第1話


 「ハッ…ハッ…ハッ」


冬の寒さが少し和らぎ、陽の昇りが早くなって来た春先。

 ジャージを身に纏った背の高い少年が、河川敷を走っていた。

 大きくストライドを伸ばし、一定のリズムで軽快に。

 が、その速度はいつもより速い。証拠に少年の息は荒れている。

 でも、少年は笑っていた。

 呼吸が荒れて苦しいはずなのに。

 とても嬉しそうに。


「楽しみだな。アイツと同じ学校に行くの」


 少年の脳裏に浮かぶのは、亜麻色の長い髪を持つ美少女。

 六歳の頃からの付き合いで、小中学校こそ違ったが年に十数回遊ぶほど仲がいい、いわゆる幼馴染というやつだ。

 そんな幼馴染と、今年同じ高校に進学することとなった。

 偶然志望校が被った…という運命的なものではなく、同じ高校に行こうと幼馴染の彼女に誘われた結果だ。

 おかげさまで、少年は考えていた志望校よりも偏差値が高い高校を受験することになり大変苦労した。

 友人に勉強を教えてもらえなかったら、間違いなく落ちていただろう。

 そうなれば、併願で受けていた授業料の高い私立高校に行くことに大変親に迷惑をかけてしまうので、本当に受かってよかったと少年は思っている。


 苦しかった受験勉強からやっと解放され、楽しい高校生活が始まるのだ。

 足がいつもより弾んでしまうのも仕方がないだろう。

 片道五キロ河川敷を十五分という陸上部並みの速度で走破し、帰りは疲れが出て少々遅れてしまったが四十分もいかないうちに家へ戻ってきた。


「ハァハァ、ハァハァ、ただいま」

「あら、おかえりなさい彩人さいと。今日は早かったわね」


 鍵を開けて、家に帰ったことを彩人が告げるとリビングから母親である矢花やばねが顔を出し出迎えた。

 ベーコンが焼ける香ばしい匂いがすることから、朝食を作っている最中なのだろう。

 普段帰ってきた時には、朝食が出来ているので彩人は新鮮な気分になった。


「ハァ…あぁ、アイツとの約束に遅れると悪いからな」

「ふふっ、そう。汗がすごいからいつものようにシャワー浴びてらっしゃい」

「……あい」


 意味深な笑みを浮かべる矢花に、彩人は絶対変なこと考えていると思ったがそれを口にすることはせず短く返事をし、二階にある自室へ向かう。

 部屋に入って、箪笥たんすから替えの下着とタオルを取り出すと、階段を降り一階にある脱衣所へ入った。

 持ってきた下着をラックに置き、汗臭いジャージと下着を脱ぎ洗濯カゴへ乱雑に投げ入れ風呂場に入る。

 シャワーのハンドルを捻り、お湯が出るまで手に当てて待つ。

 数秒後、お湯が出るようになったので高い位置にあるフックにかけ頭から足下まで一気にシャワーを浴びた。

 先ほどまであったベタベタとした汗の不快感が無くなっていく。

 温かい湯が汗で冷えた身体を温めていくのが心地よく、彩人は思わず目を細めた。

 ボケーっと、暫くの間お湯に打たれ続けた後シャンプーで髪を洗い、一旦を泡を流しリンスを付け再度洗い流す。

 さらに、洗顔剤を使って顔を洗い最後にボディソープで全身を洗い、また頭からシャワーに突っ込みボケッーとしながら泡が落ちるのを待つ。

 全ての泡が流れ落ちたのを確認すると、シャワーを止め浴場のドアを開きラックに置いたタオルだけを取ると、わしゃわしゃと髪を拭く。

 ある程度水気が取れたところで、もう一枚のタオルを取り全身を拭いて、仕上げにドライヤーで髪を乾かした。

 持ってきていたトランクスとシャツを着ると、自室にとんぼ返り。

 壁にかけられていた新品の匂いがするシャツと制服に袖を通す。

 鏡を見ながら軽く動いてみると、肩の部分が硬く若干の動きにくさを覚えた。


「まぁ、時間が経てば慣れるか」


中学校の時に初めて学ランを着た時も、同じような経験をしたことがある。

 けれど、それは中学一年が終わる頃には感じることはなくなった。

 今回も毎日来ていればいずれ慣れるだろうと彩人は結論付け、朝食を摂るため一階へ降りた。

 

