の心境を表しているかのように楽しげで軽やかになびいている。イエンウィアはそんなライラの様子に目を細めた。


「なんか、お似合いだな、あんたら」


 男顔負けの戦闘力を誇る血気盛んな女戦士に、異常なほど肝が太い男性神官。職業はまるで正反対だが、各々のパーソナリティは相性が良さそうだ。

 出発前、ジェトはカエムワセトから、ストレスを溜めているライラが暴れ過ぎないよう見ていてくれと頼まれた。しかしこれは、派手な小競り合いになりそうである。


――ああ~、俺もイエンウィアとアーデスみたいにカカルと交代すりゃよかったわ!


 カエムワセトの命令とはいえ、この二人にくっ付いてきた事を、ジェトは激しく後悔した。


―・―・―・―・―・―・―・―・―・―・―・―・―・―・―・―・―・―・―・―・


「あいつは昔、魔術に鼻っ柱を折られてんのさ」


 プタハ神殿の聖なる池で、麻紐で束にした矢を水面下に沈めたアーデスはカカルに言った。

 ライラがとてつもない魔術嫌いでありながらも、魔術を使うカエムワセトの従者をしている理由を訊かれたからである。


 武芸の才に恵まれたライラは幼い頃からその辺の男達より腕っ節が強く、彼女自身それが自慢でもあった。だが、先の旅でトトの書を守るミイラの妨害に遭い、その強大な魔力の前に、彼女は手も足も出なかったという。その時の挫折とトラウマが、彼女を大のオカルト嫌いにしてしまった。


「ミイラはネフェルカプタハっちゅう大昔の王子だ。最初にトトの書を掘り出して天罰くらって死んだ奴でな。トトの書抱いて地下深く眠ってたんだ。そいつが起きて、アホみたいな魔術で抵抗しやがった。何しろ物理攻撃が全く通用しねえ冗談みたいな闘いだ。ライラだけじゃなく、俺だって役立たずだった」


 それでもトトの書を手にすることが出来たのは、カエムワセトにアーデスやライラを守りながら応戦できるだけの魔力と気概があったからである。


「でもアーデスさん。今朝は、『対魔戦は初めてだ』って言ってなかった?」


 槍を刃の方から順番に池に沈めていたハワラが、今朝がたの会話を思い出して訊ねる。それに対しアーデスは、「ミイラは魔物じゃねえだろが」と、当たり前のような顔で返してきた。その辺の線引きがよく分らないハワラは、「ふうん」と適当に返事する。


「そういやお前ら、ネフェルカプタハの妨害には合わなかったのかよ」 


 カエムワセトはネフェルカプタハの墓にトトの書を戻した。それを掘り起こしたのだから、ジェトとカカルもネフェルカプタハのミイラに出会ったはずである。

 しかしカカルはきょとんとして、「そんなヤツ知らないっす」と答えた。そして、トトの書はオアシスの根元に埋もれていたと話す。


「はあ。神の計らいってのは、本当みてえだな」


 いくら盗賊とはいえ、自分達が発見するまでに数年を要したネフェルカプタハの墓をあっさり見つけられるはずはない。あれは墓ではなく、洞窟に近かった。しかも入口は非常に狭く、魔法で目くらましまでかけられていた。

 神の計らいとやらがなければ、トトの書は未来永劫、再び外へ出ることはなかっただろう。


「・・・しかし、妙な話だとは思わんか」


「なにがスか?」


 アーデスは、ハワラの告白を聞いてからずっと腑に落ちなかった事柄を話す。


「人間ひとり生き返らせるだけの力を持った蛇の魔物が、わざわざアペピの名を語ってまで、生まれて間もない王子の魂を喰いたがってるなんてよ。正体が見えてこねえ上に、理由も分らねえ。気色悪いったらありゃしねえぜ」


「それは、僕にも分らないけど・・・」


「そのうち分るんじゃないすか?考えたって仕方ないっす」


 ハワラが申し訳なさそうに身体を小さくしたので、カカルが作業の手を止めて背中を撫でてやる。意外にもカカルにはこういった優しさがあった。


「すまんかった。お前さんを責めてるわけじゃねえんだ」


 ハワラに謝罪して、アーデスは剣をまとめて入れた袋を池に沈めた。

 カカルの言うとおり、アーデスの抱いている疑念は今ここでこれ以上口にしても仕方のないことである。

 だが、やはり気にはなる。


 ――大体、普段人間のあれやこれやに手出ししねえ神々が、いくら魔物が絡んでるからとはいえ王子一人の為に手を貸すってのが納得できねえ。


 しかも言っては悪いが魔物の標的となっている王子は13番目。ファラオの座からはほど遠く、大業を成し遂げる魂を持って生まれてきたのだとしても、大勢の兄弟が競い合う中で頭角を現すのは困難である。

