ブランコの速度が揃うとき

鍍金 紫陽花(めっき あじさい)

第1話

 私たちはライブに行くために、スマホで行き方を調べていた。生徒は私と友達含めて3人だけだ。そのため教室は静かで、スマホの操作を咎める先生や風紀委員はいない。


「自転車で行けば安く済む」


 彼女がみせてきた道順を眺める。私たちはバイトをしていないから、安く済ませた方が良いのは事実。移動費を節約できた分、推しのイベントに貢ぐことが出来る。ただ、自転車の移動が難点だ。


「私は賛成。瑞希は?」


 呼ばれた私は頭を抱える。なにか場を流す言葉を選んだ。すると、叔父の存在を思い出した。


「その日、叔父に送ってもらうよ」

「叔父さん帰ってきてるんだ」


 友達には家の事情を話している。叔父の名前を出しても突っかかる人間はいない。その心地良さに甘え、コミュニケーションを省いて、返事を簡略化する。


「帰るのは火曜日。ライブは日曜だから家にいる。助けてもらうことにする」


 私は席から立ち上がり、机に置いたカバンを持つ。


「叔父に約束してくる」



 叔父は母親の兄だ。

 私の叔父は、毎月に1回だけ帰ってくる。祖母の容態を看取るためだ。私には一緒に住む親と母方の祖母がいる。祖母はもともと山奥の集落で一人暮らしをしていた。しかし、階段から転倒したことを気に脳内が出血。1人で歩行することが困難になった。認知症の疑いもあり、私たちの家へ引っ越すことになる。祖母は最初こそ抵抗していたものの、今は私の恋相談に乗ってくれている。


