第9話 取り憑くのと愛は紙一重
朝が来た。
窓の外で、スズメたちがちゅんちゅん鳴いている。
あの行動は新鮮な空気を肺に取り込んでいるらしい。
そして。
星南太郎が親に見つからないようこっそり家に持ち帰ってきたオバケもまさに今、全開にした窓のサッシに片足を掛け、新鮮な空気を取り込んでいる最中だった。
「って、ダメだからぁ! 誰かに見られたらどうすんの!」
星南太郎はあかぎれだらけの手で、オバケこと高月恋の腕を引っ張り、全力でやめさせようとする。
かれこれずっと制服姿だった恋は、星南太郎の服を借りて、久々に伸び伸びと過ごしていた。
計算し尽くされた冴島莎莎の萌え袖とは違い、恋の袖は幽霊の恨めしいポーズみたくなっている。
可愛いとか可愛くないとかではなく、ただただ服がデカい。
身長差はあまりないはずが、ここまで服が大きく感じるのは、星南太郎が見栄を張って3サイズほど大きいサイズを着ているからだ。逆にダサいことに、本人は気付いていない。
「せいちゃん、朝から騒いでどうしたのー?」
1階から母の声がする。高校生になった息子をちゃん付けで呼ぶのはいかがなものか。
そこでふと思い出す。自分に変な名前を付けたのは誰だったかと。
……紛れもなく、母である。
そういうことなので、名前に関して母にどうこう言うのはまるで無駄なのだ。母はそもそものネーミングセンスに問題があるのだから。
「な、なんでもないよ! く、靴下が片方、見つからなかっただけ!」
慌てて返事をする。星南太郎が忙しくしていると、恋は両の袖口を鼻にくっつけて、くんくんにおいを嗅ぎ出した。
「え、何かにおう……?」
「くんくん……におうな」
「ごめん」
洗濯をして間もない服を渡したつもりだったが、自分では気付かないレベルの体臭的なものが染み付いているのかもしれない。
謝罪のハードルがものすごく低い星南太郎は、迷わず謝る。
「セナのにおいじゃ」
「ごめん」
自分について人に何か言われるときというのは、褒められるか、ダメ出しかの2択だと思うが。星南太郎の場合、ダメ出し一択だ。少なくともこれまでの人生はそうだった。
だから、相手が本当は何が言いたいのかを聞くよりも先に、つい謝ってしまうのだ。
「そう簡単に何度も謝るな。良いにおいじゃないか」
くんかくんか。恋は袖口にさらに鼻を押し付け、さっきよりも深く息を吸い込んだ。
恋の細い肩の骨が、服越しに浮いて見える。横から見るとほとんど面積なんかないくらい、薄い体つきだった。
星南太郎は、まるで自身に鼻を押し付けられて嗅がれているような気がして。耳の後ろがこそばゆくなり、なんだかもじもじしてしまう。
通学中の電車内で他校の女子高生に言われた「キモ」という声が、いいタイミングでフラッシュバックした。
「そろそろやめようよ……ほら、学校に行く準備をしないと」
途中から星南太郎の反応をおもしろがっていた恋は、その2文字に肩と眉をぴくんと上げた。
某カップうどんのCMに出てくるキツネの少女のように頭に耳でも生えていようものなら、三角のそれも一緒にぴょこんと上を向いただろう。そんな、愛くるしいリアクションだった。
(こんな可愛い子が24時間部屋にいるとか、誰かの罠かなんかなの?)
