チョコパイとエンゼルパイと私

 エンゼルパイを初めて食べたとき、びっくりしたことをおぼえている。

 チョコパイのことなら、私は知っていた。食べ慣れていたし、好きなおやつだった。同じものだと思って食べたら、口の中がムギュッとした。


「なんだこれは」


 ちなみに、この章を書くにあたってどっちがどっちだったか念のため調べたが、「チョコパイ」は中がクリーム、「エンゼルパイ」はマシュマロである。


 偏食な子どもだった。少しでも食感が変わっていたり、繊維の多い野菜などは食べられなかった。小学校の給食は恐怖で、めそめそしながら先生のあとを追いかけて行って「食べられないなら食べられないってちゃんと言いなさい」と叱られたことをおぼえている。給食は本当に苦手で、五年生ぐらいまで食べられずに泣いたりしていた。

 お友達の誕生日会に招待してもらったときには、フライドチキンを皆が喜んで食べる中、ひとつも食べなかったのでお友達のお母さんが心配して「みさとちゃんはきゅうりしか食べてなかったが大丈夫か」と母に電話をしたというエピソードもある。「チキンも食べた」とみえみえの嘘をついたのもおぼえているから、好き嫌いが多いことを、恥じる気持ちはあったのだろう。「なにも食べられなかった」というわけではなく、重ね重ね言うがただの偏食で、フルーチェなどはやまもり食べていた。

 もっと時代を遡れば、幼稚園のときにはお弁当も「たまごやきとスパゲッティしか食べなかった」と母が言っていた。毎週土曜日に出た牛乳も、半分ぐらいこっそり捨てていた。そういういろいろなエピソードを思い返すと、なんだか申し訳ない気持ちになる。でも、そのときは食べられなかった。


 雑にまとめてしまえば、「初めて食べるものは怖かった」「慣れない場所で食べるのは怖かった」のだろうと思う。フライドチキンも給食も、時間はかかったが、食べられるようになった。牛乳も小学校のときにはなんとか飲んでいた。

 大人になってしまえば、嫌いなもの、怖いものは食べずとも生きていけるし、たぶんいい意味で味覚も脳も鈍感になってきて、子どものころ苦手だったものも、結構食べられるようになったりする。ただ、あのころ、何も考えなくても、何もしなくても、あたたかいご飯が目の前にあり、家の「おやつの箱」にお菓子が入っていたことを思うと、あたたかくて、せつなくて、偏食だった自分が勿体無くて、涙が出そうになってしまうのだけれど。


 それで、エンゼルパイの話だ。エンゼルパイも、はじめはなんか嫌だなと思った。慣れないからだ。でも、じき美味しく感じるようになった。そういえば、近年は食べていないなと思う。チョコパイは、ときどき食べるのだけれど。勝手なイメージだけど、なんとなくチョコパイとエンゼルパイでは、チョコパイの方がメジャーという気もする。今度スーパーで見かけたら、買ってみよう。口の中をムギュッとさせながら、そして、また、私は幼いころのことを思い出すだろう。

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目覚めたら14時(抄) 伴美砂都 @misatovan

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