「ただいまー!」


 帰宅する時の習慣だった。祖母は行き来の挨拶を聞きたがる。なので、ベットに寝てる祖母へ聞こえるように大声をあげた。


「うるせえよ!」


 叔父の叫び声が聞こえた。はりあげた回数が少ないらしく、甲高い声になっていた。

 靴を脱いで、部屋に入る。リビングでは祖母と叔父が並んでテレビを視聴していた。


「人の不倫に熱心だね」

「見るのがねえからつけてるだけだ。お前きょう早いな」

「おまえじゃないよ。叔父さん」

「叔父だけど、優成って名前をちゃんとつけて貰ってるんだ。俺は」

「はいはい優成さん」


 鞄を壁においた。冷蔵庫に向かって、自分の名前が書かれた飲料をとりだす。口につけて、切り出すタイミングを考えた。

 叔父の優成はテレビ上にある時計を確認する。祖母の肩をたたき、耳に近づけた。もう少しで晩飯作るよと言い、祖母はありがとうとにこやかに話した。


「ねえ、優成さん」

「なに?」


 彼は祖母の腰に手を回し、補助機に両手を乗せてあげている。彼女の速度にあわせ、ベットへと誘導していた。その後ろを私がついていく。


「日曜日って予定ありますか?」

「何?」


 私は日曜日に、友達と3人でライブに行くことを話した。チケットは既に支払い済。あとは交通手段を選んでいる。


「それで、出来れば昼12時に送って欲しいなーって」

「寝る予定ができた」

「一生寝るなよ」


 夕方の5時半。ベッドからみえる窓からは、夕日が山の隙間に入ろうとしている。赤い日差しが目を細めた。


「考えてやる。でも、なにか俺も得したいな」

「お菓子!」

「GODIVA」

「もう歩いていく」

「もっと粘れ」


 今日の彼は心が広かった。祖母の介護しているときが、誘いを受けてくれることが多い。ひとつの事にしか目がいかない性格だ。


「そろそろ、お前の母さんが帰ってくる。着替えとかないとうるさく言われるよ」

「うん」


 優成は私の母を引き合いに出すとき、目が赤くなり頬が固まったように錯覚してしまう。



 扉の開閉音がした。玄関に荷物を乱雑に放置する音がする。扉を開けてきた母は、耳を赤くしていた。酒の匂いがする。


 私の母は、酒を飲んで帰宅してきた。私服に着替えて部屋から出た私は、皿の準備をしている。

 優成は台所でポトフを料理していた。トマトの匂いがよだれを出させる。食欲が抑えられなくて、お腹が鳴った。


「ごめん料理買ってきた」

「あ、そうなんだ」


 優成は帰宅した日から帰るまで料理を担当する。その事実を知りつつも、料理を買ってくる。母は小さな嫌がらせを娘の私にわかるほど露骨に行う。

 普段は、私と、母親とヘルパーが介護していた。その息抜きをさせてあげている。


「いいよ。一緒に並べるから、きい。母ちゃん呼んで」

「はーい」


 母は大企業の課長らしい。興味が無いから詳しくなかった。帰宅が遅れることもしばしばある。日中はヘルパーが手助けしてくれるけど、夜は私の出番。


「ライブの話。瑞希の母さん知ってるの」

「言ったけど忘れてると思う」

「ふーん」


 祖母の座れるスペースを確保する。椅子のとってを握れるようにしてあげて、私は優成のご飯を並べた。

 母は、祖母の身体を補助機に預けて、自分の速度で歩いている。ご飯のところまで位置すると、自分の髪を後ろにまとめた。


「食べよ」


 母が箸を持つ。すると、皆もいっせいに食事を始める。ポトフを先に箸つけ、よそっていた。優成は祖母にご飯を用意している。米は柔らかく加工されていた。


「そういえば、ゆうにいは何時までいるの」

「日曜」

「え? 叔父さん日曜に帰るの?」

「今日はえらく早いね。そんなに忙しいんだ」

「まあ色々とね」


 母は箸を止めた。優成になにか言おうと口を半開きにしつつ、動きを止める。


「ゆうにい。次はいつ帰ってくるの」

「来月の下旬かな。帰るまでの間はよろしく」

「ヘルパーさんが頑張ってくれるから大丈夫。なんのための雇用よ」


 飲み物に手をつける。茶が喉を通った。温度が空気と混ざってぬるくなっていた。


「母さんは仕事は大丈夫?」

「ん? うん、母さん頑張ったよ瑞希。アンタは?」

「普通に学校」

「あんた昔から抜けてるところあるからね。大切な用事とか伝え忘れたりするじゃん」

「……いつの話してるの?」

「いつって、私にとってはまだ小さな可愛い子供。きっと、父さんも空で同じこと思ってるよ」


 母は亡くなった父をよく想起する。どんなとっかかりでもエピソードを披露してくれた。言い聞かせるというより、教えこませる事に丁寧だ。今は聞き流してしまう。父の話は、私が冷たい人になっていくから嫌になる。


