四章――④
賑々しく人が行きかう地下街の一画にある茶葉専門店の中で、丸く平たい銀色の缶を片手に美希は渋面を浮かべていた。蓋を外せば黒茶色の茶葉が現れ、リンゴの爽やかな香りが鼻をくすぐる。よく見ると乾燥した果肉と皮が茶葉に埋もれていた。
「ええ香りなんやけどなあ」
目の前の陳列棚には他の缶もずらりと置かれ、表面に貼られたラベルは栗だったりカボチャだったり、秋らしい名前が並ぶ。いずれも期間限定商品で、手に取らないわけにはいかない。一つずつ香りを確かめては唸ることをくり返し、だんだん鼻がおかしくなってきた気がした。
「みっきー、なに悩んでるの?」
とん、と横から肩を叩かれて顔を上げれば、長い銀髪をポニーテールにくくった仙嘉が微笑んでいた。黒を基調としたワンピースはフリルがたっぷりで、随所に蜘蛛の巣を模ったレースも施されている。間もなく訪れるハロウィンらしさに溢れた一着だ。
美希は〝マロン&キャラメル〟とラベルが貼られた缶を手に取り、つんと唇を尖らせた。
「全部美味しそうやな思てんけど、予算的にそんないっぱい買われへんからさ。いちいち茶葉
「これだけいっぱいあったら悩んじゃうよねー」
分かるー、と仙嘉がうなずく。彼女もどれを買うか決めかねているのか、腕に提げたカゴにはまだなにも入っていなかった。
仙嘉の誕生日から一ヵ月が過ぎた。美希たちは一応これまで通りの生活を送っているが、変わったこともある。
雅太が学校を辞めたのだ。榛弥の通報により秋津家の三人は逮捕され、夫妻は死体遺棄や損壊について容疑を否認し続けたものの、雅太が素直に供述したことで夫妻のみ起訴されたと聞く。
捜査の結果、庭からは寅雄の妻と大和の骨も発見された。信仰の名の下で起きていたショッキングな事件は新聞にも掲載されたけれど、一週間もすれば人々の話題から消えた。クラスメイトたちもまさか美希たちが関わっていたとは思っていないようで、今のところ誰も追及してこない。
仙嘉も解放されてから数日は学校を休んでいた。一人でいると当時の恐怖を思い出してしまう、と現在は一人暮らしをやめて実家から片道一時間半かけて通学している。
「そういえばさっきスマホ鳴ってへんかった?」
デフォルメされたカボチャが描かれた袋に手を伸ばしつつ訊ねると、仙嘉が慌ててショルダーバッグをあさる。スマホに目を落とした瞬間「やば」と焦ったように頬をかいていた。
「ママからめっちゃ着信来てる。うわー、気づかなかった。何時に帰ってくるの! みたいな内容かも」
「買い物してから帰るて言うてあらへんの?」
「んー、忘れてた!」
「ほんなら早よ電話しといで。心配しとるやろし」
「ごめんね。その間ちょっとこれ持ってて!」
仙嘉からカゴを受け取って、出て行く背中を見送る。電話の向こうの母はかなりの剣幕なのか、仙嘉は少しだけうるさそうにスマホを耳から離していた。
もともと仙嘉は両親と頻繁に連絡を取るタイプではなかったという。ゆえに監禁されていることに気づけず、その反省としてまず門限を設け、さらに学校やバイト先からの帰宅予定時間を知らせることに決まったそうだ。
まだ習慣づいていないせいで、今日のように連絡し忘れることの方が多いようだが。
「お待たせ!」ぱたぱたと仙嘉が小走りで戻ってくる。「夜の八時までには帰ってきなさいねって怒られちゃった」
「ほんならあと三十分くらいで買い物済ませなあかんやん」
今日は仙嘉の要望でここに訪れたのだ。美希の母が名古屋に来るたび立ち寄る茶葉専門店で、日本茶や紅茶、ルイボスティーなど豊富に揃っている。
「一個欲しいもんあるて来る前に言うとったやろ。まだ見つけてへんの?」
「どんな名前だったかちゃんと覚えてなくて。みっきーがくれたやつなんだけど」
