28.????②

「――ああ、なんと素晴らしい事だろうか!」


 白色と黒色が混ざり合ってゆっくりと明滅し、上下左右の概念など存在しないかのように様々な形をした物体が、向きもバラバラで浮かんでいる不可思議な空間。

 その空間のあちらこちらに映し出されたカリスの映像をみた“それ”は、嬉々として両手を大きく広げた。

 その勢いで先程まで抱えていたスライムが、ペチャリと大きな音を立てて足元に落下する。

 

「おっと」


 落してしまったことに気付いた“それ”は、直ぐにスライムを拾い上げて再び抱える。

 スライムはまるで“それ”に抗議するかの様に、ぽよんぽよんと形を変えて“それ”の腕の中で暴れる。

 しかし“それ”は、スライムの講義をあまり気にしている様子ない。


「次からは落とさないようにするよ」


 あまり反省した感じの無い“それ”の言葉遣いに、スライムも半ば諦めた様に大人しくなる。

 その様子を確認した“それ”の興味は、すぐにまたカリスにへと戻った。


「しかし、カリスには驚かされるばかりだよ! 妖精の救出にキメラの討伐もそうだけど、困難と思っていたアントの心変わりをこの短期間でやってしまうなんて! 完全に僕の予想を超えている!」


 今にも踊り出しそうに体を震わせて、まるで自分の事の様に満面の笑みで喜びを爆発させた。

 それに対してスライムはぐにぐにと全身を震わせて、“それ”に何かを語りかける。

 

「……えっ? アントの件はハウのおかげじゃないかって? ……なるほど。確かにアントの件に関してはハウの手柄が大きいとも言えるだろうね。しかし、カリスが視察にハウを連れて行かなかったことが結果としてこうした運命を手繰り寄せたと考えれば、カリスの判断が全てだったとも言えるんじゃないかな?」


 “それ”の主張する通り、カリスはハウを連れて視察に行くこともできた。むしろハウとアントの関係性を考えれば、その方が懸念材料を少なくできたはずだ。

 しかしカリスがその選択をしなかったのは、ただ単に公務の事を優先したからにすぎない。

 今回の視察の主役はルーカスであり、カリスはあくまでそのおまけとして同行しているだけだった。

 そのおまけが、外見だけで人目を引くようなハウを視察に連れて行ってしまえば、主役であるルーカスを差し置いて目立ってしまうことは間違いないだろう。

 ハウを連れて行かなかったことは、カリスなりの配慮だった。

 結果的に考えれば、カリスのその判断があったからこそハウがアントを助けるという運命が訪れたという主張はあながち間違いでもないのだ。

 

「まあ過程はどうであれ、『結果良ければ全て良し』という言葉もあるんだ。これでカリスの夢が更に前進したのはいい事だよ!」

「ぽよんぽよん!」

「はは、君も嬉しいんだね! 僕も同じ気持ちさ!」

 

 腕の中で飛び跳ねるように嬉しさを表現するスライムを見て、“それ”は満足そうに大きく何度も頷いた。

 そしてしばらく二人で喜び合っていると、“それ”はおもむろにスライムを地面へと降ろした。


「さてそれじゃあ、僕は少し出掛けて来るよ。なに、“彼女”にお礼を言いに行くだけさ。留守番よろしく頼むよ」


 スライムにそれだけを言うと、“それ”は唐突に前方の何もない空間に手を伸ばす。

 すると次の瞬間、一瞬にして空間に裂け目が出現した。

 そして“それ”は躊躇ちゅうちょすることなく空間の裂け目の中へ入って行く。

 


 

 空間の裂け目を潜り抜けると、そこは先程までいた空間から一変した森の中だった。

 森の中にしては少し開けた場所で、月の光で明るく照らされている。しかし周囲を取り囲む木々の密度は濃く、月の光も届かない漆黒の闇となっていることから、ここが森の奥深くの場所だという事が窺い知れる。