「そういえば、思い出した。ゆうにい、覚えてる?」


 優成は口に米を含んでいたから、会釈で返事をした。その会釈を覚えていないと解釈し、母は語る。


「ゆうにいが可愛い物を集めてたことあったよね。ほら、うさぎのぬいぐるみとか。もう卒業したん?」


 祖母は母親をちらりと見る。


「この子は前から集めとった。タンスに隠しとるよな」

「かあさん。やめてよ」

「そうそう。ゆうにいは可愛いものが好きだったよね。シルバニアファミリーとか、いや私が買うべきやろってならん?」


 食卓に団欒とした空気が流れる。祖母と母が、私も笑うように促す。優成はもくもくと口に運ぶ。


「ごちそうさま」と、優成はご飯を空にした。食器を片付け、台所の水溜めた場所に食器を置く。


「あ、優成」

「ゆうにいは煙草」


 彼は玄関を開けて外に出た。閉まった扉に影がさしている。


「ちょっとトイレ」

「食事中にトイレ行かない」

「ちょっとまってて」


 わたしはその玄関をとおりすぎて、扉を開けた。



 優成はタバコの灰をポケット灰皿に落としていた。


「横、座る」

「うおっ、タバコ吸ってるからあっち行け」


 その場にしゃがみこんで、隣に来た。そのまま優成は長年の付き合いから、私が引かないことを熟知していて、文句を続けなかった。


「私のお母さん嫌いでしょ」

「まあ、バレるよな」


 彼はマルボロを口に付けて、煙を吸い込んだ。口から吐き出した薄い灰色が、暗闇を映す電球の前で溶けていく。


「今も集めてる?」

「部屋にある」

「彼氏も可愛いもの好きなの?」

「うん。一緒にユニバ行くよ」


 タバコの匂いが鼻腔を刺激する。クシャミしそうになるから、鼻水を啜った。


「楽しそー。いいな 私も好きな人と一緒にいたい」

「家を出たら居られるよ。責任も一緒に付いてくるけどね」

「怖いこと言うじゃん」

「大事なことだよ」


 叔父は1人の孤独を隠さない時がある。そういうとき、大きな隔たりを感じてしまった。その距離を詰めたくて、心情的な意味で寄りかかってしまう。


「私が貴方のぬいぐるみを盗んだことを覚えている?」

「覚えてる」

「母親にぬいぐるみのこと問い詰められて、貴方の物だと口走ってしまった。すると、それが冗談と勘違いされた。結局、あなたのぬいぐるみは私が持ったままだった」

「そんなことあったね」

「私のものになるまでは、ぬいぐるみが魅力的に写った。手にしたら、罪悪感に襲われた。どうしたらいいのか分からなくて、泣いて、あなたの顔を見られない時があった。貴方のものだと母親に行ったとき、貴方はその場にいた。貴方は幼少の私でもわかるほど傷ついていた」

「その苦しみが、俺に懐かせるの?」

「うん」


 私は答えるべきか迷った。真実を告げてしまえば、関係が崩れてしまう。癒着のような関係が心地よかった。


「その傷の話は俺を慰めるために言ったの?」

「近いかな。この傷を明かすことで、ぬいぐるみの続きを言いたい」


 空は完全に暗闇をまとったから、明かりがうるさい。タバコの灯りが赤く点と、扉の天井にある明かり。柵の先にある転々と並ぶ街灯。


「ぬいぐるみを持つことで笑われる。その想像ができなかった。苦しみが分からなかったから、今は理解していると思いたい。今の場所はぬいぐるみを持っても笑われないんだね」

「だから、祖母の元に行けない。申し訳ないと思ってる」

「ほんとだよ。世話するなら帰ってこいよ半端者」

「あはは」


 私は彼の肩をたたき、意識を向けさせる。耳元に近づき、聞こえる声量で放つ。


「私があなたを笑わない。家族の中でも、私が笑わない。その信頼を寄せていい」


 人のいる場所は環境音が騒がしい。外にいても、隣の家の営みや、家の光で人の存在を忘れられなかった。


「それは、車に乗せる条件にならないね」

「ダメかー」


 彼から離れた。タバコを吸い終わった彼は、灰皿に捨てる。立ち上がるので、先に扉を開けてあげた。


「あ、条件あった」

「なに?」

「明日の朝に公園ね」



「ほんとにこれでいいの?」


 自転車にまたがり、背を押す優成。この自転車は優成のお下がりだった。彼がスーパー行く時に使用しているものだ。


「だって、自転車に乗れないから、車を使いたいんだろ」

「あーあ。練習したくないー」


 私が提案されたのは、自転車の練習だった。土曜を使って回し方を学習する。できるところまでという限定付きだ。


「瑞希を信じるよ」

「うん。乗れることを信じて!」

「そうじゃない。伝わってないな」

「え、何。なんのこと?」

「ほら前見て」


 彼が手を浮かせた。私は必死にペダルをこぐ。前の風景が左右に揺れている。不安に駆られて、振り向いた。

 自転車一個分空いた先に、優成。彼は手を振っている。

 私が彼の信じるという意味をあとから理解して、自転車から転げた。

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ブランコの速度が揃うとき 鍍金 紫陽花(めっき あじさい) @kirokuyou

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