第7話
ガタンッ。ガタンッ。
彩人と莉里は電車に乗っていた。
本来乗るつもりのなかった反対側の電車だ。
窓の外に映る景色は当然今朝とは大きく違う。
見たことのないビルや、見たことのない公園が次々に流れていく。
見知らぬ場所へ向かっていく不安と、ここには何があるのだろう?という好奇心が湧いてくるが、それよりも彩人には気にすることがあった。
(ストーカー野郎のせいで、無駄な出費が…)
それは、電車代。
今この電車が向かっている先は、定期の範囲外。
つまり、この電車を降りるためには数百円の利用料金を支払わなければならない。
たった、数百円。
されど、数百円。
社会人やアルバイトをしている学生なら大した額じゃないだろう。
しかし、そのどちらにも当てはまらない彩人にとって数百円の出費はキツイものがある。
「俺のハンバーガーが…」、と彩人は小さく嘆いた。
「ふふっ、もうお昼だもんね。お腹空いた?」
「空いた。後、大丈夫か?」
「言うのが遅い」
「悪い」
莉里のことよりもハンバーガーのことを考えていたからだろう。
そっぽを向いていじける莉里に対し、彩人は短く謝った。
そして、頭に手を置き撫でてやる。
長年の経験上、機嫌が悪い時はこうしてやると大体どうにかなるのだ。
暫く撫で続けてやれば、やがてこちらを向いて「お昼何にしよっか?」、と尋ねてきた。
いつもより時間が掛かったので、かなり機嫌を損ねていたらしい。
「マッ◯」
「前遊びに出た時食べたので却下」
「モ◯」
「マッ◯と変わらないので駄目」
「ロッテリ◯」
「そもそも近くにない。てか、ハンバーガー好きすぎるでしょ。彩人」
「ハンバーガーは至高の食べ物だからな。仕方ない」
そう言って、胸を張る彩人に莉里は諦めたようにため息を吐き、スマホで近くの飲食店と打ち込んだ。
「このカフェどう?パスタとハンバーグが美味しいらしいけど」
莉里がスマホと睨めっこすること一分、良さそうなもの見つけたらしく身体を寄せて、スマホの画面を見してきた。
覗いてみると、ログハウスのお洒落なカフェと肉汁が大量に出ているハンバーグの画像が表示されていた。
「美味そう。でも、こういった場所のって高いんじゃないか?」
「ランチは千円くらいで食べられるらしいよ。しかも、ライスとバゲッドはお代わり無料だって」
「めっちゃいいじゃん」
「じゃあ、ここに決定ね。次の駅に停まったら降りよ」
食べたい盛りの学生に、おかわり無料はありがたい。
しかも、マッ◯やモ◯と食べるのと同じくらいの値段で食べられるときた。
中々の良店舗だろう。
電車の往復代が痛いが、ギリギリ許容範囲。
(莉里に遊びに誘われていた時点でこれくらいの出費は覚悟していたので大丈夫。千五百円くらいは残るな)
と、思っていたのだが
「入学式の時、私に迷惑をかけたから今日は彩人が奢ってね?」
「は?」
注文を終えたところで莉里から突然告げられた無慈悲な一言。
それによって、彩人の
どういうことかと説明を求めると、入学式の時に爆睡してしまった彩人を起こして、その後寝ぼけている彩人の面倒を見たからだと言う。
正直眠っていたせいか、記憶が曖昧だが莉里に起こされたような気もする。
とすれば、彼女の言っていることは本当なのだろう。
彼女が彩人を起こしてくれなければ、入学式で呑気に寝ている馬鹿というレッテルを貼られ恥をかいていたはずだ。
そのことに感謝はしているのだが、代償がデカ過ぎる。
何とかなりません?、と視線で訴えてみるも莉里の表情は変わらず微笑を浮かべるだけ。
(アカン。これはどう足掻いても無理なやつや)
彩人は自分には奢るしか道は無いのだと悟り、今月は貧乏生活か〜と嘆息した。
「うめぇー!米と合うこのハンバーグ最高。あむ…あの、すいません。ライスのおかわりお願いしてもいいですか?」
「はい、かしこまりました。少々お待ちください」
「ふふっ、良い食べっぷりだね」
ガツガツと、美味しそうにハンバーグを食べている彩人を見て莉里は口を綻ばせた。
自分の気に入ったお店の料理を「美味い」と言いながら人が食べている姿を見るのはとても気分が良いものだ。
たとえ、それが財布の中身が無くなることが確定し、どうせなら目一杯楽しんでやる、という半ばやけ食いだとしても。
自分の好きなものを認められるというのは嬉しいことなのである。
莉里は、さもたまたま見つけたようにこの店を彩人に紹介したが実は前から知っていた。
といっても、実際に来るのはこの人生では初めてだ。
この店と出会ったのはタイムリープをする前。
元カレと別れて仕事にのめり込んでいた時、取引先へ向かう途中にふと目に止まり、気まぐれで足を踏み入れた。
カランッ、カランッ。
『いらっしゃいませ!一名様でよろしいでしょうか?』
扉を開くと、鈴が鳴り自分と同じくらいの若い男の店員がにこやかに出迎えてくれたのを覚えている。
『あっ、は、はい。そうです』
