ブランコの速度が揃うとき
鍍金 紫陽花(めっき あじさい)
第1話
私たちはライブに行くために、スマホで行き方を調べていた。生徒は私と友達含めて3人だけだ。そのため教室は静かで、スマホの操作を咎める先生や風紀委員はいない。
「自転車で行けば安く済む」
彼女がみせてきた道順を眺める。私たちはバイトをしていないから、安く済ませた方が良いのは事実。移動費を節約できた分、推しのイベントに貢ぐことが出来る。ただ、自転車の移動が難点だ。
「私は賛成。瑞希は?」
呼ばれた私は頭を抱える。なにか場を流す言葉を選んだ。すると、叔父の存在を思い出した。
「その日、叔父に送ってもらうよ」
「叔父さん帰ってきてるんだ」
友達には家の事情を話している。叔父の名前を出しても突っかかる人間はいない。その心地良さに甘え、コミュニケーションを省いて、返事を簡略化する。
「帰るのは火曜日。ライブは日曜だから家にいる。助けてもらうことにする」
私は席から立ち上がり、机に置いたカバンを持つ。
「叔父に約束してくる」
△
叔父は母親の兄だ。
私の叔父は、毎月に1回だけ帰ってくる。祖母の容態を看取るためだ。私には一緒に住む親と母方の祖母がいる。祖母はもともと山奥の集落で一人暮らしをしていた。しかし、階段から転倒したことを気に脳内が出血。1人で歩行することが困難になった。認知症の疑いもあり、私たちの家へ引っ越すことになる。祖母は最初こそ抵抗していたものの、今は私の恋相談に乗ってくれている。
「ただいまー!」
帰宅する時の習慣だった。祖母は行き来の挨拶を聞きたがる。なので、ベットに寝てる祖母へ聞こえるように大声をあげた。
「うるせえよ!」
叔父の叫び声が聞こえた。はりあげた回数が少ないらしく、甲高い声になっていた。
靴を脱いで、部屋に入る。リビングでは祖母と叔父が並んでテレビを視聴していた。
「人の不倫に熱心だね」
「見るのがねえからつけてるだけだ。お前きょう早いな」
「おまえじゃないよ。叔父さん」
「叔父だけど、優成って名前をちゃんとつけて貰ってるんだ。俺は」
「はいはい優成さん」
鞄を壁においた。冷蔵庫に向かって、自分の名前が書かれた飲料をとりだす。口につけて、切り出すタイミングを考えた。
叔父の優成はテレビ上にある時計を確認する。祖母の肩をたたき、耳に近づけた。もう少しで晩飯作るよと言い、祖母はありがとうとにこやかに話した。
「ねえ、優成さん」
「なに?」
彼は祖母の腰に手を回し、補助機に両手を乗せてあげている。彼女の速度にあわせ、ベットへと誘導していた。その後ろを私がついていく。
「日曜日って予定ありますか?」
「何?」
私は日曜日に、友達と3人でライブに行くことを話した。チケットは既に支払い済。あとは交通手段を選んでいる。
「それで、出来れば昼12時に送って欲しいなーって」
「寝る予定ができた」
「一生寝るなよ」
夕方の5時半。ベッドからみえる窓からは、夕日が山の隙間に入ろうとしている。赤い日差しが目を細めた。
「考えてやる。でも、なにか俺も得したいな」
「お菓子!」
「GODIVA」
「もう歩いていく」
「もっと粘れ」
今日の彼は心が広かった。祖母の介護しているときが、誘いを受けてくれることが多い。ひとつの事にしか目がいかない性格だ。
「そろそろ、お前の母さんが帰ってくる。着替えとかないとうるさく言われるよ」
「うん」
優成は私の母を引き合いに出すとき、目が赤くなり頬が固まったように錯覚してしまう。
△
扉の開閉音がした。玄関に荷物を乱雑に放置する音がする。扉を開けてきた母は、耳を赤くしていた。酒の匂いがする。