 そしてそんな場所の中心を見ると、周りの木々よりも一際太く大きな大木が存在感を放つように鎮座していた。

 大木の葉の隙間から溢れ落ちる月の光が星のようにキラキラと輝き、まるで神聖不可侵な神木に似た雰囲気が周囲に漂っている。


 そんな大木に引き寄せられるように、“それ”はゆっくりと歩いて大木に近付く。

 そして立ち止まると一度大木を見上げ、大木に向かって手を伸ばした。


「――それに手を触れないで頂けますか?」


 大木に手が触れそうになった瞬間、突然地面からつたが飛び出し、“それ”の身体に一瞬で巻き付いて拘束した。


「……おや、ずいぶんな歓迎だね? 僕はまだ何もしていないじゃないか?」


 突然拘束されたにも拘わらす、“それ”は全く驚いた様子がない。まるでこうなることが最初から分かっていたかのようだ。

 落ち着いた口調で、“それ”は声の主の方に顔を向ける。

 そこには一人の美女が不快な顔をして、“それ”を睨んでいた。


「あなたはその木が何かを知っていながら触ろうとしました。理由としてはそれだけで十分です」

「……随分と嫌われたものだね。僕は君の恩人じゃないか。それとも、君は恩人に対してほんの少しの寛容な心すら持ち合わせていないのかい? ああ、なんと悲しいことだろうか! 君はいつからそんな風になったんだい? ……ねえ、“ニンフ”?」


 下手な芝居がかった態度で名前を呼ばれたニンフは、限界まで眉をひそめて更に不快感をあらわにする。


「まあまあそんな顔をしないでおくれよ。木には触らないから、いい加減この蔦をほどいてほしいな」


 そう言って苦笑いをニンフに向けると、ニンフのため息と共に“それ”を拘束していた蔦がほどかれた。


「……それで、一体何をしに来たのですか?」

「そう警戒しなくていいよ。僕はただ、君にお礼を言いただけさ!」

「お礼?」

「そう! 魔力切れで眠っていた君に魔力を与えて起こした時、君にカリスの手助けをお願いしただろう? 君は僕のお願い通り、見事にその役目を果たしてくれた! だからそのお礼を言いに来たのさ! ありがとう!!」


 “それ”は両手を大げさに広げたポーズで感謝の言葉を口にする。

 しかし、ニンフにはあまりその気持ちが届いていないようで、怪訝な表情を浮かべていた。


「……確かにあなたから魔力を貰ったおかげで、私は予定より早く目を覚ますことが出来ました。私はそのお返しとして、あなたの願いを聞きました。それなのに何故、あなたは私にお礼を言うのですか?」


 魔力を貰ったお返しは、願いを聞いたことで返している。つまりそこで、二人の間に貸し借り関係は無くなったとニンフは思っていた。

 にも関わらず、“それ”がわざわざお礼を言いに来た理由が、ニンフには全く理解できなかった。


「別に深い意味はないよ。君が手助けしてくれたおかげで、カリスの夢は大きく前進する事になった。僕にとってそれは、君が思っている以上に重要で大切な事、というだけさ。それが理由じゃ納得できないかい?」

「つまり本当にただ単にお礼を言いに来ただけ、というのですか……?」

「最初から僕はそう言っていたじゃないか~」


 そう言っておどけた振る舞いをする“それ”を、ニンフは未だ信じられないといった目で見る。

 しかし振る舞いはおどけていても、“それ”が嘘をついている様子が無いのは流石のニンフも気付いていた。

 そして長い沈黙が二人の間に流れる……。

 

「……どうやら、本当の様ですね」

「信じてくれて嬉しいよ!」

「…………」


 満面の笑みで嬉しさを表現してはいるが、その感情が果たして本心から来ているものなのか……ニンフには区別が付けられなかった。


「それじゃあお礼も言えたし、僕は帰るとするよ」

「……そうですか」


 来るのも突然なら帰るのも突然な“それ”の自由奔放な行動に、ニンフは辟易へきえきとした思いで息を吐く。

 

「――ああ、そうだ」


 帰ろうとしてニンフの横を通り向けた時、“それ”は何かを思い出したようで歩く足を止めてニンフの方へ振り返る。


「君に、一つだけ確認しておかなければならない事があったのを思い出したよ」

「……なんですか?」


 まだあるのかと言いたげにめんどくさそうな様子で、ニンフは“それ”と顔を合わせる。

 

「君はカリスと別れる時、『いつでも力を貸す』と言っていたけど、あれは本心からの言葉なのかな?」


 “それ”に言われてニンフは思い出す。

 確かにカリスと別れる時、そんな言葉を口にしたと。


「そんな所まで覗き聞きしていたのですか? 相変わらず嫌な趣味をしていますね」

「実に嫌味な言い方だ。せめて『観察』と言って欲しいものだね」


 苦笑いを浮かべながら、“それ”は肩をすくめてみせる。

 

「……それで、質問の答えはどうなのかな?」

「勿論本心ですよ。カリスには森を救ってもらった恩もありますけど、それ以上に彼女の存在は無視できないものを感じました。だから友好関係を築こうとしただけです。……これで満足ですか?」