『では、カウンター席にご案内しますね』
案内された席はカウンター席の右から二番目。
キッチンの様子がよく見える席だった。
『こちらがメニューとお冷です。ご注文がお決まりになったらお呼びください』
メニューと水の入ったグラスを莉里に渡すと、洗い物を始めた。
カチャカチャと、食器を洗う店員を横目に莉里はメニューを開くと、今と変わらぬパスタランチとハンバーグランチが写真付きで書かれていた。
値段は今より少し高かったけど。
それ以外は今と同じまんま。
どちらも美味しそうで悩んでいると、店員さんが『お悩みですか?』と尋ねてきた。
『はい。どちらも美味しそうで』
悩んでいることを変に隠すのも、おかしな気がして莉里は素直に悩んでいることを打ち明ける。
『なら、ハンバーグランチなんかどうでしょう?店長こだわりの一品で、この店の名物なんですよ。俺もよく食べるんですけど、めっちゃ美味しいです』
すると、店員はハンバーグランチのことを勧めてきた。
すぐに名前を挙げる辺り、かなり評価が高いらしい。
この一言で莉里の天秤がハンバーグランチへと傾いた。
『そうなんですか。じゃあ、ハンバーグランチに決めます』
『かしこまりました。ドリンクはどれになさいますか?』
『オレンジジュースでお願いします』
『オレンジジュースですね。料理と一緒にお持ちしても大丈夫ですか?』
『それで大丈夫です』
『かしこまりました。今から準備しますので少々お待ちください』
そう言って、店員さんは手慣れた様子で料理を作り始めた。
このタイミングで気が付いたのだが、この時間は店長さんはおらずこの店員さんしかいないらしい。
客は莉里以外おらず誰もいない。
つまり、男と二人っきりの状況。
元カレとの一件以降、男性が苦手な莉里にとっては嫌なシチュエーションなのにも関わらず、不思議と不快感はなかった。
おそらく、いやらしい視線を向けず一人のお客様としてキチンと扱ってくれているからだろう。
そのことに気が付くと、無意識に強張っていた身体の力が抜けた。
『お待たせしました。こちらがハンバーグランチとドリンクのオレンジジュースです』
『ありがとうございます』
スマホをいじっていると時間はあっという間に経ち、莉里のところにハンバーグランチが到着した。
『頂きます。うわぁ〜』
食前の挨拶を行った後、さっそくハンバーグをナイフで切ると大量の肉汁が溢れ出し、莉里は感動した。
まさか、専門店でもないのにこんな美味しそうなハンバーグが出ると思っていたなかったのだ。
一口だいにナイフで切り分け、口に入れると先ず肉の甘みが広がり、次いでデミグラスソースと肉の甘味が絡み合い何とも言い難い最高のハーモニーを奏でる。
今まで食べたどのハンバーグよりも美味しい。
『美味しい』
『それは良かった』
莉里が感想を口にすると、店員は嬉しそうにはにかんだ。
若干、自分の食べているところを見られていた気恥ずかしさから莉里は頬を赤らめ俯くと、そのまま無言で食べ進めた。
『ご馳走様でした』
『はい。本日はありがとうございました。また時間が空いたら遊びに来てください』
『はい。また近いうちに』
会計を済ませ、席を立つと店員が先に回って扉を開けて見送ってくれた。
『お仕事頑張ってください!俺も頑張るんで!』
ある程度距離が離れたところで、店員の男が突然そんなことを言った。
大きく手を振る店員に、莉里は軽く手をふり返すと『今日くらいは頑張ろうかな』と呟いた。
あの日から、このカフェは莉里のお気に入りだ。
落ち込んだり、やる気が出ない時、ここに来て美味しいものを食べてやる気を出していた。
それでいて、たまに仕事の愚痴を店長さんや店員さんに聞いてもらったりもして。
月に一回くらいの頻度でこのお店を尋ねていたような気がする。
(そういえば、あの気の良い店員さんは何処だろう?)
ふと、店内を見回すが彼の姿はなく店長と見知らぬアルバイトの女性が一人だけ。
『俺は二十六ですよ。ちょっと昔に色々あって、今はまだ大学生やってます』
記憶にある限り、彼は自分と同い年だったはず。
ということは、彼はまだ高校生か。高校が始まってすぐのこの時期ではまだ働いて居ないだろう。
(いつか逢えるといいな)
また逢えたなら、この幼馴染のことを紹介しよう。
店員さんと彩人は似ているから馬が合うはずだ。
きっと気に入ってくれるだろう。
そんなこと考えながら、莉里はハンバーグを口に入れ頬を緩ませた。
「あー、美味かった。このハンバーグの作り方って教えてもらえないんかな?これでハンバーガー作ったらめっちゃ美味いだろ」
「どうだろう。流石にお客さんには言わないんじゃない?」
「そっか。なら、ここで働くしかないか」
「おっ、それいいね。彩人が働くんなら私も働こうかな」
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