「おっ、おはよう。彩人。制服に似合ってるじゃないか」


 テーブルに着こうとしたところで、新聞を読んでいた父のように声を掛けられた。


「おはよう、父さん。別に普通だろ。制服なんて誰が着ても変わらない」

「うーん。そうでもないと思うけど?なぁ、母さん」

「流石私と父さんの息子ね。バッチリ着こなしているわ!」

「さいですか」


 両親二人が制服姿を手放しで褒める。

 が、彩人はうんざりした様子で聞き流しトーストに齧り付いた。

 が、モグモグと動く口の端が僅かに上がっていて、照れていることが丸わかりの状態。

 陽と矢花は二人で顔を見合わせ、クスリと笑いあうのだった。


『昨日の夜。〇〇市△△区の××公園にて刃物を持った不審者がいたとの通報がありました。通報を受けた警察が現場に向かうと、男の姿はなく──』


 朝食であるベーコンと目玉焼き、卵スープとトーストを食べ終えた彩人は、リビングでテレビニュースを流し聞きしながらスマホを弄って時間を潰していた。


 ピロリンッ。


 すると、彩人のスマホにメッセージが届いた。


『もう少しで約束の時間だよ。遅れないでね。』

「もうそんな時間か。」


通知を見た後、時間を確認するとあと少しで家を出る時間となっていた。

 彩人は椅子から立ち上がると、脱衣所にある洗面台で歯を磨きながら髪を整える。

 それを終えると、玄関でローファーを履き下駄箱の上に置いていた手持ち鞄を持った。


 準備万端。ティッシュとハンカチ、鍵もポッケに入っていて忘れ物もない。家を出る時間も予定通りだ。


「いってきます」

「いってらっしゃい。私と父さんも後で行くからねー」

「あーーい」


 親に家を出ることを告げ、彩人は元気よく玄関を出た。

 向かう先は、歩いて五分くらいの場所にある最寄り駅。

 そこから、電車に乗って高校が近くにある六つ先の駅に行くのだが、途中の駅で一旦降りなくてはならない。

 理由は、先程通知を送ってきた彼女と合流するためだ。


 五分後。駅に着いた彩人は定期を使って改札を通り、ホームへ行ったところで丁度電車が来たのでそれに乗り込む。

 電車の中は、椅子が全部埋まってはいるがそこまで人が居なかった。

 彩人は適当な吊り革に捕まり、ワイヤレスイヤホンを付けて音楽を流す。

 

「……あっ!やべ」


その時に、先程のメッセージに返信をしていなかったことを思い出し慌てて返した。

 すると、すぐに既読が付き


『遅い。寝てるのかと思ったじゃん』


とお怒りのメッセージが届く。


『悪い。通知で確認して返信するの忘れてた。今電車乗ったところだから、後十分くらいでそっち着く』

『本当そういうところルーズだよね。まぁ、予定通り電車に乗ってるなら今回は特別に許してしんぜよう』

『ははー、寛大な処置感謝します莉里りり様』

『うむ。しっかり感謝するのじゃぞ。あっ、私ホームにもういるから。ちゃんと見つけてね?』

『うぃ』


 理由を説明して素直に謝ったのが功を奏したのか、画面の向こうにいる少女は機嫌を損ねずに済み彩人は安堵の息を吐く。

 最近お気に入りの歌手である『MIKA』の歌を聴きながら電車に揺られること十数分。

 彩人が少女と合流する駅に着いた。

 電車を降りて、ホームを見渡す。


「どこにいったんだ?アイツ」


 が、お目当ての人物が見当たらず小首を傾げる彩人。


 『何処だ?』


と、メッセージを送るも既読は付かない。

 しかたがないので、彩人は駅の中を歩いて探すことにした。

 ホームの端から始まり、改札の手前までくまなく探し回ったが残念なことに見つからない。


「ったく、マジで何処だよ?」


 ガシガシと頭を掻き、既読が付かないかとスマホを確認しながら歩いていると、改札の奥で誰かが言い争っている声が聞こえた。


「あっ、いた」


声に反応して視線を向けると、そこには見覚えのある亜麻色の髪が揺れた。


「ねぇ、いいじゃーん。同中のよしみで一緒に行こうよ街鐘さーん。知り合いいなくて俺心細いんだって」

「嫌です。何度も言いますが、私は貴方と知り合いになったつもりはありません。子供じゃないんですから高校くらい一人で行ってください。それに、私連れがいますから」

「えぇー、連れなんていないじゃん。嘘つかないでよ。俺知ってるよ、俺達が通う高校には俺と街鐘さん以外同中のやつはいないって。そんなこと言わずにさー。頼むよ。この通り」


(明らかに嫌そうな顔をしてるのに、よく粘れるなー)


 明らかに嫌そうな顔で断られているのにも関わらず、なおも喰らいつく男子生徒に彩人は謎の感心をしつつ探していた幼馴染の元へ向かうのだった。

 



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