「そうだね、それを聞けて安心したよ!」


 ニンフの答えが満足いくものだったようで、“それ”はニコニコと心からの満面の笑みを浮かべる。


「……私からも、質問いいかしら?」

「ん? ああいいとも! 何かな?」

「あなたはどうしてそれほどまでにカリスに肩入れしているのかしら? 私が知っているあなたは、世界に何が起こっても不干渉の立場を貫いていたはず。それが今回に限ってはまるで違う。一体、カリスの何があなたにそうさせているの?」

「……」


 ニンフの質問に、“それ”は笑みを浮かべたまま動きを止める。

 その様は意表を突かれたようでもあり、質問の答えを探しているようでもあった。


 二人の間にしばしの沈黙が流れ、やがて“それ”がゆっくりと口を開いた。

 そこには先程までのおどけた様子など微塵も感じられなかった。


「ニンフ、君は魔王の存在についてどう思う?」

「魔王? どうして突然そんなことを?」

「いいから。どう思う?」

 

 ニンフは質問の意味が解らずに困惑するが、“それ”の様子からしてふざけているわけではないと察する事はできた。


「……魔王は、私達を召喚した存在。大げさに言い換えたら、私達幻獣の『親』とも言えるかしら」

「その通りだ。では、どうして魔王は倒しても100年周期で復活するのか分かるかい?」

「それは……分かりません」


 魔王は100年周期に復活し、幻獣を召喚して世界を乱す存在として世界に広く知られている。

 しかしそれ以外の情報は全くと言っていいほど解明されておらず、詳しく理解している者はいない。

 そしてそれは、魔王から召喚された幻獣で、長い時を生きているニンフも例外ではなかった。


 

「そう、全ての真実はいにしえの子供である僕達をもってしても分からない。……いや、むしろと言ったほうがいいだろうね。つまり、この世界の誰一人として、魔王という存在を何も知らないし、知る術を持っていないのさ。……ただ一人の例外を除いてね」

「……まさか、それがカリスだというのですか!?」

「その通り……と言いたいところだけど、カリスはまだそれを解明する次元へと至ってはいない。だけど、その『才能』を秘めているのは間違いないよ。君にはカリスが今回の魔王を倒したと伝えただろう? それが何よりのあかしさ!」

「待ってください。確かに魔王を倒すのには相当の実力が必要で、カリスにはそれに見合った実力があったのは確かです。……しかし、魔王は過去に何度も倒されています。どうしてカリスなのですか?」


 魔王は100年周期で出現し、その度に人間が倒してきた。

 “それ”の主張通りなら、過去の魔王討伐者にも『才能』はあったはずで、今回“それ”がカリスに固執している理由にはならない。


「それはね、カリスは過去の誰もが成し遂げようとしなかった“幻獣との共存”を望んでいるからだよ。それこそが、過去の魔王討伐者とカリスを決定的に区別させているのさ」

「つまり……幻獣に対する感情が、魔王を解明する事に繋がるということですか?」

「少なくとも僕はそう確信している。こう言うのも不思議なことだけど、カリスにはこの僕にそう思わせるだけの何かがある気がする。世界は、カリスによって変わろうとしている。だからカリスから目が離せないのさ!」


 “それ”の言っている事はニンフが想像していた物とは違って、確たる証拠の無い感情論でしかなかった。

 しかしカリスの事を直接目にしたニンフは、“それ”の言う感情が少なからず理解できてしまった。

 強烈な魅力を持った人間性と驚異的な戦闘力。その独創的な個性は、カリスを特別だとニンフに評価させるには十分過ぎる程だった。

 

「質問の答えは、これで十分かな?」

「……ええ、十分です」

「分かってくれて嬉しいよ!」


 ニンフを納得してくれたことに満足した“それ”は、態度をいつものおどけた振る舞いへと戻す。

 

「それじゃあ用事も済んだことだし、僕は帰るよ。じゃあね!」


 そうだけ言うと“それ”は来た時と同じように空間に裂け目を出現させ、ニンフの別れの言葉も聞かずに裂け目の中へと消えて行った。


「……カリスが魔王の謎を解明すると確信している、ですか。まさかあなたからそんな言葉を聞く日が来るとは思いませんでしたよ」


 裂け目が消えて元に戻った空間を見つめ、ニンフはボソッと言葉を漏らす。


「……変わろうとしているのは世界なのか、それともあなたなのか、一体どちらなのでしょうかね? ――“カオス”」


 いなくなった相手に向けたその小さな言葉は、風に乗って虚空へと四散する様に掻き消えるのだった。

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幻獣大好き王女様の幻獣動物園計画! 山のタル @YamanoTaru

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