「あたしがあげたやつ?」
「誕生日プレゼントにくれたでしょ」
ホワイトチョコとラズベリーの香りがする紅茶か。
品物の名前はダージリン、アールグレイ、烏龍茶といったシンプルなものばかりではない。〝ヴィーナス〟〝プロメテオ〟など抽象的なネーミングで、香りが想像しにくいものも少なくなかった。
残念ながら美希も正確な名前を覚えていない。店員に聞いた方が早そうだったが、探すついでに他の茶葉も見たいと言われてやめた。
「そんなにあれ気に入ったん?」
「気に入ったっていうか、香りが、ね」
仙嘉が近くにあった紅茶の缶を手に取る。伏せられた瞳にはほの暗い光が揺れていた。
「……閉じこめられてた時、みーくんに頼んであの紅茶淹れてもらってたの」
監禁中の食事はすべて玻璃恵が用意して運んできたそうだが、一緒に様子を見に来ていた雅太が「激しいストレスを感じた状態では、セイレイさまのパワーが宿りにくくなるのでは」と母に提案したらしい。
「それで『好きな食べ物か飲み物くらいなら一つだけ用意してあげる』って言われたから、みっきーがくれた紅茶をお願いしたんだ。この香りがしたらみっきーのこと思い出せたし、助けに来てくれるって信じれた」
「……そっか」
「うん。だからあれは、私にとってちょっとしたお守りみたいな感じ」
なにげなく贈った一品だけれど、心の支えになっていたと聞くとなんだか嬉しいような、恥ずかしいような複雑な気がして、美希は頬を薄く赤らめて視線を彷徨わせた。
「……聞いてええんか分からんけど、秋津くんとは別れたん?」
「そりゃまあ、ねぇ」
仙嘉は缶の蓋を開けて香りを確認しつつ、寂しそうに苦笑していた。
「私と付き合ったのも最初からセイレイさまに捧げるためだったみたいだし。好きだから告白してくれたわけじゃなかったんだよ」
「ふうん……こういう言い方してええんか分からんけど、信者ようけ
むしろ志村のような信者であれば、喜んで修行に協力しただろう。そのままなにも知らない信者の腹を裂く手段もあったはずだ。
「名前が良かったんだって」
「仙嘉の?」
「ほら、私の名前の漢字の〝仙〟って仙人の〝仙〟でしょ。仙人って不老不死のイメージあるし」
「要はなんや、名前にあやかっただけってこと?」
入学してすぐの頃、クラスメイトの名を記載したプリントが配られたことがあったのだが、その際に秋津夫妻は仙嘉に目をつけたらしい。仙嘉に修行させてその肉を捧げれば、セイレイさまも喜んでくれる上に、寅雄も永遠の命と共に蘇るはずだと。
無茶苦茶な理由だが、本人たちはいたって真剣なせいで話が通じない。雅太も何度か「出来ない」と拒否したそうだが、結局両親に屈して加担してしまった。
「連絡ももう取ってないけど、みーくんが学校辞める前に一回だけ電話かかってきたよ。『ごめんで済む話じゃないけど、ごめん』って。あと、これ」
仙嘉にスマホの画面を見るよう言われて目を落とすと、そこにはコスプレ衣装に身を包んだ彼女が表示されていた。
「撮ったままデータ渡せてなかったからって、いっぱい送られてきた。嫌なこと思い出しちゃうから消そうと思ったんだけど……」
出来なくて、と続いた声は切なく消え入りそうだった。
気持ちは分からなくもない。なにせ雅太が撮影した写真は悔しいくらいに美しく、彼の腕の良さが存分に発揮されている。コンテストにでも出したら高確率で入賞しそうだ。
「あとでみっきーにも送ろうか?」
「いや、ええわ」
迷いなく断って、美希はハチミツとバニラが香る珍しい緑茶を自分のカゴに入れる。
「嫌なこと思い出すような写真やったら、もったいないかも知れんけど消した方がええに。その代わり、それよりも
「そういえばそうだった! あ、でもみーくん
