夜の海でいなくなる

きと

夜の海でいなくなる

 その少年と出会ったのは、夜の海だった。

 その頃の私は大学4年生で、就職活動の最中さいちゅうだった。だが、なかなかうまくいかず、お祈りメールが届く毎日だったのを覚えている。

 

 その日も面接を受けて、いつも通りの手ごたえを感じ、あーまた落ちたんだな、なんて思っていた。トボトボ歩いていた私が感じていたのは、このまま就職できない、社会に必要に必要とされていないという烙印らくいんを押されているむなしさだった。

 どれくらい歩いたのかは、分からない。気づいたら私は、海にいた。その日の面接は海にほど近い水産加工業の会社だから、そこまで離れてはいないはずだ。でも、面接のときには空にいたはずの太陽はすっかりどこかに行ってしまっていた。

 なんとなく私は、砂浜に降りた。波の音が心地よかった。少し気分が晴れた私は、このまま行けるところまで砂浜を歩いていくことにした。歩いて行くうちに私は、自由になれた気がした。しがらみも不安も何もかも、どこかへ消えてしまったみたいだった。

 鼻歌じりに手を広げて歩いて行く。またしても時間を忘れていた私は、急に現実へと引き戻されることになった。

 砂浜に座っている少年がいたからだ。

 人がいるなんて思いもしなかった私は、思わず大声をあげてしまう。その声に反応した少年は、ゆっくりとこちらを向いた。

「……なに?」

「す、すいません。人がいるとは思わなくて……」

 謝罪した私にもう興味がないのか、少年はまた海に視線を戻した。

 少年は、色黒でメガネをかけていた。歳は……高校生くらいだろう。少し大人びている気がする。座っているので憶測でしかないが、身長は平均的な高校生男子よりは少し小さい。体つきもほっそりとしているので、体重も平均より軽いかもしれない。

 そして、気になることが1つ。

「君、こんな所で何してるの……?」

 この子は、大人びているとは言え、まだまだ子供だろう。すっかり暗くなった海にいるのは、何か訳ありではないだろうか。

 少年は、再び私の方を見る。

「海を見てただけだよ……。お姉さんこそ、何してるの?」

 私としては、なんで海を見ているのかを知りたかったのだが、質問を返されてしまった。何をしているのか……、か。ん……?

「私……何してるんだろう……?」

「……は?」

 私の言葉に少年は、怪訝けげんな顔をする。もしかしたら、この歳にしてボケたのかと思われたかもしれない。少年の変なものを見る目に耐えられず、私は慌てて言う。

「い、いや、ボケたとかじゃなくて、気づいたらここにいたというか。何でこんなところにいるのかって聞かれても、偶然としか言えないといいますか……。えーと、そのーだからといって、不審な人物ではないんですが……」

「とりあえず落ち着いたら?」

 私より少年の方が大人だった。

 私は、ひとまず深呼吸をして、ここに来るまでの経緯を思い出す。

「……やっぱりここに来たのは、偶然かな? 面接に失敗して、ふらふらしてただけだし」

 自分で言って、悲しくなってきた。やっぱりさっきの面接、受かってないよなぁ。楽し気な雰囲気もなかったし、私自身のことを深く掘り下げられた訳でもなかったし。うう……気分が沈む……。

「なんか大変なんだね」

「うん、まぁ、そうなのかな?」

 そこそこ年下の少年に同情されている私だった。少年は、私に話しかける。

「よくわかんないけど……、お姉さん、就活生ってやつ?」

「まぁね。うまくいってない……が頭につくけど」

「ふーん、それでお姉さんは、何になりたいの?」

「へ?」

「いや……きたい仕事とかあるでしょ?」

 私のなりたいもの。それは……、それは、なんだっけ。何度も落とされるうちに、忘れてしまった。そもそも私は、どうなりたいんだろう。確かに就職するということは、1つのゴールだ。では、その先にあるのはなんだ。毎日やりたくもない、情熱を注ぐこともできない仕事で疲れる未来か。家に帰って、何もすることもなく泥のように眠ることを繰り返す未来だろうか。

 私は。

 私は。

 私は、そんなもののためにつらい思いをしているのか?

 黙り込む私に、少年が言う。

「もしかして、特にないの?」

「ないというか……忘れちゃったかな。なんでこんなことしてるのか」

「それはそれでいいんじゃない?」

「そうかなぁ?」

 少年は、立ち上がる。そして、優しい顔で言ってくれた。

「これからいろいろ見つけられるかもしれないってことだろ?」

 何もない。だからこそ、何にでもなれる。過去を見つめなおし、昔の夢を見つけることも。未来に思いをはせて、まだ見ぬ世界へ足を踏み入れることも。少年が言いたいのは、多分そういうことだろう。

 だから、私は言う。

「ありがとう」

「よかった。元気出たみたいじゃん」

 さて、私がお世話になっているばかりなのも悪いな。それに、この少年に興味がわいてきた。

「で? 君は何してたの?」

「海を見てた。……この先に未来はあるのかなって」

「未来?」

 先ほどとは、打って変わって寂しいそうな顔だった。

 この先には、何もないと決めつけてしまっているような、そんな顔。

「俺……もうすぐ海外に引っ越すんだ。親の仕事の関係で」

「うん」

「でも、そこに行くと俺の夢は叶えられなくなる。あっちで頭師かしらしを目指すなんて無理だ」

「かしらし?」

「ひな人形の顔を描いたりする人だよ」

 なるほど、それが少年の夢か。素敵すてきな夢だな。私も子供の頃は、ひな人形を見て何度もきれいだと思ったことを覚えている。大切な思い出だ。そんな思い出を作る仕事をしたいんだ、この子は。

 ……私は、少年の横に立つ。

「お姉さん?」

「大丈夫だよ。君の道は、海なんかで途絶えないよ」

「でも……」

「道具はネットで買えばいい」

「え?」

「勉強するのも本とかで独学でやればいい。何度も何度も。それは無駄になんかならないし、きっと夢を叶える橋になる。世の中にはね、ある夢の叶え方なんて無数にあるんだよ。私に道を示してくれた君が、勝手に夢をあきらめないでよ。大丈夫。私は、大丈夫しかいえないけど……、大丈夫っていい言葉でしょ?」

 少年は、私をまっすぐに見つめていた。その目には、希望があった。

「もう大丈夫そうだね」

「ああ、ありがとう」

 そして、そのまま2人で海を見てた。

 何もなかった女と何かにしばられていた少年は、もうどこにもいなかった。


 あの少年は、今どこで何をしているんだろう?名前を聞いたわけでもないし、連絡先も交換しなかったので、知る手段がないのだ。

 私は結局、大学卒業までに就職できず、しばらくの間ふらふらした。そして、あの少年と見た海を思い出した。あの美しさを他の人たちにも知ってほしい。そう思い、私はカメラを手に取った。今では、写真家としてご飯を食べられるようになった。そんな豪華な食事は無理だけど。

 さて、今日の撮影も終わり、家でのんびりとテレビを見る。なになに……、世界で活躍する日本人か。

『さて今日は、海外の地でひな人形を作り続ける職人を特集します! 一度は諦めかけた職人の道。再起したきっかけのは、海で出会ったな謎のお姉さん⁉』

 私は、テレビかじりつく。

 よかった。元気そうじゃん。

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夜の海でいなくなる きと @kito72

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