星南太郎は、恋の言動にいちいちドキドキ(もはや動悸が)してしまう。
ただその度に、冴島莎莎の顔も同時に思い出していた。
5年も片思いしていたのだから仕方ない。簡単に忘れられるような恋なら、これだけの苦労をしてまで。あんなバカみたに金のかかる学校に通い続けてなどいない。
「じゃぁ、セナはここから出て行ってくれ」
「え?」
浮気心を悟られたのかと、星南太郎は焦った。
「急にどうしたの? 俺、ちゃんと君のこと、そのなんてゆうか……す、好きだよ?」
声音に隠しきれない後ろめたさが滲み出ている。
長年憧れた冴島莎莎とタイプは違えど、恋も美少女に違いない。それを前にほかの女子のことを考えるなんて。星南太郎には1億年以上早い。
「何を当然のことを。制服に着替えるから、いったん部屋の外で待っていてくれと言っているんじゃ」
「あ、そういうことか……」
「それともなにか、私の着替えを見たいということならしょうがないが」
「部屋の外で待ってます!!!」
星南太郎は最低限の動きで素早く廊下へと出た。ドアをバタンと閉めると、また下の階から母の声がした。
「せいちゃん、大丈夫ー?」
「大丈夫でっす!!!」
母に返事をらしてすぐ、今度は部屋の中から呼ばれる。
「セナ、私の制服はどこじゃ?」
「クローゼットの取手に掛かってまっす!!!」
すると、また下の階から母が心配そうに問う。
「せいちゃん、本当に大丈夫? なにか悩みごとあるなら、お母さん聞くわよー」
「本当に本当に大丈夫でっす!!!」
「セナ、靴下はどこじゃっ」
「テーブルの下でっす!!!」
「せいちゃん」「セナ」
「あーもうなんなのっ!!!」
星南太郎が捌ききれなくなっているところへ、気付かぬ間に階段を登ってきていた母がひょこっと現れた。
同時に、着替えを終えた恋が部屋のドアを開けようとする。
「わぁぁぁあああ!!!!!!」
星南太郎は咄嗟に叫び声を上げ、万歳をした体勢で開きかけたドアに勢いよく貼り付いた。途端、ドアは閉め切られ、恋は部屋の中に引っ込んだ。
「おい! なんだ!」
当然、恋は怒る。中からドアをどんどこ叩いている。
だが、女子を部屋に連れ込んでいるなんてことがバレたら事だ。実態はオバケでも、具現化している恋はどう見ても同級生の女子にしか見えない。
「せいちゃん……」
ドアに体をくっ付けたまま母を振り返ると、奇っ怪な行動を取る息子に悲しみの眼差しを向けていた。
この世で最も悪なのは、親を悲しませることだと、星南太郎はどこかで聞いたことがあった。それが本当なら自分は今、最悪なことをしている。そう思ったら胸が傷んだ。
「母さん、ごめん」
それだけ言って、星南太郎は恋のいる部屋の中へ飛び込んだ。
大人の階段を登るというのは、なるたる罪悪感と、なるたる背徳感を抱くことなのだろうか。
星南太郎は歯を食いしばりそれらの感情に耐えながら、廊下に母を残して部屋のドアを閉めた。
中に戻ると、すっかりセーラー服姿になった恋がいて。首元に入り込んだ髪の毛を手で払っているところだった。
「準備できたね! じゃぁ行こう! すぐ行こう!」
机の横に立てかけてあったカバンと恋の手首を掴んだ星南太郎は、窓辺に近付いた。その窓は先程、恋が新鮮な空気を吸い込んでいた場所だ。
「ワケあってこの部屋から出られず玄関まで行けないので、すみませんがここから飛びますっ」
言って、星南太郎は恋がしていたのと同じように、窓のサッシに足を掛ける。
本当に付き合っているのか? と疑問に思うくらいには距離感のある口調であった。
「そう遠慮するな。私はどこまでもセナについて行くぞ」
「ええ、そうなの?」
「そうじゃ。セナと離れ離れになって、もしもセナが私のことを忘れてしまったら、私はまた音楽室のオバケに逆戻りだからな」
「それもう完全に取り憑かれて利用されてる感じですね」
「違うぞ、これは愛だ」
「そうだと信じたいです」
「おう、信じろっ では行くぞ」
恋の掛け声とともに、星南太郎の体はぐわんと引っ張られる。
先に窓から飛び出した恋の道連れになる形で、星南太郎も家の外の地面めがけて落下し始めた。
「愛とはぁぁぁぁああぁああ!?!?」
星南太郎はこのとき初めて、愛を疑うことを知った。
人間の女子が相手してくれないので、武士口調のオバケと永遠の愛を誓いました。 五味零 @tokyo_pvc
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