「時期まで余裕あるし、のんびり探したらええわ。……あ」
「? どうしたの?」
「二週間くらい前やったかな、秋津くん家の隣の庭覗きに行ってん」
行きたいと初めに言い出したのは壮悟だった。「紅葉観に行かへん?」との誘い文句だったが恐らく建前で、大和が成仏したかどうか確認したい、というのが本音だろう。そのあたりは美希も察して、一応榛弥にも声をかけた結果、三人で庭を再訪したのだ。
休園されている可能性もあったが、庭の運営と管理はセイレイさまの信者が担っているらしく、なにごともなく普通に開いていた。ただ報道の影響が少なからず出たようで、紅葉シーズンだというのに園内は閑散として鯉の跳ねる音がやけに大きく聞こえた。
「しばらくうろうろしてんけど大和くんの幽霊は
「そっか、良かった」
「あとお参りしに来とる人もちらほら見かけたわ」
報道でセイレイさまの名前が出ることは無かったためか、信仰自体は今のところ続いているらしい。秋津家の敷地にある祠堂に参拝出来ない代わりに、庭園の社に手を合わせる客を数人見かけた。
「これからはみーくんがお父さんたちの代わりに教室とかするのかな」
「さすがに前と同じことはやらんやろ、知らんけど。ほんで榛弥兄ちゃんが『せっかくならこれを機に本来の姿で祀られればいいんだが』て言うとった」
「本来の姿?」
うん、とうなずいて美希は近くにあった茶葉に手を伸ばした。〝
「秋津くん家はセイレイさまをトンボの神さまやて祀っとったけど、榛弥兄ちゃんはもともと違う姿やったんかも知れんって」
『その姿というのが、これだ』
参拝客が居なくなった社の前で、榛弥が指さしたのは柱に彫られた蛇だった。
『中国地方や四国地方に〝トウビョウ〟って名前の蛇の
『憑きもの……てなに?』
『〝狐憑き〟とか〝犬神〟とか聞いたことないか? かなり簡単に言えば人に憑く動物霊で、富や名声を運んでくれることもあれば、祀り方次第で自分や他人に災厄をもたらすこともある。日本に古くからある民間信仰の一種だな。〝トウビョウ〟はその中の一つなんだが』
蛇とトンボではあまりに見た目が違いすぎないか。美希と壮悟が首をかしげる中、榛弥は落ち着いた声で続ける。
『地域によってはトウビョウを〝トンボ神〟と呼ぶこともある。だから代々信仰していく中で〝トンボ神〟の解釈が〝蜻蛉の神〟に変化したんだろう』
『……そういうことってようあるん?』
『ないわけじゃない。天照大神だって別名が色々あるくらいだ。姿も一般的には女神として認識されているが、男として表記する文献もあるし、蛇の神として伝えていた地域もある。セイレイさまも同じだよ。この社が建てられた時点までは本来の姿も伝えられていたんだろう。藤棚も近くにあったし』
『そんなんあった?』
あれだ、と教えられたのは骨組みがむき出しの休憩所だ。ただの腰を休める場所ではなかったのか。時期になれば藤が咲き誇り、屋根の代わりに頭上を覆うだろうと榛弥が言う。
『諸説あるがトウビョウは漢字で〝藤憑〟と書くそうだ。柱に巻き付く藤を蛇に見立てたたがゆえの表記かと僕は思うんだが、なんにせよ、ヘビの憑き物に藤棚――なにかしら関係性を見出さずにはいられない』
出来ることならどの時期にトウビョウからセイレイさまに姿を変えたのか知りたい、と榛弥は意欲的だった。しかし雅太は詳細を知らなそうだし、秋津夫妻に話を聞けなくもないだろうが、仮に取材に赴いたとしても断られそうである。
行動力が凄まじい従兄のことだ、どうにかして変化の歴史を突き止めるのだろう。
「まあ信仰? 宗教? 忘れたけどそのへんの自由てあるしな。生贄みたいな危ないことはもうせえへんやろし、今のままセイレイさまを信じ続けるんも、それが心の拠り所とか支えになるんやったら別にええんちゃうかて言うとった。