 火種の無いところに争いは起こらない。

 戦場を幾つも経験しているアーデスの本能は、まだ顕わになっていない大きな秘密の存在を感じ取っていた。


―・―・―・―・―・―・―・―・―・―・―・―・―・―・―・―・―・―・―・―・


 南側の街外れは畑と果樹園だった。一月ほど前に収穫を終えた大麦畑はスッキリとしており、ところどころ点在する葡萄畑は今が収穫期で、紫色の実がたわわに実っている。


 ホルス神殿は、畑と果樹園の更に奥にあった。

 ライラとイエンウィア、ジェトの三名は果樹園に身を隠しながら、神殿に近づいていく。

 神殿に最も近いヤシの木に隠れながら覗くと、壁の奥から細く煙が上がっているのが見えた。飯でも炊いているのかもしれない。

 入口には、中が見えないよう、ぼろ布がかけられていた。


「広さは大体、外壁含め600㎡といったところだ。入口は正面にひとつだけ」


 ヤシの幹を背にして、イエンウィアが簡単に説明する。

 ライラは「オッケー」と言うと、軽く舌なめずりをした。


「神殿内と大将は任せなさい。こぼれた奴はお願いね」


 二人が返事をする前に、ライラは入り口に向かって走った。



「気をつけ!」


 入口を覆っていた膜がはぎとられると同時に、仁王立ちした女が男達の前に登場した。


「私はエジプト軍セト師団弓兵小隊長、ライラである!エジプト王家を代表するやんごとなきお方の命により、このホルス神殿跡はたった今から、王家の占領下に置くこととする!お前達はすみやかにこの場を明け渡すべし!」


 軍隊の訓練さながらのよく通る大声で宣言したライラに、前庭で昼飯を炊いたり博打に興じたりしていた男達は、「ああ?」と一様にガラの悪い顔を向けた。

 鍋の前に居た1人がのそりと立ち上がり、ライラに詰め寄った。


「なんだ姉ちゃん。頭どうかしちまってるのか?遊んでほしいなら黙って中に――ブ!!」


 言い終わる前に、ライラが顔面に掌底をくらわした。男は鼻から血を流し、後ろにばたりと倒れて動かなくなる。

 それを見た他の男たちは慌てて、剣や斧を手に立ち上がった。数名は神殿内部に駆け込んでゆく。

 一方、ライラは腰の剣を抜く事無く、腕を組んで臨戦態勢になったゴロツキ達に睨みをきかせ、ぐるりと見渡した。


「殿下から、やりすぎないよう注意を受けているから、剣は抜かないでいてあげるわ。だからあんたたち――」


 好戦的な笑みを帯びたライラの口元から、白い歯が覗く。


「――逃げない奴は足腰立たなくなるほどボコってやるから覚悟なさい!」


 柔らかな赤毛をひるがえして敵陣に突っ込んでいった姿を最後に、ライラの姿がジェトとイエンウィアの視界から消えた。

 その代わり、外壁の中から男達の悲鳴や怒声がひっきりなしに聞こえる。


「派手にやっているな」


「どっちが悪者だかわかりゃしねえ」


 時折入口から気絶寸前で出て来る男達を縛りあげながら、イエンウィアとジェトは中の様子を伺った。

 耳をつんざく様な悲鳴を上げながら逃げ出して来た半裸の女はそのままにしておく。女は半裸のまま、大麦畑の真ん中を走って行った。

 こぼれた奴は任せると言われたが、こぼれて来るのは連れ込まれていた女性か、フラフラな輩だけである。ライラは溜まり溜まったストレスを存分に発散しているようだった。


「リーダーは中だろうか」


「さあな。セベキは2mを超す大男らしいから、見りゃすぐに分る―――」


 入口から中を伺う二人の後ろに大きな塊が現れ、太陽光を遮った。

 その塊は2mを越しており、手に斧を持っていた。


「娼館から戻って来てみりゃあ、ひとんシマで何やってんだオマエら・・・!」


「お、おぉ外にいらっしゃったんですねぇ~」


 ジェトが声を上ずらせて後ずさる。

 後ずさったジェトの踵が、縛り上げた男の一人に当たった。「あ」という顔で、ジェトは後ろを振り返る。そこには、縄でぐるぐるに拘束されたセベキの配下たちが、気絶して壁沿いに転がっていた。

 分厚い筋肉で装甲されたその盛り上がった肩を更にいからせたセベキは、奥歯が見えるほどに唇をめくり上げ、憤怒で血走った両目で若い神官と少年を見下ろした。


「ら、ライ、ララライライ――」


 歯の隙間から蒸気が吹き出てきそうなほど怒り狂っているセベキの迫力に圧倒されたジェトは、大いにどもった。

 セベキは「うおらあ!」という大喝とともに、斧を振り上げた。



「ライラー!!」


 外から聞こえたジェトの絶叫に、あらかた倒して大将を探していたライラは外に飛び出した。


「ジェト!イエンウィア!」


 慌てて駆けつけたライラの前に、大男がうつ伏せで倒れていた。セベキである。

 彼の頭部周辺には血の海ができていた。傍には腰を抜かしたジェトと、剣を回すようにさっと振るって血を払うイエンウィアの姿があった。

 振り下ろされた斧を左の剣で受け、右の剣で流れるようにセベキの喉を斬ったイエンウィアは、足元に横たわる悪党の首領の死体に嘆息を漏らした。

 そして、茫然と立ち尽くしているライラに苦笑いを向けて一言。


「君が小隊長からなかなか昇進できないのだとしたら、理由はこういった詰めの甘さかもしれんな」


 ライラはぐうの音も出なかった。

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