私の母は、酒を飲んで帰宅してきた。私服に着替えて部屋から出た私は、皿の準備をしている。
優成は台所でポトフを料理していた。トマトの匂いがよだれを出させる。食欲が抑えられなくて、お腹が鳴った。
「ごめん料理買ってきた」
「あ、そうなんだ」
優成は帰宅した日から帰るまで料理を担当する。その事実を知りつつも、料理を買ってくる。母は小さな嫌がらせを娘の私にわかるほど露骨に行う。
普段は、私と、母親とヘルパーが介護していた。その息抜きをさせてあげている。
「いいよ。一緒に並べるから、きい。母ちゃん呼んで」
「はーい」
母は大企業の課長らしい。興味が無いから詳しくなかった。帰宅が遅れることもしばしばある。日中はヘルパーが手助けしてくれるけど、夜は私の出番。
「ライブの話。瑞希の母さん知ってるの」
「言ったけど忘れてると思う」
「ふーん」
祖母の座れるスペースを確保する。椅子のとってを握れるようにしてあげて、私は優成のご飯を並べた。
母は、祖母の身体を補助機に預けて、自分の速度で歩いている。ご飯のところまで位置すると、自分の髪を後ろにまとめた。
「食べよ」
母が箸を持つ。すると、皆もいっせいに食事を始める。ポトフを先に箸つけ、よそっていた。優成は祖母にご飯を用意している。米は柔らかく加工されていた。
「そういえば、ゆうにいは何時までいるの」
「日曜」
「え? 叔父さん日曜に帰るの?」
「今日はえらく早いね。そんなに忙しいんだ」
「まあ色々とね」
母は箸を止めた。優成になにか言おうと口を半開きにしつつ、動きを止める。
「ゆうにい。次はいつ帰ってくるの」
「来月の下旬かな。帰るまでの間はよろしく」
「ヘルパーさんが頑張ってくれるから大丈夫。なんのための雇用よ」
飲み物に手をつける。茶が喉を通った。温度が空気と混ざってぬるくなっていた。
「母さんは仕事は大丈夫?」
「ん? うん、母さん頑張ったよ瑞希。アンタは?」
「普通に学校」
「あんた昔から抜けてるところあるからね。大切な用事とか伝え忘れたりするじゃん」
「……いつの話してるの?」
「いつって、私にとってはまだ小さな可愛い子供。きっと、父さんも空で同じこと思ってるよ」
母は亡くなった父をよく想起する。どんなとっかかりでもエピソードを披露してくれた。言い聞かせるというより、教えこませる事に丁寧だ。今は聞き流してしまう。父の話は、私が冷たい人になっていくから嫌になる。
「そういえば、思い出した。ゆうにい、覚えてる?」
優成は口に米を含んでいたから、会釈で返事をした。その会釈を覚えていないと解釈し、母は語る。
「ゆうにいが可愛い物を集めてたことあったよね。ほら、うさぎのぬいぐるみとか。もう卒業したん?」
祖母は母親をちらりと見る。
「この子は前から集めとった。タンスに隠しとるよな」
「かあさん。やめてよ」
「そうそう。ゆうにいは可愛いものが好きだったよね。シルバニアファミリーとか、いや私が買うべきやろってならん?」
食卓に団欒とした空気が流れる。祖母と母が、私も笑うように促す。優成はもくもくと口に運ぶ。
「ごちそうさま」と、優成はご飯を空にした。食器を片付け、台所の水溜めた場所に食器を置く。
「あ、優成」
「ゆうにいは煙草」
彼は玄関を開けて外に出た。閉まった扉に影がさしている。
「ちょっとトイレ」
「食事中にトイレ行かない」
「ちょっとまってて」
わたしはその玄関をとおりすぎて、扉を開けた。
△
優成はタバコの灰をポケット灰皿に落としていた。
「横、座る」
「うおっ、タバコ吸ってるからあっち行け」
その場にしゃがみこんで、隣に来た。そのまま優成は長年の付き合いから、私が引かないことを熟知していて、文句を続けなかった。