「難しいことよく分かんないけど、みっきーの従兄さんって頭いいっていうか、物知りなんだね。しかも優しかったし」
借りたジャケットの温もりを思い出したのか、仙嘉の頬が淡く染まる。
これはもしや。
「惚れてもた?」
「えー、だってあんなのキュンとしちゃうじゃん。みっきーが子どもの頃に好きだったのちょっと分かっちゃったかも」
「言うとくけど榛弥兄ちゃん結婚しとるし、子どもも
えっ、と仙嘉の表情があからさまに固まった。失恋させて申し訳ない気もするが、事実なので仕方がない。軽くぽかぽかと殴られながら、美希は店内を見回した。
だいたい一周したはずだが、仙嘉が探している紅茶が見つからない。残り時間を考えるとこれ以上はうろうろ出来ず、潔く店員に訊ねればすぐに売り場へ案内してくれる。美希たちが気づかなかっただけで、品物は店頭のおすすめコーナーに堂々と陳列されていた。
「お探しの茶葉はこちらでお間違いないですか?」
店員に乳白色の小箱を差し出され、美希と仙嘉は半ば食い気味に「これです」と答えてうなずく。タイミングが完全に一致していたのが面白かったのか、店員にくすりと笑われてしまった。
仙嘉が受け取ったそれを覗きこみ改めて品名を確認すると、片仮名で〝アミ〟とだけ書かれている。他に比べて名前が短くかなりシンプルだ。
「可愛いパッケージですよね、これ」店員はさり気なく美希の隣に立つと、指先で箱の上部を軽く撫でた。「香りも良いし、飲みやすい味で私もよく買うんです」
「確かにええ香りしますよね。ミルクティーにして飲むんも良さそう」
「あっ、それ良いかも! ケーキにも合いそうじゃない?」
ケーキはどれがいいだろう。チョコレートか生クリーム系か。二人であれこれ想像を膨らませていると、店員が「この紅茶、お二人にぴったりですね」と頬を綻ばせる。
「? なんでです?」
「品名の〝アミ〟って、フランス語で〝友だち〟って意味なんです」
ではごゆっくり、と軽く頭を下げて店員は他の客に声をかけに行く。
美希と仙嘉はどちらからともなく顔を見あわせて目をまたたいた。
「……あみあみコンビってみーくんとみっきーじゃなくて、私とみっきーの方がぴったりなんじゃない?」
「あたしは最初からそう思とるけど」
「みっきーってたまにしれっとめちゃくちゃ嬉しいこと言うよね」
「お褒めの言葉どうも。ていうか時間無いんちゃうの」
「あっ、ヤバ! 早くレジ行こっ」
お目当ての紅茶が見つかったのと、例えセールストークであったとしても自分たちにぴったりだと言われたのが嬉しかったのだろう。仙嘉がほくほくとした笑顔でレジ待ちの列に並ぶ。
せっかくだから自分用にも一つ買おう。友情の証と化したような〝アミ〟をカゴに入れて、美希は仙嘉の後を追う。
その足取りはパッケージに描かれた女性のシルエットのように、今にもスキップを始めそうなほど弾んでいた。
終
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主要参考文献
・吉野裕子著『日本古代呪術 陰陽五行と日本原始信仰』講談社、2016年
・小松和彦著『憑霊信仰論』講談社、1994年
・谷川健一著『魔の系譜』講談社、1984年
・高平鳴海編『図解 陰陽師』新紀元社、2007年
・志村有弘監修『妖怪の日本地図』青春出版社、2013年
その他多数の書籍、ウェブサイト等を参考にしました。
美希と榛弥~蜻蛉のカゴと神隠しの夜~ 小野寺かける @kake_hika
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