「私のお母さん嫌いでしょ」
「まあ、バレるよな」
彼はマルボロを口に付けて、煙を吸い込んだ。口から吐き出した薄い灰色が、暗闇を映す電球の前で溶けていく。
「今も集めてる?」
「部屋にある」
「彼氏も可愛いもの好きなの?」
「うん。一緒にユニバ行くよ」
タバコの匂いが鼻腔を刺激する。クシャミしそうになるから、鼻水を啜った。
「楽しそー。いいな 私も好きな人と一緒にいたい」
「家を出たら居られるよ。責任も一緒に付いてくるけどね」
「怖いこと言うじゃん」
「大事なことだよ」
叔父は1人の孤独を隠さない時がある。そういうとき、大きな隔たりを感じてしまった。その距離を詰めたくて、心情的な意味で寄りかかってしまう。
「私が貴方のぬいぐるみを盗んだことを覚えている?」
「覚えてる」
「母親にぬいぐるみのこと問い詰められて、貴方の物だと口走ってしまった。すると、それが冗談と勘違いされた。結局、あなたのぬいぐるみは私が持ったままだった」
「そんなことあったね」
「私のものになるまでは、ぬいぐるみが魅力的に写った。手にしたら、罪悪感に襲われた。どうしたらいいのか分からなくて、泣いて、あなたの顔を見られない時があった。貴方のものだと母親に行ったとき、貴方はその場にいた。貴方は幼少の私でもわかるほど傷ついていた」
「その苦しみが、俺に懐かせるの?」
「うん」
私は答えるべきか迷った。真実を告げてしまえば、関係が崩れてしまう。癒着のような関係が心地よかった。
「その傷の話は俺を慰めるために言ったの?」
「近いかな。この傷を明かすことで、ぬいぐるみの続きを言いたい」
空は完全に暗闇をまとったから、明かりがうるさい。タバコの灯りが赤く点と、扉の天井にある明かり。柵の先にある転々と並ぶ街灯。
「ぬいぐるみを持つことで笑われる。その想像ができなかった。苦しみが分からなかったから、今は理解していると思いたい。今の場所はぬいぐるみを持っても笑われないんだね」
「だから、祖母の元に行けない。申し訳ないと思ってる」
「ほんとだよ。世話するなら帰ってこいよ半端者」
「あはは」
私は彼の肩をたたき、意識を向けさせる。耳元に近づき、聞こえる声量で放つ。
「私があなたを笑わない。家族の中でも、私が笑わない。その信頼を寄せていい」
人のいる場所は環境音が騒がしい。外にいても、隣の家の営みや、家の光で人の存在を忘れられなかった。
「それは、車に乗せる条件にならないね」
「ダメかー」
彼から離れた。タバコを吸い終わった彼は、灰皿に捨てる。立ち上がるので、先に扉を開けてあげた。
「あ、条件あった」
「なに?」
「明日の朝に公園ね」
△
「ほんとにこれでいいの?」
自転車にまたがり、背を押す優成。この自転車は優成のお下がりだった。彼がスーパー行く時に使用しているものだ。
「だって、自転車に乗れないから、車を使いたいんだろ」
「あーあ。練習したくないー」
私が提案されたのは、自転車の練習だった。土曜を使って回し方を学習する。できるところまでという限定付きだ。
「瑞希を信じるよ」
「うん。乗れることを信じて!」
「そうじゃない。伝わってないな」
「え、何。なんのこと?」
「ほら前見て」
彼が手を浮かせた。私は必死にペダルをこぐ。前の風景が左右に揺れている。不安に駆られて、振り向いた。
自転車一個分空いた先に、優成。彼は手を振っている。
私が彼の信じるという意味をあとから理解して、自転車から転げた。
ブランコの速度が揃うとき 鍍金 紫陽花(めっき あじさい) @kirokuyou
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